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Smarter Business

「テクノロジーでお客様と寄り添う未来」に向けたワコールのデジタル変革

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下山 廣氏

下山 廣氏
株式会社ワコール
執行役員 総合企画室 オムニチャネル戦略推進担当 副室長
 
 

 
2019年5月、株式会社ワコール(以下、ワコール)は東京・表参道にAIを活用した新たな接客サービス「3D smart & try(スマート アンド トライ)」が体験できる次世代型店舗をオープン。その根底にあるのは、「デジタル進化により、一人ひとりのお客様とより深く、広く、長く、寄り添うことができる」という想いだ。そんなワコールのデジタル変革の取り組みについて、同社 執行役員 総合企画室 オムニチャネル戦略推進担当 副室長の下山廣氏に話を聞いた。

 

リアル店舗にデジタルテクノロジーを導入したことの反響

――2019年5月に東急プラザ表参道原宿の4階に新しくオープンした店舗「ワコール3D smart &try」が若い女性の間で話題になっています。次世代型のインナーウェアショップとのことですが、従来の店舗と何が違うのでしょうか。

下山 そもそもの企画意図は、お客様にインナーウェア選びを自由に楽しんでもらい、自分に最適なインナーウェアに出会っていただきたいということでした。というのも、従来の店舗では必ずしも実現できていなかったからです。また、リアル店舗でもスマートフォンと同じように、自由に気軽にお買い物いただきたいという想いもありました。

ECにはないリアル店舗の利点は、商品に直接触れて試着できることです。一方で、「女性同士であっても、販売員からインナーウェアを購入することに抵抗がある」という意見や、「自分のサイズに合った最適な商品を選びたいけれど、計測してもらうのは恥ずかしい」という声が寄せられていました。これは若い女性だけに限った意見ではなく、50代、60代以降の女性も同じです。また、「自分に合う商品を知りたいのに、新商品ばかり勧められる」といったように、お勧めする側とお客様の要望におけるミスマッチも課題でした。

そこで、リアル店舗において、お客様の望むスタイルとペースで、ストレスなく気軽にインナーウェア選びを楽しんでいただきたいと考え、「接客AI」と「3Dボディスキャナー」という2つのテクノロジーを活用した接客サービスを開発しました。

——それらのテクノロジーを活用し、どのような店舗体験を提供しているのでしょうか。

下山 リアル店舗のメリットを損なわないようにしつつ、パーソナルなスペースでサイズ計測し、商品の選択・購買を自由に楽しんでもらうことを可能にする店舗です。独自に開発した3Dボディスキャナーは、試着室の中で自分の身体のあらゆるサイズを5秒で計測できるので、販売員による計測のわずらわしさや恥ずかしさを感じることはありません。

また、IBMのAIテクノロジーに当社の接客ノウハウを学習させた接客AIは、お客様の悩みやインナーウェア選びで重視する点、デザインや素材の好みをもとに、お勧めのインナーウェアを提案します。この接客AIは店舗に置いてあるタブレットを使ってお客様お一人で簡単に操作できるので、気兼ねなく自分に合うインナーウェアを探すことができます。

店舗には販売員がいますので、商品、もしくは接客AIの使い方について質問を受ければ答えますし、3Dボディスキャナーの使い方もサポートします。また予約制になりますが、確かな知識を持つビューティーアドバイザーによるカウンセリングで、個別のお悩みやご要望に応じた商品のご提案を受けていただくこともできます。お客様は自分のペースで自由に商品を選び、試着し、購入することができます。

——反響はいかがですか。

下山 実はこの直前の4月に、表参道ヒルズでポップアップショップを24日間出店したのです。そこは商品を販売せず、新しい接客サービスを体験するショップでしたが、おかげさまで約2500名のお客様に来店いただき、そのうち1000名近くに「3D smart & try」を体験していただきました。口コミで話題が広がり、開店前から行列を作って待つお客様が増えたため、急遽一部の時間帯には予約制度を設けたほどです。

セールでもなく、限定商品を販売しているわけでもないのに、これだけ反響があるのはなぜか。それは「テクノロジーを使えば、自分の身体のことが正確にわかる」ということに多くの方々が価値を感じてくれたからだと思います。特にボリュームゾーンとなった20代後半〜30代の女性たちには、「自分の正確なサイズを知り、自分に合ったインナーウェアを着たい」というニーズが高いので、それが来店につながったのでしょう。

