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デジタル時代のビジネス・エコシステム――CICから学ぶ業際連合の価値

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2017年12月14日、コングレスクエア日本橋において「コグニティブ・イノベーションセンター・シンポジウム」が開催された。
コグニティブ・イノベーションセンター(以下、CIC)は2016年2月に日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、IBM)が国立情報学研究所(以下、NII)と設立した産官学提携を実践する機関で、日本を代表する上場企業のエグゼクティブや、経営の意思決定に関わるビジネスパーソンが参加している。参加企業はさまざまな業界から集められ、月次で行われる研究会では日本産業の将来について「業際」で真剣な議論が交わされている。IBMは研究会の運営(講師の派遣やテーマの選定)の他、研究プロジェクトのマネジメントを行うなど「CICの旗振り役」を担っている。
本イベントのオープニングに登壇したNII、CICセンター長の石塚 満氏は「日本の産業・社会を元気にし、新しい時代に向けて飛躍させることを目的にCICを設立した」と、発足経緯について説明。CICが追求するソーシャルベネフィットと、業際連合の価値とは? 約175名が参加したCICシンポジウムから、紐解いてみたい。

 

「日本産業の衰退を食い止める」——業際連合で挑むCIC

オープニングで石塚氏の後を受け登壇したのは、IBM グローバル・ビジネス・サービス 戦略コンサルティング&デザインの的場大輔氏。現在、世界時価総額ランキングで日本企業はトヨタ自動車(40位)がトップ。かつ、ユニコーン企業(企業価値が10億ドルを超える非上場のベンチャー企業)数も「日本はメルカリ1社のみ」と他国に大きく出遅れた実状に触れた的場氏は「かつて、Japan as Number Oneと言われたことからすると、非常に寂しい限り」としたうえで、「新しい時代に向けての飛躍を達成するには“業際連合”が不可欠である」と力強く提言した。

講演する日本アイ・ビー・エム株式会社の的場氏。

講演する日本アイ・ビー・エム株式会社の的場氏。

この日のシンポジウムでは、CIC参加企業が業際連合で取り組む研究プロジェクト発の「新事業プラン」がつまびらかになっていく。1つずつ振り返ってみよう。

 

ソーシャルベネフィットを目指す5つの研究成果発表

研究タイトル:ワークスタイル別パーソナライズ健康プランおよび職域保険
参加企業:日本航空株式会社、第一生命保険株式会社、東京海上日動保険株式会社

発表者は日本航空株式会社 取締役会長の大西 賢氏。「30年後には少子高齢化により2,000万人もの労働力が失われる」という社会課題を背景に、航空会社、生命保険会社の業際で“健康経営”に着目した。これまでに日本航空のシフト勤務者2万人の健診とレセプトデータのAI分析を実施し、今後はCIC参加企業に勤める社員の、健診データ以外の日常行動に関するデータ収集にも努めるという。
また、労働者1万人を対象にした「J-HOPE」(北里大学医学部による、労働者の健康格差の実態とそのメカニズムを解明することを目的とした研究)のデータを活用しながら、職場環境と疾病の相関性を解き明かそうとする点が斬新だ。これらの研究成果は、健康プランや職域保険というサービスにも発展させていくことができるだろう。

講演する日本航空株式会社の大西氏。

講演する日本航空株式会社の大西氏。

研究タイトル:技術・技能継承支援サービス
参加企業:株式会社IHI、オリンパス株式会社、DIC株式会社、株式会社小松製作所、アルバイン株式会社、帝人株式会社

発表者は株式会社小松製作所 ICTソリューション本部 フェローの三輪浩史氏、株式会社IHI 理事 航空・宇宙・防衛事業領域 生産センター 所長の須貝俊二氏、国立情報学研究所 CICリサーチアシスタント特任研究員の二宮洋一郎氏の3人。製造業の多い本研究グループは、未熟工に対する熟練工の技術・技能継承支援サービスにチャレンジする。
エンタープライズデータは熟練者のノウハウそのものであり、対象となる熟練工の技術・技能をデータ化するポイントは「(熟練工の)対象作業を深層学習や画像処理で自動判別&学習」「熟練工にとってもごく自然なかたちでデータを集積」「熟練工・未熟工の違いをいかに抽出するか」の3つだった。IHIによる民間航空エンジンオーバーホールをユースケースとしたプロトタイプも紹介された。

