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日本が超高齢社会を乗り越えるには?医療×テクノロジーの挑戦

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2018年現在、日本の高齢化率(65歳以上の人口比率)は28%に達しており、その率は年々上昇している。こうした中で近年クローズアップされているのが人々の健康寿命(心身ともに自立し、健康的に生活できる期間)だ。AIやテクノロジーを活用することで平均寿命と健康寿命の差をいかに短縮し、元気な高齢者が活躍する社会にできるか。カギとなるのは「パーソナライズ」だ。超高齢社会をビジネスチャンスと捉え、新たな産業を創出するための最新の取り組みを紹介する。

IBM金子達哉氏

金子 達哉
日本アイ・ビー・エム株式会社 グローバル・ビジネス・サービス事業
ヘルスケア・ライフサイエンス事業部 パートナー 理事


米国の大学で経営学・会計学の学士を取得後、プライスウォーターハウス株式会社に入社。プライスウォーターハウス、プライスウォーターハウスクーパース、IBMを通じて、国内、海外を併せ多くの製薬企業対象のプロジェクトを経験し、プロジェクト・マネージャーを担当。研究開発、サプライチェーン・マネージメント、営業・マーケティングおよびIT戦略において、主にグローバル・スコープのプロジェクト・マネージャーを歴任。ライフサイエンス・製薬事業の責任者を経て、現在ヘルスケア・ライフサイエンス事業におけるコンサルティング、システム構築、システム保守サービス3部門の統括責任者。

 

超高齢社会を「成熟した社会」と再定義する発想の転換が必要

――超高齢社会を迎えようとしている日本は、年金などの社会保障の問題や生産労働人口の減少など、さまざまな課題に直面にしています。こういった状況をどのように捉えていらっしゃいますか。

金子 そもそも超高齢社会というものはどんな社会なのか。素直な見方をすれば、人々が今よりも長寿になっている状態です。日本では「少子化によって若年層が1人で高齢者を何人も支えなければならない」という面ばかりがクローズアップされて問題になっていますが、それは今の状況を現行の制度に当てはめて考えてしまうことが原因です。

現在の社会保障制度というのは超高齢社会を想定して作られてはいません。だからこそ超高齢社会をあえて「成熟した社会である」と捉え、それに見合った制度を作っていく。今の日本にはそういった発想の転換が必要だと感じています。

――問題にばかり目を向けるのではなく、社会そのものの捉え方を変えるというのは新しい視点ですね。そうした場合、現在特に注目されているヘルスケア領域ではどんな課題があると思われますか。また、それを解決してどのような社会を目指すべきとお考えでしょうか。

人々の長寿化が進み、社会が成熟していく中で、平均寿命と健康寿命の差をいかに短縮するかが大きな課題となっています。厚生労働省の最新の調査(編集部注※1)では、2016年時点で平均寿命と健康寿命の差は男性が8.84年、女性が12.35年となっています。前回調査の2013年に比べると男性は0.18年、女性は0.05年改善されていますが、依然としてその差は大きい。要介護の生活が長くなれば、本人はもちろん、家族の負担も大きくなる。それがもしテクノロジーの力を借りて健康寿命と平均寿命がイコールになったら、こんなに素晴らしい社会はないのではないでしょうか。それを実現するために我々はいくつもの研究に取り組んでいます。

(※1 第11回健康日本21(第二次)推進専門委員会 より)

IBM金子達哉氏

 

学術機関や地方自治体と取り組む遠隔医療の実現

――IBMでは大学病院、地方自治体、パートナー企業などと連携してヘルスケア領域における高齢者施策を進めています。具体的にはどういうことをされていますか。

金子 主にテクノロジーを活用した遠隔診療、あるいはさまざまなデータを連携したプラットフォームづくり、あらゆるステークホルダーが自由に使えるエコシステムの構築、多業種の企業や病院などを交えた地域医療や高齢化対策のコンソーシアムの運営などを行なっています。

――医療従事者が不足している今、遠隔診療は社会実装が待ち遠しい医療の形の一つです。

金子 遠隔診療については、順天堂大学医学部や福島県会津若松市などと共同研究を進めています。

順天堂大学との研究では、AIを用いた診断支援などのシステムを開発しています。対象はパーキンソン病や認知症などの神経変性・認知症疾患などで、すでに2017年からタブレット端末を用いた遠隔診療サービスをスタートさせています。そこで集めたビッグデータを解析することで、疾患の早期発見や悪化防止、または生活レベルの維持に向けた研究を進め、利便性の高い診療システムを開発することが目的です。

