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弁護士・水野 祐氏が語る、先端分野のイノベーションにおける司法の役割

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新しいテクノロジーを背景に、さまざまなビジネスの分野で、既存のビジネスモデルの「創造的破壊」が起きています。しかし、そうした進化の反面、しばしば、新たな社会的価値の創出=「イノベーション」を阻害するのは法律であるともいわれました。

テクノロジーの進化は、人や社会をどのように変え、また、人や社会は、テクノロジーからどのような恩恵を受けるべきなのか。法律と実態の乖離が広がる現代は、それだけ法律に多彩な解釈が生まれる時代といえます。

ネット以降のカルチャーやビジネスの分野に造詣が深く、「法を駆使して創造性、イノベーションを最大化する」ことに取り組む、シティライツ法律事務所の弁護士・水野 祐氏に、イノベーション創出のために、法律や、法律家が果たしていく役割は何かについてお話をお聞きしました。

水野佑氏

──アートやデジタルテクノロジーに関わる領域を専門に手がけるようになったきっかけは何ですか。

僕は大学に入学した1999年に18歳を迎えました。ブロードバンドが普及し、インターネットが広がってきた頃に思春期を過ごした世代です。

僕らの世代は、いわゆるデジタルネイティブな世代ではないし、「インターネット以前」の状況も感覚としてわかっている点で、特異な世代かもしれません。インターネットがビジネスに決定的な役割を果たすようになっている今、企業法務を担当する弁護士も、インターネットをはじめとするデジタルテクノロジーを“肌感覚”として理解できるかどうかが求められています。

たとえば、サービスの利用規約を作るにしても、裁判所まで争われたときにどうなるかはもちろんのこと、ユーザー目線でいかにフレンドリーな規約を作れるかが問われてきます。ネットの感覚を肌で理解している世代と、説明を聞いて頭で理解しているだけの世代とでは、大きな開きが出るはずです。

その意味で、僕はインターネットをはじめとするデジタルテクノロジーが大好きなので、「あの人に聞けば話が早い」というような需要があるのだと感じています。

──先端分野で仕事をしていくのは、その分野のことを教えてくれる先人が少ないという意味でも、難しさがあるのでは。

他の分野に比べて、先人が少ないのは間違いありません。弁護士は判例と法律の基本書の勉強が欠かせませんが、最新のテクノロジーになればなるほど、本で勉強できない部分が多くなります。それは難しさでもありますが、裏を返せば、どの本にも書いていないようなことを、法律的にどうアプローチしていくかを考えていく面白さでもあります。また、既存でなされていた議論のどの部分を援用して、どの部分を「跳躍」するのか、という部分も腕が試されるところです。

──最近はどんな領域の相談が多いですか。仕事内容の傾向はありますか?

主な仕事の分野としては、いわゆるエンターテインメントとよばれる音楽や映画、出版、アニメ、デザイン、アートなどの分野と、特にそれらに最新テクノロジーがかけ合わされるような分野です。

たとえば、「3Dプリンター」には、3Dプリンターなどの工作機械を備えた「ファブラボ」という施設とそのネットワークに早い段階から関わっていたので、最近では、ハードウェアのスタートアップベンチャーや製造業のクライアントも多いです。テクノロジーの進化によって、コンテンツなどのソフトウェアと、ハードウェアの境界線がどんどん曖昧になってきていると感じます。

僕の場合は、紹介制でしか仕事をしていないので、事務所のHPにも連絡先は載せていません。その分、奇特なクライアントがさらに奇特なクライアントを紹介してくれる、というおもしろい流れができているように思います(笑)。

水野佑氏

──では、デジタルテクノロジーと法律の関係についてお聞きします。かつて日本で、検索エンジンがサーバーにWebページをキャッシュすることは著作権違反だと議論されましたが、アメリカではそうでなかった。こういった事は、Googleのような先進企業が日本に生まれない理由の一つだともいわれています。

情報というのは、本来、誰もが自由に利用可能なパブリックドメイン(知的財産権がない状態)であるのが原則で、知財権で独占させる情報というのが例外のはずです。しかし、20世紀後半は、著作権を含む知財権が過剰に強化された時代だったといえます。

「情報は海だ」というメタファーがありますが、僕のイメージでは、大きな海原に、ちょこちょこと権利の「島」が浮いているような風景です。これが、20世紀後半は大陸がたくさんあって、海の方が狭いくらいの息苦しさを感じるほど、権利がクローズアップされました。

