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ライゾマ×IBM対談、建築とAIが提示するスポーツの新たな体験価値

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2016年秋、日本初となるプロバスケットボール「Bリーグ」が開幕。2020年には東京オリンピックを控え、あらためてコンテンツとしてのスポーツに対する関心が高まりを見せている。同時にスタジアムやアリーナの役割も、従来のスポーツ観戦、イベント開催というハード面だけでなく、地域の人との交流、スポーツ体験を通じた新たな価値の提供といったソフト面の価値がクローズアップされてきている。

街を活性化させ、魅力的な場所であり続けるため、今後のスタジアム、アリーナが果たす役割はどう変わっていくのか。また、そこにデータや新しいテクノロジーがどのように貢献できる可能性があるのか。株式会社ライゾマティクスの代表取締役、並びに同社の建築部門「Architecture」代表を兼任する齋藤精一氏と、日本アイ・ビー・エム(以下、IBM) のコグニティブエクスペリエンスプロデューサー・岡田明の両氏に、「新しいスポーツのスタジアム、アリーナのあり方」をテーマに議論を交わしてもらった。

齋藤 精一(写真左)
株式会社ライゾマティクス 代表取締役、 Rhizomatiks Architecture主宰
クリエイティブ・ディレクター、テクニカル・ディレクター

1975年神奈川生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からNYで活動を開始。その後ArnellGroupにてクリエイティブとして活動し、2003年の越後妻有トリエンナーレでアーティストに選出されたのをきっかけに帰国。その後フリーランスのクリエイティブとして活躍後、2006年にライゾマティクスを設立。建築で培ったロジカルな思考を基に、アート・コマーシャルの領域で立体・インタラクティブの作品を多数作り続けている。

 

岡田 明(写真右)
日本アイ・ビー・エム株式会社 GBS事業本部 コグニティブ ビジネス推進室
コグニティブエクスペリエンスプロデューサー

商社を経て2002年に野村総研入社。流通業や金融業、不動産業など、実店舗とデジタルテクノロジーによる顧客接点変革のコンサルティング、システム導入経験を有する。2015年、IBMiXに参加。デジタルとフィジカルを融合した顧客体験価値創造をサポートするとともに、2016年より現職にてWatsonを中心としたコグニティブ技術によるコグニティブ・ビジネスを推進。テニスの4大大会のデジタルエクスペリエンスなど、グローバルに展開するIBM SPORTSの日本での展開も推進。

 

スタジアムを起点に、街全体をコンテンツと捉えることが大事

──近年では、日本においても「スポーツを活用したまちづくりや地域活性化」に関心が高まり、新しいスタジアムやアリーナの整備を行う自治体も増えてきています。まず、スタジアム運営におけるIBMの取り組みについてお聞かせください。

岡田 本拠地という側面を含め、スタジアム運営はプロスポーツの取り組みにおける大きな柱の一つです。例えば、米国のジョージア州アトランタに建設中の「メルセデス・ベンツ・スタジアム」は、75,000人収容のドーム型スタジアムで、NFLのアトランタ・ファルコンズや、メジャーリーグサッカーのアトランタ・ユナイテッドFCが本拠地として使用する予定です。

スタジアムを起点に、街全体をコンテンツと捉えることが大事

IBMはこの建設計画にテクノロジーパートナーとして参画し、観客に最新のユーザー体験を提供するテクノロジーを投入しています。Wi-Fi完備はもちろんのこと、スマホなどで来場前に駐車場の空き状況が把握でき、観客席でビールやグッズなどを購入すれば、それが席まで届く――。スポーツを楽しむためのデジタル要素が完備されています。

──齋藤さんは今後のスタジアムやアリーナを建物、ハードとして考えた時、どんな点が重要になってくるとお考えですか?

齋藤 スタジアムによって、その近隣地域がどう変わっていくかが大事です。スタジアム内の体験は、テクノロジーの活用でどんどん整備され、進化していきます。個人的に興味があるのは、それが街とどうつながっていくかという点です。

スタジアムは、イメージとしては高い壁で囲われた建物です。この明確な境界線の存在が、そこへ入ったときの臨場感や非日常感を高めてくれます。しかし、境界線をあまりにはっきりと引き過ぎると、スタジアムを使用していない時に周囲と分断されてしまい、疎外感や異物感が強まり、街とは切り離されてしまいます。

スタジアムを起点に、街全体をコンテンツと捉えることが大事

スタジアムを使っていないとき、そこをどう活用するか。イベントに応じて境界線に強弱をつけるとか、意識的に境界線を弱くするといった考え方は、スタジアムの「活用」フェーズでの議論かもしれませんが、その道具としてテクノロジーに可能性があると考えています。

日本のプロ野球(NPB)でも、メジャーリーグ・ベースボール(MLB)にならって、スタジアムの価値を再定義する動きが活発化しています。横浜DeNAベイスターズが「ボールパーク構想」を掲げて球場のライトスタンドを取り払った未来予想図を発表したり、最近では、東北楽天ゴールデンイーグルスや広島東洋カープなどが球場のリニューアルに積極的に取り組んだりしています。こうした動きの中でも、物理的な障壁の排除というのは街との関わりという意味で、今後のスタジアムのあり方として大事な要素になってくると思います。

──米国では、アメリカンフットボールを観戦しに来たファンが、試合前に駐車場でバーベキューパーティーを楽しむ文化があります。スタジアムを中心にスポーツ以外の楽しみ方が文化として根付いていくことが、スタジアムの障壁を取り除く要因になりますか?