IBMの役割は、患者個人のデータを集めて疾患の早期発見などにつなげていくことです。たとえばロボットを相手に患者にしゃべってもらい、音声データをAIを使ったディープラーニングを用いて分析することで、その人の健康状態を判断するといった研究を行なっています。この共同研究には、他に食品・飲料系のメーカーやリース会社、生命保険会社、金融機関などの企業が参画していて、研究結果をそれぞれの分野において事業化し、社会に還元していくことを目的としています。3年後には商品化されたソリューションを市場に提供する予定です。

――かなり具体的なところまで取り組みが進んでいるのですね。地方自治体とはどんな取り組みをされていますか。

金子 福島県の会津若松市と、やはりパーキンソン病の患者に向けたソリューションを開発中です。市内にある竹田綜合病院と連携し、オンラインによる遠隔診療の開発に取り組んでいます。従来の外来診療は、毎回、病院に足を運んで医師の診察を受け、薬を処方してもらう形が一般的でした。しかし、このシステムが実用化すれば、病院に行くのは初診の時や手術や検査、緊急を要する場合だけで済むようになります。通常の診察はタブレット端末を介して自宅など好きな場所で受けられ、処方される薬も薬局から自宅まで直接届くようになる。

特に地方の場合、家と病院が離れているケースが多く見られます。遠隔診療が実現することで、交通費や移動時間の節約に加え、予約時間通りの受診が可能になるなど、多くのメリットが生まれます。また、医師や薬局と患者の間でやりとりされる情報が電子化されるためデータ分析もしやすく、診療に生かすことができるようになります。会津若松市ではこのオンライン診療システムを実用化し、世界に発信していこうと考えています。最終的には機能や対象を拡張し、超高齢社会におけるスマートシティを実現するのが目標です。

 

認知症の取り組みに見る企業連携のカタチ

――他に現在進行中のプロジェクトはありますか。

金子 会津若松市に先立って高知市のいずみの病院とはやはりパーキンソン病の遠隔診療を行なっています。また、製薬会社をはじめ、自動車メーカーやコンビニチェーンといった異業種との連携で認知症対策のプラットフォームづくりに取り組んでいます。認知症は、薬の服用だけでは治療が難しい疾患です。超高齢社会で認知症患者が増加する中、対策には製薬会社だけが向き合うマンツーマンディフェンスではどうしてもカバーしきれないケースが生じてしまいます。そこで自動車メーカーなどの異業種の企業と組むことでゾーンディフェンスに切り替えていこうと、そういう発想からデータ連携によるエコシステムを構築しているところです。

認知症だけでなく、日本では今、ヘルスケアアプリケーションだけでも多くの企業や団体、医療機関が多種多様なものを開発し、それぞれがデータを生み出しています。そして、そのデータが、パブリッククラウド、プライベートクラウド、オンプレミスなどさまざまな形で存在する。これらの散在しているデータをマルチクラウド、ハイブリッド・クラウド技術で統合し、専門家の知見や研究結果を連携させていく。超高齢社会ではこうしたエコシステムが求められています。

――さまざまなパートナーと連携しているわけですが、ヘルスケア領域におけるIBMの強みとは何でしょうか。

金子 テクノロジーの面で言うと、IBMでは、長年、電子カルテという形で医療機関のインフラを支えてきました。そこで得たデータの連携や活用方法といったノウハウや、ソリューションのためのテクノロジーも備えています。加えて、医療業界とはコンサルティングという面でも長いパートナーシップがあります。パートナーはIBMと連携することで、IBM Watson APIやブロックチェーン、RPAなどの最新のテクノロジーをニーズに応じて活用できます。また、グローバルな展開ができるという点も他の日本企業には無い強みだと思います。加えて、最近は民間だけでなく政府系のプロジェクトにも多く関与させていただき、ナレッジを蓄積していますし、これも大きなポイントだと自負しています。

 

