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後編|京大医療DX教育研究センター長・黒田知宏教授が語る、医療DX人材育成とデータ・AI活用の未来

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黒田 知宏氏

黒田 知宏氏
京都大学医学部附属病院 医療情報企画部 教授
京都大学大学院医学研究科附属医療DX教育研究センター長

2005年に京都大学医学部附属病院の電子カルテ化を主導。以来、病院情報システム、特にIoTを活用した記録等の自動化に関する研究と、情報通信技術を用いた医療現場の革新に関する研究に従事する一方、医学研究科と情報学研究科において医療DXに関する教育活動に注力している。

 

先崎 心智

先崎 心智
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア&ライフサイエンス・サービス
パートナー/理事

IBMのヘルスケア&ライフサイエンスインダストリーリーダーとして、病院・製薬をはじめ、銀行・保険・自治体・その他産業を横断してヘルスケア・ライフサイエンスビジネスをリード。昨今は、がん・難病のメディカルAI研究開発や、認知機能推定AIを活用した産業横断の社会実装に取り組んでいる。

医療DXは一次利用での利便性が第一で、ビッグデータの活用は「二次利用」

先崎 さて、少し視点を広げたとき、医療データ活用に関して日本の医療業界にはどのような課題があるとお考えでしょうか。

黒田 ビッグデータの二次利用は電子カルテからスタートしました。2005年に京大病院が電子カルテを導入した最初のプロジェクトに戻って考えると、もともと電子カルテはみんな「仕事が増えるから嫌だ」と入れたがらなかったのです。その後にどうして受け入れたかというと、「国が導入しなさいと言っているので仕方ない」が半分、もう半分は「このデータを使った研究ができるはずだ」と言う研究者がいたから。

研究者の視点で考えたらたくさんのデータがほしくなる。でも、電子カルテの本来の目的は、電子データにすることで、日常の診療が楽になる、間違いがないか機械がサポートしてくれるといったことだと思います。そうした利益があって初めてデータが機械にのって二次利用ができるのです。

これを多くの人は根本的に勘違いしています。今のデータサイエンスも、研究者みんなが「データがほしい」と言っています。6月の政府の規制改革推進会議でも、医療データの利活用を推進すると言っています。しかし、これは順番が間違っていると思います。「ビッグデータを作る」という発想は間違いです。ビッグデータはあくまでデータの「二次利用」なのです。一次利用で誰がどんなふうに楽になるのかというシナリオからスタートしないと誰もついてこないと思うのですが、二次利用の話しか聞いたことがありません。

先崎 確かに、順序が逆ですね。

黒田 先日1か月ほど、北欧5カ国とエストニアを訪問し、各国の政府のe-Health系の人たちと話をしました。どの国も口を揃えて言っていました。「データヘルスの目的は、国民と医療者が楽になるためであり、二次利用はデータが集まったからやるだけ」と。エストニアでは、国民や医者にとってどうすれば一番楽に薬を処方できるか、その一点だけに集中して制度を考えた。そこで初めて処方が電子化されて、データが二次利用できるのです。

やはり最初に考えるべきは一次利用です。ITはツールでしかないと僕は思っていますが、手段と目的を履き違えていると思うことが最近多いですね。日本の医療データ活用は「データ活用」が主眼になっています。

先崎 たしかにそのとおりになっているように思います。目から鱗が落ちるようです。

医療DXは、「AIを活用しない医療はありえない」ことを前提に進める

先崎 今後についてもお話をお伺いしたいと思います。2023年に入って国際標準の医療データモデルであるOHDSI※1 OMOP CDM※2の注目度が上がっているように感じます。内閣府のSIP第3期でも取り上げられているようです。一方で、各施設における標準コードへの変換には課題があることが想定されます。OHDSI OMOP CDMの今後の広がりに関して、黒田先生はどのように捉えられていますでしょうか。

黒田 ヨーロッパでは、データを交換するために国際的にコードを揃えようと各国が言い始めています。その規約を定めた「European Health Data Space(欧州ヘルスデータスペース)」という新しい法律が欧州委員会で提案されまして、1年以内にすべての国の批准を受けることを目標に置かれています。標準コードを導入しようと思ったらお金もかかるし大変ですが、国境を越えてデータを集めて研究分析を行うためには、「やらざるを得ない」と思い始めている状況です。

アジアがヨーロッパに右にならえしたときに、日本はついていけなくなる可能性はあると思います。欧州各国が持っているコードセンター(標準コードや検査結果の精度管理をする組織)を持たずに物事を進めるのは無理があるので、国内のコードとOHDSI OMOPのコードや体系に変換する技術的・社会的仕組みをきちんと作ることは必要になると思います。