岡田 そうした文化を根付かせるためには、地域住民の理解を得て、巻き込んでいく必要もあります。しかし、日本で地域振興、地域密着というと、どうしても「使用予定のない日に、スタジアムを住民にも開放する」など、ハードを中心に発想しがちです。本質はそこではないと思うんですね。

齋藤 街とスタジアムをどう融合していくかという観点で、観戦客だけでなく、地域住民のためにも新たな体験をデザインすることを考える必要があります。

岡田 スタジアム運営という意味では、マネタイズも重要です。しかし、スタジアムが地域にもたらす貢献を可視化する指標がないのが現状です。

齋藤 マネタイズのための計算式が、従来のように「年間プロ稼働が何日間で、それに加えてコンサートなどのイベント興行が何回で黒字達成」というようなものでなく、新たな価値評価の指標を作っていかないと、なかなか差別化が難しいのは事実です。

しかし、スタジアムやアリーナが完成すれば、地域の活性化には必ず貢献すると思います。近所の飲食店も活性化するでしょうし、地元で育った子どもがスタジアムを本拠地とするチームのファンになり、ゆくゆくはプロ選手になるかもしれません。そうしたスタジアム、アリーナの地域貢献を可視化する指標づくりのため、行政が今までとは異なる立ち位置で、「街にスタジアムを造るなら、こうすべきだ」というビジョンを持つことが大切です。

岡田 スタジアムを起点としたまちづくりという意味では、街全体をコンテンツと捉えることが重要だと考えますか?

齋藤 まさに、そこにテクノロジー活用の可能性があると思います。以前、「これからは『住民』という呼び方をやめよう」ということを話したことがあるのですが、「住民」という言葉からは、一人ひとりの顔が全く見えません。そこに住む人には、例えば「IBMに勤める人」とか、さまざまなバックボーンや属性がありますよね。

「住民」よりも深く「その人を知る」という点に、テクノロジーが介在できると思います。データや知見からその人のニーズを知り、例えば施設や周辺で提供する飲み物、ピザのトッピングの具を決めていく。それがひいては、スタジアムの価値を可視化する指標につながっていく気がします。街のことを理解する指標がテクノロジーによって提示可能になれば、スタジアム内の体験もどんどん即時的にアップデートしていけるのではないでしょうか。

スタジアムを起点に、街全体をコンテンツと捉えることが大事

 

「情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

──ハードとしてのスタジアムの「所有」に価値が生まれるのではなく、それを「利用」することで価値が生まれてくると。

齋藤 最終的にスポーツを届ける先は人ですし、体験するのも人。それは普遍的なもので、今後も変わりません。今は実際にコンテンツに向き合う人を中心に、スタジアムの価値を再定義することが求められていると思います。

具体的に説明すると、僕は大学院時代の研究で、建築のモーフォロジー(morphology:形態学)について学びました。街の状態や使っている人の状態に応じて、建物がどう変わるか。例えば、街にある歩道橋は、朝、昼、晩という時間帯によって、使う人も通行量も変化します。朝はビジネスマンの通行が多く、深夜は通行する人が少ないということであれば、深夜は歩道橋自体が姿を消してしまうとか、昼間に足の不自由な人が通行するときには、スロープの角度を緩くするとか。

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

マーケティングでいうところの「One To One」のような発想で、テクノロジーによって歩道橋が「意思」を持ち、通行する人や状況を自律的に判断し、まったく異なる世界を提示する。そうしたものが、スタジアムで実現できれば面白いと思います。

──ニーズに応じて柔軟に姿を変えるという意味では、スタジアム、アリーナ自体もどんどん「ソフトウェア化」していくというイメージでしょうか?

齋藤 ハードであるスタジアムを「生き物」のように見立て、その血流となるのが集まる人々。その人たちがどう感じているかに応じて、「今日は外野席を取り払おう」とか、スタジアムがダイナミックに姿を変えるという発想です。

どうしても建築は「置いたら終わり」になりがちで、設置後は維持管理されるだけ。それをもっとソフト寄りにして、いかに魅力を維持するか、ワクワク感を保つのか。そこにテクノロジーが介在すれば、スタジアム運営にとって大きなブレイクスルーになると思います。

岡田 私は静岡出身で、試合がなくてもつい日本平スタジアムに行ってしまうほど地元サッカーチームのファンです。試合のない日でも、スタジアムを訪れると自分の思い出の中にある過去の試合のシーンが蘇ってくることがあります。

そんな時、例えば「IBM Watson(以下、Watson)」が、私の好みや嗜好を過去のソーシャルの投稿などから自然言語処理で理解し、「岡田さんにお勧めの動画です」と過去の試合の名場面を流してくれるとか、スタジアムと話ができるような体験を提供できれば面白いと考えています。

──物語や体験がその人の中にあるからこそ、スタジアムが人を引きつける場所になっていく。そうした情緒的な情報をAIによって可視化、把握できる可能性はありますか?