一方、インターネットは情報の流通性、自由利用可能性を、再び人々に気づかせてくれました。そこで生まれたのが「オープンソース」や「クリエイティブ・コモンズ」といった考え方です。必ずしも権利にとらわれず、情報を可能なかぎりよどみなく流通させることで、今まで出会わなかった人やモノ、コトが出会い、新しい価値「イノベーション」が生まれるという考え方とも言えるでしょう。

権利保護強化の意識が強いところでは、どうしても人のマインドも固定化してしまいがちです。でも、実は、権利で保護することと、お金が入ってくることは別のことなのです。

──具体的にはどういうことですか。

著作権は違反行為を差し止められる「禁止権」として設定されます。たとえば、これを、著作物はいくらでもコピーは自由だよ、ただし、コピーしたものにはお金を払わないといけないよ、という「報酬請求権」に変える法的なアプローチもありえます。

つまり、今までは、「所有すること」に価値が生まれてきたものを、「利用」してもらうことで価値が生まれるように変えていくことができるのです。ネット時代のビジネスの考え方は、「使われなければ意味がない」というところにありますよね。

──まさにクラウドの考え方が「所有から利用への転換」です。これからの時代は利用が新たな価値を生むということですね。

Uberなどは、資産としての車の所有ではなく、交通という「利用」体験をシェアすることで新しい価値を生むビジネスモデルです。音楽業界でも、ここ数年で、CDなどのパッケージやiTunesなどのデータの販売・ダウンロードといった所有モデルから、SpotifyやApple Musicなどのストリーミング配信という利用モデルに一気に移行しました。不動産で言えば、Airbnbなども遊休不動産を活用して、ホテルなどの既存の宿泊施設とは異なる体験を売っています。

音楽のようなコンテンツや車のようなハードウェア、建物・空間といった不動産やその集合体である都市などにおいても、ビジネスや社会的領域のそれぞれの分野でコモンズ(誰の所有にも属さない共有資源)が重要な役割を果たしています。ネット社会においては、オープン(流通促進)とクローズド(権利保護)のバランスをビジネスごとに適切な塩梅に設計することが求められていますが、そのバランスを図るのに大切なのがコモンズです。このコモンズを、適切に、よどみなく流動化していくような、法的枠組みを設計していくのが僕のやりたいことの一つです。

水野佑氏

──では、新しいテクノロジーと法整備の関係についてはどうお考えですか。

新しいテクノロジーが出てきたときに、法整備をかけるべきか、かけない方がよいか、という議論があります。一見すると、法律は規制だから法整備するとテクノロジーの良さが減殺されてしまう、法整備はなければない方がいいと考えがちですが、必ずしもそうとはかぎりません。たとえば、コンプライアンスを求められる大企業は、法整備がグレーな領域には参入できません。そうなると、その分野に資本が投入されずに、市場が拡大しないのです。一方で、テクノロジーは包丁と同じで、良いことにも悪いことにも使えます。安易に規制してしまえば、せっかくのテクノロジーのポテンシャルが無駄になる。

その意味で、適切な法制度を含む社会制度の設計は大事です。ビットコインやドローンなどの分野で、最近、法整備が急ピッチで進んだのは、大企業の資本参入のニーズが高かったからです。このような二律背反のバランスをどうとるかが難しいところです。

──たとえば、AIが高度化し、自律走行車が普及するようになると、事故を起こしたときの責任は誰にあるのかといった問題も顕在化してきます。

先日、受けた相談ではこんな話がありました。たとえば、子どもを30人乗せたバスと、上場企業の経営者の乗った車が事故を起こしそうになった。どちらも自律走行車で、一方が崖から落ちれば助かる状況だったときに、AIが状況を判断して、どちらの車を残すかを判断する。その判断基準はどこにあるのかという相談です。

交通事故の訴訟では、人の命は生涯年収をベースに数値化されますが、AIのアルゴリズムも、この基準に従って経営者を残す判断をするのか。あるいは、年収だけでなく、たとえば「この経営者は、実は数日前に死にたいと言っていた」といった要素も加味するのか。SFの世界のような話ですが、こうした問題が真面目に議論されはじめている状況です。