講演する株式会社IHIの須貝氏。

講演する株式会社IHIの須貝氏。

研究タイトル:ラストワンインチのインタラクションネットワーク 〜チャットボットを活用した子育て支援コミュニケーション形成
参加企業:ヤマトホールディングス株式会社、明治安田生命保険相互会社、パナソニック株式会社、株式会社三井住友フィナンシャルグループ、株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ、日産自動車株式会社、マツダ株式会社、東京海上日動火災保険株式会社

発表者は明治安田生命保険相互会社 企画部 イノベーション調査室 室長の加藤大策氏。流通業界で「公共インフラから家庭までの最後の道程」というような意味で広く使われる「ラストワンマイル」という言葉があるが、運輸・生保・電機・金融・製造等の多種多様な業種が参画する本研究グループは、その日本版「ラストワンインチ」に着目した。
グループ参加企業社員に対するインタビューから家庭周辺に潜んでいる“社会課題のネタ”を洗い出した結果、とりわけ地域の子育て支援の課題が浮き彫りに。技術力・ファイナンス力・地域住民とのエンゲージメント力を結集しながら、ユーザーの周辺情報をAIで解析、適切な解決策を提案するチャットボットを開発することで、子育て中の母親の孤立化、産後うつの防止を目指すという。

講演する明治安田生命保険相互会社の加藤氏。

講演する明治安田生命保険相互会社の加藤氏。

研究タイトル:健康機能性食品のシステマティックレビューの信頼性向上と省力化
参加企業:キリンホールディングス株式会社、オリンパス株式会社

発表者はキリンホールディングス株式会社 常務執行役員 R&D戦略・品質保証統括の小林憲明氏。消費者庁が2015年4月にスタートさせた「保健機能食品制度」の制度下では「事業者の責任において、科学的根拠に基づいた機能性を表示した食品」であれば「機能性表示食品」の区分けとして販売が認められるが、これらの手続きには論文の選別、成果の科学的評価、その公開など膨大な“作業”が伴うという課題がある。
この作業にコグニティブ技術を活用することで、保健機能食品市場の活性化と品質向上を模索している。実証はスタートしたばかりだが、見込みによると上記の手続きや各種作業にかかり「12日間分の省力効果が認められることがわかっている」とも。また、医療機器を取り扱っているオリンパスの知見を活用できれば、食品に限らない展開ができるのではと今後の期待も寄せ発表を締めくくった。

講演するキリンホールディングス株式会社の小林氏。

講演するキリンホールディングス株式会社の小林氏。

研究タイトル:個人資産のセルフマネジメントの高度化
参加企業:イオンクレジットサービス株式会社、株式会社みずほ銀行、東京海上日動火災保険株式会社、日揮株式会社

発表者はイオンクレジットサービス株式会社 執行役員 イノベーション推進本部長の西村信一郎氏。イオンクレジットサービス利用者の購買情報の利活用は「長年のテーマだった」と冒頭に述べ、これらのデータを個人資産のセルフマネジメントに活用することを目指して、参加企業のさまざまな知見、IBMのコグニティブ技術、NIIの学術的知見を組み合わせながら「AI与信モデル」にチャレンジする。クレジットカード利用者(直近2年間で1,300万人)から「延滞利用者のモデル」を予想・抽出し、中でもコアな属性(30万人)とPOSデータを重ね合わせ統計・分析し、その購買傾向と延滞モデルの相関性を確認した。予測と実際のデータを比較すると的中率は76%に上るといい、「実務ではまだ使えないが、1カ月半でこの検証ができたことは大きい」と発表を結んだ。

講演するイオンクレジットサービス株式会社の西村氏。

講演するイオンクレジットサービス株式会社の西村氏。

 

産業全体のビジネス・エコシステムをどう考えるか?

CIC シンポジウムで実施された他のプログラムについても紹介しよう。

基調講演に登場したのは、ソフトバンクロボティクスでPepper事業のPMO室長を務めたGROOVE X株式会社 代表取締役の林 要氏。業界では知らぬ人はいないほどの実績を持つ林氏は、シリコンバレーでの出資の話を断って2015年にGROOVE Xを立ち上げ、現在は新世代家庭用ロボット「LOVOT(ラボット)」を開発中だ。同社は2017年12月までに80億円を資金調達。LOVOTとは「LOVE×ROBOT」のことで、いまだベールに包まれているが「これまでの機能的な存在とされてきたロボットではなく、人に寄り添い、人を癒やすことで、人の生活の質を向上させる新世代家庭用ロボットとしたい」と展望を語った。
先述の日本IBM的場氏は林氏の発表を受け、LOVOTを「日本的な『空気を読む』という行為を産業化する、大変本質的な試み」と評し、会場は新時代のロボット誕生へ期待を膨らませた。