医療データの法整備は日本の課題

――一方で、プロジェクトの推進にあたり課題はありますでしょうか。

IBM金子達哉氏

金子 日本が加速度的に超高齢社会に変化していくなかで政府や関係省庁も対応を進めています。ただ、日本は患者のデータなど個人情報に関するものについて、センシティビティー(敏感さ)が行き過ぎている印象を受けます。そのため、情報を十分に管理、保護できるセキュリティーの技術はあるのに開発が進捗しないというケースがよく見られます。確かに利便性を追求すると、法的にグレーゾーンとされるところに触れることがあります。そこに対する法整備ができていないため、企業や団体など技術を開発する側が敬遠してしまっているのが日本の現状です。海外では国によってはトップダウンですべてが決まってしまうこともあり、そういう国と比べるとどうしても遅れてしまう。遅れないようにするには、というより、遅れていることを認めた上でどうしていくべきかを考えていく段階に日本はあると思います。

とはいえ国レベルだとどうしても意志決定に時間がかかるので、企業はむしろ政府よりも地方自治体と組んで成功体験を積むことが重要だと考えます。先ほど申し上げた会津若松市のような自治体との成果を出し、それを日本全国や海外に広める。そうしたやり方が現実的です。アメリカを見ても、州によって認められていることが異なりますし、やはり規制に対して柔軟な国や地域の方が先進的な取り組みが進んでいるように思われます。

IBM金子達哉氏

――高齢者の中にはデジタルが苦手、嫌いといった抵抗感を持つ人もいるように思えるのですが、そういった部分で「壁」となるようなことはありますか。

金子 個人的な感想なのですが、実証実験などを通して、地方の高齢者の方が東京などの大都会の高齢者よりもデジタルに慣れている印象を受けます。東京に比べるとコミュニティーのつながりがある地方の方が、かえってスマートフォンなどを使用した情報交換の機会が多いようで、中にはかなりデジタルに精通している方もいます。仮に不慣れな方でも、タブレットやスマートフォンは指でタップするだけで操作できるので、遠隔診療の際も医師と電話で話しながら画面の指示されたところをタップすればすぐに使えます。この点については壁や格差といったものは、多くの方がイメージされるより少ないと考えています。そこに加えて、テクノロジー自体の進化にも注目していただきたいと思います。たとえば音声のデータを収集する際などもIBM Watson APIを連動させたロボットならば親しみやすく自然な会話が可能となりますし、そのぶん正確なデータが取得できると期待しています。

 

医療のパーソナライズと地方発のイノベーションで健康寿命を延ばす

――今後、ヘルスケア領域でのテクノロジーの活用が進み、新たな医療サービスが社会に実装されていくことで産業に対してどのような影響を与えることになるでしょう。

IBM金子達哉氏

金子 医療に関して言うと、キーワードの一つとして「パーソナライズ」が挙げられます。バラバラに管理された個人の多種多様なデータをマルチクラウド・ハイブリッドクラウドで統合し、それをAIが分析する。そしてその分析結果をもとに医師や専門家がその人に最適な診療や保健指導を行なう。一人一人の遺伝子の解明により、パーソナライズされた創薬や医療が可能になることも考えられますし、それに伴い自由診療といった分野も伸びていくかもしれません。もちろん、保険診療というのは素晴らしい制度なので、そこを維持したままプラスαとして自由診療というアディショナルなサービスが普及していけばいい。いずれにせよ、こういった変化が大きなビジネスチャンスを生むことは間違いありません。

一方で、地方自治体の取り組みがさらに盛んになっていくことも予想されます。地域ならではのユニークな取り組みがどんどん発展して、そこから世界に発信できるような新しい産業が生まれていく。日本からイノベーションを起こすにはその方法が合っているように思われます。明治以前の日本は会津藩や長州藩などそれぞれの藩が教育をはじめ様々な分野で独自の素晴らしい取り組みをしていました。そのような雰囲気を再び高め、地方発でイノベーションが起こっていくことを願っています。

IBMとしても、これまでの事業に加え、テクノロジーやサービスがBtoBtoCのような形でコンシューマー(消費者)としてでもペイシェント(患者)としてでも、ユーザーの方々に手軽に利用していただける仕組みを作っていきたい。この結果、人々が自分の健康状態を知り、健康であることを生きがいにして、健康寿命が少しでも伸びていけば大変うれしく思います。