先崎 参考になります。また、AIにおいては大規模言語モデルや生成AIが最近話題です。IBMでもFoundation Modelや生成AIを含む新たなData&AIプラットフォーム「IBM watsonx」を7月にリリースしました。これにより、利用者側ですべてトレーニングせずとも、最初からトレーニングされているAIをベースとして使うことができるようになります。

医療への活用はこれからだとは思いますが、医療におけるAI活用の未来はどうなっていくのか、先生のお考えをお聞かせいただけますか。

黒田 ChatGPTに関して言うと、生成AIに関してはまだ開発途中の技術ですが、人間が一生かかっても読めない量のデータに基づいて考えているわけですから、閾値を超え始めた感じを受けています。今後、大きな化け方をするでしょう。

だから毛嫌いするものではなく、やはり使ってみるべきです。京都大学でも、学生がレポートを書くのにChatGPTを使用禁止するのはいかがなものかと話しています。もちろんChatGPTが作ったものをそのまま貼ると剽窃だということは、知っておかないといけないですが。

先崎 大学や企業でもChatGPTの使用を推進するところと制限するところに分かれていますね。

黒田 AIについてもう一つ大きな話題は、2022年の診療報酬改定から、X線やCTなどの医療画像をAIに組み込んで使うと「画像診断管理加算3」が算定されるようになりました。AIを使う診療は、もう当たり前になっています。

AIをガバナンスも含めてどこまで信用できるか、使うことで何が見えるのかわからないところはありますが、AIを活用した健康支援のシナリオを社会全体で共有し始めないとなりません。どのような問題があるか危険性を指摘することは簡単ですけど、危険性を指摘し続けたところで物事は変わりません。医療においてAIを活用しないという未来は絶対にないと思います。

先崎 「医療現場で必ずAIを活用する未来になる」と、はっきりと言い切るわけですね。

黒田 はい。AIが診療することもあっていい。医師がAIの支援を受けて治療してもいい。すべてを人間が行うのは非効率です。

こういった仕組みのことを、情報工学の世界では人間=機械系と呼びます。人間と機械がともに一つのシステムをなすとみるわけです。その典型が飛行機です。今は離陸から着陸まで人間はほぼノータッチですが、常に人がきちんと監視しています。ここまで来るのにすごく長い時間がかかり、人間と機械がけんかして何度も事故が起きました。悲しいけれど、そういう体験を僕たちはせざるを得ない。

先崎 医療もそうなるということでしょうか。

黒田 事故は起こる可能性があります。それを体験しながら、AIがあることが当たり前の社会に変わっていかざるを得ません。それに背を向けている場合ではなく、「そうなる」という前提でものを考えるべき時期に来ている気がします。
先崎 なるほど。黒田先生がそうおっしゃると大きなインパクトがあります。


※1 The Observational Health Data Sciences and Informatics
※2 The Observational Medical Outcomes Partnership Common Data Model
 

新しいものに安全・安心を求めて思考停止せず、未来を見据えて医療を考える

先崎 技術の進展とともに、医療データやAIを実際に社会に適用していくための法制度の整備も重要です。黒田先生は国との接点も多いと思いますが、医療データ活用に向けた現在の法制度の課題や今後のあるべき方向性について、お考えをお聞かせいただけますか。

黒田 制度も相当いじらないといけないと思います。医療機器プログラム(SaMD)のQMS(品質マネジメントシステム)は、すべてのパーツについて製造者が責任を持って理解していることが前提ですから、すべてパッケージとしてしか供給できません。でも、ソフトウェアはすべからくモジュールの組み合わせによって、大きなシステムを作っています。そこに今のQMSのレギュレーションを入れても意味がありません。範囲を決めて、それ以上は医療機器メーカーに責任を問わないようにしないといけない。

例えば、禁煙治療用アプリ。これはアプリがあるから禁煙ができるわけではなく、アプリを使って禁煙のプロセスをサポートしているだけですよね。だから、薬と同じような有効性の評価基準を作ること自体が間違っています。アプリができる範囲は狭いから、診療報酬点数はもっと低くていい。むしろ薄利多売のモデルのほうがソフトウェアとして正しいはずです。それを新薬と同じように高い値段を付けて投資費用を取り戻そうとする。そんなバカなことはないわけです。たくさんの人が使ってたまたま効いた人がいたらよかったねという話です。それが集まることでビッグデータになり、ドラッグリポジショニング(既存薬再開発)が始まるわけです。