講演するGROOVE X株式会社の林氏。

講演するGROOVE X株式会社の林氏。

会後半では官・民・スタートアップ、さらにはIBM責任者を招いたパネルディスカッションを実施。モデレーターの本間 毅氏は、2016年「住宅版テスラ」と称される「HOMMA, Inc」をシリコンバレーで創業し、その空気に肌で触れる人物として、本ディスカッションに臨んだ。パネリストは、研究成果発表にも登壇したキリンホールディングス株式会社の小林氏、株式会社ビズリーチ 代表取締役社長の南 壮一郎氏、総務省 総務審議官の鈴木茂樹氏、IBM 取締役専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業の山口明夫氏の4人。

「どこに、どうやってAIを活用すると世の中はよくなるのか?」
「そのときに求められる人材は?」
「人材を育てる方法は? 教育も変わるのか?」
「人間はどこで能力を発揮するのか? クリエイティビティーとは?」
「起業家やスタートアップの役割は?」

などのお題で議論が交わされる中、最も盛り上がりを見せたのは最後のディスカッションテーマ「産業全体のビジネス・エコシステムをどう考えるか?」だった。
総務省の鈴木氏は官の立場から、日本の第1次産業、第2次産業が衰退している実状に触れ「実際は第3次産業がトップ。官の立場はとにかくその流れを止めてはならない一方で、スタートアップを大事に育てていかなければ」と、日本産業の構造的な問題を指摘。それを受けて本間氏は「日本企業の視察団がシリコンバレーにやってくるけど、現地駐在員がガイドしている様子はサファリパークのよう(笑)。丸腰でシリコンバレーに来ている姿には悲しさがある」と、日本企業のマインド面での問題点を口にした。
産業界はどうか。「企業の側がスタートアップに対して“ご支援している”といった風に、自分を中心とした上から目線であってはいけない」とはIBMの山口氏の弁。さらに「旧来の企業だと、変わる勇気・変わらない勇気がある。そうしたジレンマのなかでも、特に変わる勇気のある若者たちとの議論が必要」と結んだ。キリンホールディングスの小林氏は「当社でもアクセラレータープログラムを実施しているが、残念ながら(自社の)枠を飛び越えていない。日本の企業はあくまで“個社”として考えがちなのでまずはそこから脱却しなければ」。対してスタートアップ側の代表としてビズリーチの南氏は、AIを使った人材マッチングの新事業を紹介しつつ「大企業の皆さんに望むことはデータ。データを出資金にしてもいいくらいに思っています」と期待を語った。

パネルディスカッションに臨む、本間氏、鈴木氏、小林氏、南氏、山口氏(左から)。

パネルディスカッションに臨む、本間氏、鈴木氏、小林氏、南氏、山口氏(左から)。

 

自社の利益とは別の次元で取り組んでいる

最後のプログラムはNII 所長 喜連川 優氏による特別講演。喜連川氏は「Societal Benefit first(社会的価値を第一に)」というミッションのもとCICの存在意義を改めて伝えた。そのうえで「日本はもっと“やんちゃ”にならなければ」と語るとともに、ITやテクノロジー進展を発端とした新しい取り組みに対し、個別に進められる法的な整備・改正についてもっと寛容になるべきであると持論を展開。「なんでもいいから、もっといい加減に“やんちゃ”にやらせてみる国家のムードがあってもいい」という提言に合わせて、独自に提案した“やんちゃ法”に会場から万雷の拍手が起こった。

講演する国立情報学研究所の喜連川氏。

講演する国立情報学研究所の喜連川氏。

こうして5時間に及ぶシンポジウムは終了。

「日本産業の衰退を食い止めよう」との号令のもと、現在CICに集う参加企業は20社を超える。新たな社会やビジネスのあり方、企業間連携によるイノベーション創出の可能性についての同団体の議論・研究について特筆すべきは、「自社の利益とは別の次元で取り組んでいる」という点に尽きるだろう。
参加企業やそのステークホルダーの保有するエンタープライズデータや、IBMのコグニティブ技術を中心としたテクノロジーなどの活用を検討するこの座組みは、今後、日本産業界の日を没させないための重要な一手を担うに違いない。