──AIの安全性を誰が、どのように評価するかという問題もあります。

先日の日経新聞に「GoogleがAIの暴走に備えて、非常停止ボタンの開発を進めている」という記事が出ました。そのポイントというのが、AIを強制的に停止するための機能を、AI自身が無効化しないように、あたかも自分で判断したかのように“だます”点にあるとのことで、AIの高度化という問題は、そういうリスクまで含めて考える必要があるのだと感じました。

半導体のプロセッサーの処理能力は指数関数的に増えているわけですから、どこかで人知を越えることがあるかもしれません。いわゆる「シンギュラリティ」というやつです。

水野佑氏

──IBMのコグニティブシステムにはAI技術が用いられていますが、コグニティブシステムは人間を中心に、人がより良い作業が行えるようにサポートするものと位置づけています。

AIに関しては、よく「AIが人間の仕事を奪う」という議論がなされますが、僕はまったくその議論に興味がありません。僕はテクノロジーに対して、基本的にはポジティブな、楽観的な考えを持っています。

たとえば、自動車が僕の近距離を高速度で走り抜けていくたびに、自動車というテクノロジーがこれだけ社会に承認されている状況に驚きます。見ず知らずの人の運転する車がすぐそばを通り抜けていって、何かちょっとでも間違いがあれば命を失うかもしれないわけですから。こんな危険なものを社会が受け入れて、システムとして承認した歴史、先人の努力には驚かざるをえません。

結局、テクノロジーは使い方次第だと思っていて、人を殺すようにできるかもしれませんが、そう使わなければいいじゃないかと、そう作っていくしかないと思うのです。無駄な仕事はどんどんAIにやってもらった方がいいです。

──人と機械のすみ分けというか、人にしか提供できない価値があるということですね。

弁護士の仕事でいえば、条文や判例を調べるのは、機械的な処理が得意なAIにやってもらって、弁護士はよりクリエイティブな仕事をすべきです。法律と判例調査して「こういうリスクがあります」しか言えない弁護士はAIに職を奪われてしかるべきではないかと(笑)。クライアントはその先のどうすべきかという判断を聞いているのに、法律家が「リスクがある」としか言えないのであれば、本当にAIに仕事を奪われるかもしれません。

今の時代、リスクを考えて「これをやってはいけない」というのは本当に簡単なことです。ですが、現実と折り合いをつけて、どこまでのリスクを許容するかを見極めながら、どうすればリスクを減らせるかを考えるのが法律家の仕事だと僕は思います。

個人的には、「コンプライアンス」の訳語を「法令遵守」から変えていきたいです。企業の「社会的責任の追求のための適正手続き」、これがコンプライアンスの本質だと思うのです。

アメリカのUberやAirbnb、もちろん今や世界最大の企業であるGoogleだって、法律と実態の乖離、ゆらぎの部分をうまく利用してビジネスをしています。彼らがよくやる戦略は、グレーゾーンを使って「法律的には危ういけど、論旨が立つ」というロジックを法律家に考えさせるのです。

ビジネスを通じて裁判が起きるのですが、法廷で、そのロジックを使って戦う。戦いながら、その2〜3年の間に、ロビーイングをかけて法改正につなげていくのです。こういう戦略、戦い方は、コンプライアンスを法令遵守と捉えているうちはできません。

──そうした戦略の根底にあるのは、一企業だけの利益だけではなく社会のための利益という考え方ですね。

「社会的な利益の追求」が大儀としてあります。さきほどの話にあったように、検索エンジンがWebページをキャッシュする行為は、日本では「著作権侵害」と考えられましたが、アメリカでは「フェアユース(公正な利用)」だと考えられていました。

アメリカには、新しいことが生まれるための「法の余白」があります。万民のためになり、既存の権利者にとってそれほどダメージがないことであれば受け入れようと。法律にそういう考え方が埋め込まれているのは本当に賢いなと思います。

水野佑氏

──企業はイノベーションを起こすために、法律なり法律家なりを「利用」することも重要だと。

そのマインドを持つことは大事です。僕がよく、企業の事業部門の方にいうのは「法務部門の中でだれでもいいから一人、味方をつけて欲しい」ということです。「共犯者」と言ってもよいと思います(笑)。

現代ほど法律と実態の乖離が大きな時代はありません。それだけ法律や契約に多彩な解釈が生まれる時代といえますが、それは、法律や契約をクリエイティブに読み解ける、広い意味での法律家の存在が求められているということでもあるのではないでしょうか。