根本から、これは何のために使うのか、何をしてくれるのかに立ち戻って議論し、制度も変えなければいけません。

先崎 さきほどの医療ビッグデータに関するお考えと同じことですね。便利だから使うようになり、データがたまり、二次利用ができるようになる。

黒田 私たちが今受けている医療は、過去の人びとの経験と、たくさんの失敗のうえに積み重なっているものです。私たちの世代だけが、医療技術の安全な部分だけを使うという選択をするのはエゴだと思います。目の前に新しいものがあって「右か左かわからないけど使ってみるか」という状況に制限を設けない方がいいと思います。僕が嫌いな言葉の一つは、安心・安全なんですね。安心・安全ほど思考停止を招き、物事の本質を見失わせる言葉はない。もちろん作る側、提供する側が、それを目指すことは重要です。でも使う側がそれを求めるのは間違いだと思います。安心・安全を求めることは、作る側からすると無限責任です。特に医療のように不確実性の高いものは、それでは絶対無理です。

先崎 我々の常識とは違うように思いますが、世の中の本質を突いている気がします。

黒田 違うでしょうね。

先崎 我々企業も、アカデミアも、国も、「常識」と思って刷り込まれていることがたくさんあります。しかし、違う視点から見てみれば、実は違うこともあります。黒田先生と話していると、そのことに気付かされます。黒田先生を黒田先生ならしめているものは何なのでしょうか。とても巡り合わせだけとは思えません。

黒田 先日、学生に「『わかった』と思う瞬間は、どう解釈するのですか」と質問されてつらつら考えてみたことがあります。「わかった」と思う瞬間は、自分が過去に受け止めたことがある現象や自分が持っている知識に照らして、「理屈が合う」と思うことではないか。だから「わかった」の反対は「理屈に合わん」じゃないのかなと思いました。学者という職業柄もありますが、「理屈に合わんな」と思ったときに、「何で合わんのだろうな」と徹底的に考える癖は、子どものときからずっとありますね。
あともう一つ、僕は医療の現場では完全にアウトサイダーなんです。

先崎 その点も大切ですよね。

黒田 「コンピュータを使ってできることは知っていますが、医療のことは知りませんから」と、京大病院で電子カルテを導入するときに最初に言いました。電子カルテを作る際、いろいろな人の話を聞いてさまざまなひずみや理屈に合わないことが出てきて、どうすれば理屈に合うか考えて、形を作りました。同様のことを繰り返して今に至っています。もともとの性格のしつこさもあると思うんですけど、どこか本質的に納得してないんですよね。

先崎 「アウトサイダー」とおっしゃいましたが、「これしかない」という人が目標に向かって効率的に作ったものは、常識の範囲のものになりますよね。黒田先生は国内だけでなく海外でのご経験もあり、医療だけでなく情報の知見もあって、さまざまな状況の流れを見ながら巡り合わせで作っています。だから「理屈に合わない」と思う感性も広がっていくのかもしれません。

黒田 そうかもしれませんね。目の前にある事象に対して、理屈に合わないということに気付ける。学問の基礎は「無知の知」ですから。

先崎 気付けるからこそ好奇心が生まれる。

黒田 そうだと思います。

先崎 最後に、これからのIBMに期待などはありますでしょうか。

黒田 僕が一緒に仕事をするベンダーさんに求めることは、できないことを「できない」と言える人たちであることです。「できます」という会社さんって、実はできないことを「できる」と言っていたり、解釈が違っていたりすることがある。だから「できない」と言ってくれる企業さんは大事なのです。IBMさんは、わりと「できません」と言う。「金銭的にできません」ということもはっきり言う。

僕はそこが気に入っているんですよ。もちろんIBMさんの「できない」は、新しい技術にどんどんチャレンジされていて、一定の知識の蓄積や技術に対する理解があることが前提としてあります。そのうえでIBMさんがはっきり言ってくださることに対して、私が「そんなことないやろ」というところから始まります。

その後、IBMさんが一度戻って調べてきてくださって、「やっぱりできました」と教えてくれることもありますし、どうやったらできるか一緒に方法を考えていくこともできます。そして、お互いに「できないかもしれない」と思ったことが、最終的にできたりするんですよね。こうした会話ができる会社さんでなければ、イノベーションは起こせない。

先崎 確かに、我々はそういうところがあるという気がします。

黒田 IBMさんには、そこは変わらずにいていただきたい。そういうIBMさんとであれば、イノベーションを起こせると思っています。

先崎 うれしいお言葉をありがとうございます。