岡田 価値は「機能的価値」と「情緒的価値」に分けられます。機能的価値は過去の行動履歴から「この人は水を買うだろう」など、マーケティング視点から予測してレコメンドすることです。一方、情緒的価値は、その人の中にある数値化できない価値を可視化することです。

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

デジタル化が進み、ソーシャルへの書き込みなど、数値化できないさまざまな非構造化データが急速に増加しています。Watsonの活用により、購買履歴や顧客情報などの構造化されたデータではなく、非構造化データからリアルタイムで傾向を分析することが可能になれば、情緒的価値をデータとして活用できる可能性はあります。

齋藤 機能的価値は、比較的見えやすい“算数”的なものです。そこに、いかに情緒的な“国語”を入れていくか。テクノロジーと情緒的価値が結びつけば、一気に価値が高まりますよね。

情緒的価値という側面から見れば、スタジアムには大きな可能性が秘められています。スポーツには人を引きつける求心力があり、情緒的価値の高いコンテンツです。Watsonによって情緒的価値が分析可能な対象になれば、新たなスタジアムの価値基準、指標が生まれる可能性があります。

──テクノロジーでスポーツをどう表現し、さらに面白く見せるかという可能性についてはどう考えますか?

岡田 IBMはテニスの4大大会で、「スラムトラッカー」という予測分析ダッシュボードを提供しています。これは、どこにボールを打ったかという位置や心拍数などの各種データを解析して試合を予測するツールで、試合中のトッププレイヤーの意図や戦略が、データで可視化できるようになりました。前回の全米オープンからは、プレー中の選手の感情も数値化して解説者向けに提供しています。映像だけでは見えない心理戦がデータでひもとけるというのも、テクノロジーの大きな進化です。

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

全豪オープンではキオスク端末でデータを参照できる

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿
情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

齋藤 それが進めば、例えばVR(仮想現実)やAR(拡張現実)などと組み合わせて、「あのときの、あの試合が再現できる」とか、4大大会のセンターコートに子どもを立たせて、決勝戦のスタジアムの臨場感を擬似的に体験させるなども考えられますね。

岡田 NPBとMLBを比較すると、20年前は同じ市場規模だったのが、今では8倍もの差があります。これは、MLBがファンサービス、体験の提供を含め、メディア、マーケティングが一体となった取り組みを続けてきた成果だと思います。

遅れをとった形にはなりましたが、日本でも同様の取り組みを始めなければいけません。IBMは米国でこの分野に積極的に投資しているため、日本で果たすべき役割も大きいと考えています。米国の取り組みの根底にある原理、考え方を整理しつつ、先進的な事例の良いところを学んでいくことができるからです。

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

今回、対談の舞台となったライゾマティクスのオフィス

──最後に、2020年のオリンピック、パラリンピック以後のスタジアム、アリーナの継続的な有効活用に必要な要素について聞かせてください

齋藤 先日、有明アリーナの建設が正式に決まりましたが、2020年に向けてさまざまな施設建設が計画されています。しかし、箱だけ造っても失敗するというのは、過去の歴史を見ても明らかです。

造るだけでなく、周辺の企業や住民、あるいはファンを巻き込んで、どう活性化させていくか。オリンピック後の使い方を含めて活用方法をしっかり考えて造らないと、本当の意味で今後、何年にもわたって活用されるレガシーにはなりません。リードタイムを考慮し、今から取り組んでいかなければ間に合わないという危機感を持ってほしいです。

岡田 事業者としては黒字化しないといけませんし、一方で、まちづくりの観点も大事です。そのためには、情緒的価値を数字や目に見える形で示していくことが求められると思います。

情緒的なデータ」によって、柔軟に形を変えるのが未来のスタジアムの姿

齋藤 例えば、建物は赤字だけど、街全体で見れば黒字になっているというのは実際にあると思うんですね。しかし、そこが証明できない。人がたくさん介在していますし、一次的連鎖でなく、何重にも連鎖して成り立っているので、直接的な貢献が可視化できません。

結局「コンサート、イベント、プロリーグ」という、従来の黒字化の方程式に対抗できるものがないので、お金の話になると活用の話がしぼんでしまう。そこで、Watsonを使ったりして、情緒的な価値やスタジアムの間接的な経済的貢献を可視化できないだろうかと期待しているところです。

大事なことは、データを蓄積することによってどんどん新たな価値が生まれるということです。今からデータを取得、蓄積していくことで、今後の施設やまちづくりに大きな貢献ができるのではないかと考えます。