東急プラザ表参道原宿にオープンした店舗も、予約が必要なカウンセリングは常に1カ月半先まで予約が埋まっています。また、平日でも平均80名ほどのお客様が来店しており、「3D smart & try」のサービスを体験した4人に1人は商品を購入しています。これはかなり高い数字といえるでしょう。

 

リアル店舗を大切にしてきたワコール流のデジタル変革

――消費者が感じていたリアル店舗におけるインナーウェア購入の不満や課題を、テクノロジーで解決したわけですね。テクノロジーを活用するならば、リアル店舗でなくECの機能強化に向かう方向性もありますが、次世代型のリアル店舗開発を進めた理由は何なのでしょうか。

下山 当社のEC売上構成比は約13%ですが、一般的なアパレルブランドは10%未満なので、おっしゃるとおりインナーウェアという商品特性とWeb購買の相性は良いのでしょう。ですが、私どもはWebだけで完結する世界にはしたくありません。

ワコールは、地域に根付いた小さなお店から大規模な百貨店まで、さまざまな形の店舗を持っています。そこで、販売員の手からお客様のニーズや希望に応える商品を手渡すことで、商品の価格以上のストーリーができると考えているのです。そういう価値観が広がって成熟した世界が生まれることがビジネスだと思っています。

ワコールは国内のトップメーカーとして、これまで脈々と続けられてきたビジネススタイルを、次世代に継承していく役割があると考えています。だからこそ、リアルな接点を大切にしたい。一般的にオムニチャネルと言えば、Webもリアルも全部ひっくるめて、どこに投資していくかという話になると思います。ただ、私たちは「リアルのデジタル化」という観点で考え、今回のプロジェクトに着手したわけです。

——「リアルのデジタル化」と一言でいうのは簡単ですが、そこから具体的なユーザーエクスペリエンスや仕様を設計していくことは非常に難しいですよね。そこはどう進めていったのですか。

下山 なぜお客様がWebで商品を買うかといえば、それは単純に「便利だから」なのです。ならば、スマホでお客様が自由に買い物を楽しむように、店舗でもデジタルツールを使って自由に過ごしていただけるようにしたいと考えました。そのツールが、接客AIと3Dボディスキャナーだったわけです。

——ユーザーエクスペリエンスの設計において意識したことを教えてください。

下山 店舗の設計にしても、デジタルツールの選定やUIの設計においても、デザイン上意識したことがあります。お客様がどういうところに惹かれるのか、SNSやインスタでどういうシーンをアップしたいのかを考え、クラシカルさや自然をイメージしたデザインにしたのです。デジタルを活用したサービスだからこそ、逆に、たとえば、目を見張るようなフラワーコーディネートだったり、壁の木目だったり、そういう部分に意識を向けました。

UIに関しても専門家の方に意見を伺い、同じような理由でiPadを採用しました。お客様が一番触れることになるタブレットは、武骨なものより、スタイリッシュでかっこいいものの方がいい。考えてみれば、接客AIではスマホより複雑な操作を行うのに、スマホ以上にわかりにくいUIだったら、お客様の負担になってしまいます。だから、わかりやすさには徹底的にこだわりました。おかげさまで、タブレットの使い方がわからないというお客様は、これまでいらっしゃいません。

 

デジタル化が、お客様一人ひとりに寄り添うことを後押し

――この次世代店舗プロジェクトは、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

下山 2016年に現在のワコールの会長、社長の声がけのもと、デジタル変革を推進することになりました。そこで若手社員を中心に、具体的に何をやるべきか、いろいろな観点で話し合ったのです。

あらためて言うまでもありませんが、ビジネス環境は刻々と変化しています。当社であれば、従来は1つの商品をたくさん作り、より多くの方に買っていただくビジネスでしたが、今はそういう時代ではありません。「一人ひとりの方により適したもの、さまざまなニーズに応えられるものを提供する」時代になっています。

昔はテレビCMで1つの商品をPRすれば大勢の方にご購入いただけたのですが、いまは一人ひとりに細分化してアプローチしないといけないのです。そうなると、やはりテクノロジーが必要なのです。そういう経緯があって、デジタル変革に踏み切ることにしました。

——テクノロジーを活用し、よりきめ細かいお客様のニーズに対応したり、その人に合った提案をしたりするためにデジタル変革に着手したわけですね。

下山 そうです。人間であれば、1000万人のお客様一人ひとりの購入履歴を記憶し、どういう商品が合っているのかを考えることはできませんが、テクノロジーを使えば可能です。

「デジタル化が進むと、人間らしさが失われる」とよく言われますが、お客様にとってはむしろ、「より自分のためになっていく」と言えます。つまりテクノロジーの活用によって、私たちは1人のお客様と、より深く、広く、長く、寄り添うことができるわけですね。

この「深く、広く、長く」は、ワコール社内に元来根付いていたコンセプトです。それがテクノロジーの活用で真に実現できるようになりました。私どもは、お客様の大切なデータをお預かりし、人生のステージにおいてより美しく健康でいられるような提案につなげていきたいと考え、その寄り添い方の1つとして、今回の接客サービスを開発しました。

 

新しい発想を促す鍵は「真のお客様」を見ること

――新しい発想やアイディアを生み出すに当たり、注力されたことを教えてください。

下山 やはり、お客様を見ることですね。プロジェクトの過程ではペルソナ設計などもやりましたが、ペルソナはどこまでいっても机の上で考え出されたものであり、実際のお客様ではありません。仮説の上だけで話すのではなく、実際のお客様をきちんと見ることが重要だと思います。

もちろん、ペルソナ設計も「思考を回転させる」という意味では有用です。ですが、それに囚われ過ぎると、ゲームでしかなくなります。ゴールであるお客様にどれだけ近づいて、物事を判断できるかがポイントですね。

——実際にデジタル変革を進める上で困難だったことは何でしょうか。また、それをどう克服していったのでしょうか。

下山 実績があり、ビジネスプロセスが確立されている企業の場合、なかなか改革が進まないと言われています。当社もそのような傾向が若干あったかもしれません。

今回のデジタル変革を推進している私の部門は、幸いなことに会社の理解があり、従来とまったく違うフラットでシンプルな組織なので、ベンチャー並みにスピード感ある判断や行動ができました。

また、今回の店舗設計・開発に関しては、これまで取引のあった会社ではなく、完全に新規でスタートしました。IBMさんもそのうちの1社です。これも、今回の店舗プロジェクトの成功要因だと思います。

——デジタル変革に反対する考えについては、どのように対応したのでしょうか。

下山 会社からのミッションは「デジタル変革をとことん進めてほしい」というものだったのですが、「一歩何かが進んだら、それ以上のことを社内外の関係者にきちんと説明してほしい」と言われました。

正直、大変なことだと思いましたが、新しいことを成功させるには、その施策の狙いやコンセプトを社内のすみずみまで浸透させ、理解してもらうことが鍵となります。なので、一歩、二歩、三歩進んだら社内へ徹底して説明することを繰り返しました。この点はIBMをはじめとする協力会社の方にもご協力いただき、その取り組みによって短期間でここまで前進できたのだと思っています。

 

人間の温もり✕デジタルが女性にもたらす新たな価値

――これからさらにデジタル変革を進めることが、ワコールのビジネスにどのようなインパクトを与えるとお考えですか。

下山 それはもう、大変大きなインパクトがあると考えています。

当社には、ワコールのものづくりを科学的な視点から支える「ワコール人間科学研究所」という組織があり、そこでは女性の身体に関する研究データが膨大に蓄積されています。

今回の3Dボディスキャナーは、現在のペースでいくと1店舗当たり年間1万8000体の3Dデータが蓄積されます。その膨大なデータを既存のデータと共に活用すれば、女性がより美しく、健康でいられるインサイトが得られると期待できます。

今回の取り組みにより、こうしたビッグデータに、アパレルはもちろん、医療機関などにも注目していただいており、いくつか協業の話もいただけるようになりました。私どもは、お客様の大切なデータをお預かりするのなら、そこからより優れた提案を生み出すように有効活用したいと考えています。

——新しいビジネスモデルを実現する“コグニティブ・エンタープライズ”へと進んでいくわけですね。すべてがデジタル一辺倒ではなく、リアル店舗のデジタル化を起点に変革を進めているという点で、今後の展開が楽しみです。

下山 そうですね、当社はそもそも販売員やデザイナーなど「人間の手」を軸に成長してきた会社です。繰り返しになりますが、デジタルだけで完結する世界にはしたくないんです。「デジタルが行き着くところは人間だ」と言うと、安直なSF小説のように聞こえるかもしれませんが、私はそれを本当にやりきりたいと思っているんです。

ワコールは、これまで販売員の手からお客様の手へと商品を渡し、その商品の感想やフィードバックをもらって、それを商品開発に活かすというサイクルを作り上げてきました。これをデジタルでさらに加速させていけばもっと素敵な世界になると考えていますし、それを実践したいと考えています。