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SAP S/4HANAの全社展開で、さらなる成長の土台作りを|JSRの現場も納得した新基盤の狙いとは

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⼭本 健太郎氏

⼭本 健太郎氏
JSR株式会社
執⾏役員 システム戦略部⻑

総合化学メーカーで生産管理や品質管理、販売物流といった工場の情報システム業務のほか、合併やJV設立などの事業再編対応を多数担当。その後、縁あってJSRのグループ企業で工場システムや利益管理、海外現法システムの立ち上げなどに従事。JSRでは、それらに加えてサイバー・セキュリティーなどまで幅広く担当し、現在に至る。

 

⽵内 信弘氏

⽵内 信弘氏
JSR株式会社
業務プロセス刷新推進室⻑

1997年にJSR入社。研究、製造・品証、購買、物流などSCM系を中心とする業務に従事。SAP S/4HANAプロジェクトには初期段階より物流領域リーダーとして参画。2021年6月より統括の立場として全体調整に当たる。2022年9月末のプロジェクト終了後も引き続き基幹システムを中心とした業務に従事している。

 

山之口 裕一

山之口 裕一
日本アイ・ビー・エム株式会社
執行役員 IBMコンサルティング事業本部
製造・流通統括サービス事業部長
シニア・パートナー

1995年に外資系コンサルティング・ファームに入社し、製造業の業務変革や基幹システム導入に関するコンサルティングに従事。2010年に日本アイ・ビー・エムに入社し、日本企業のデジタル戦略立案や業務およびIT変革の構想策定、デジタル基盤のグループおよびグローバル展開を多数支援してきた。2016年からは化学、素材、住宅、建設、重工業業界のお客様向けのコンサルティング・サービス事業の責任者を担当し、2021年7月より現職。

 

金子 未央

金子 未央
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
アソシエイト・パートナー

2001年に外資系コンサルティング・ファームに入社し、その後、日本アイ・ビー・エムに統合。さまざまな業種のお客様のサプライチェーン・マネジメント領域における業務改革、システム導入コンサルティングに従事してきた。特にSAP S/4HANA、Aribaを活用した業務改革、基幹システム構築のプロジェクトに多く参画している。

精緻を極めた最先端テクノロジー・カンパニーとして、スマート社会を支える半導体材料やディスプレイ材料などを扱うデジタルソリューション事業、医薬品の早期開発を支援するライフサイエンス事業、合成樹脂事業などを展開するJSR株式会社(以下、JSR)。IT活用先進企業としても知られる同社は1999年、国内化学業界に先駆けて一部事業にSAP ERPを導入し、業務効率の向上を図ってきた。

そして2017年、既存環境のSAP ERPの更新を機にSAP S/4 HANAの全社展開を決めた同社は、それを構想策定から支援するパートナーとしてIBMを選び、基幹システムの刷新を開始。途中、事業売却やコロナ禍の波を受けながらも2022年9月にプロジェクトは無事完了し、新基幹システムは安定稼働を始めている。SAP S/4 HANA拡大展開の狙いや、足掛け5年に及んだプロジェクトの内実と成功要因について、JSRのプロジェクト・リーダーらとIBMの担当者が語り合った。

保守切れを機に、SAP S/4HANAへのアップグレードと全社展開を検討

山之口 JSR様は1999年、当時の主力事業であったエラストマー事業の基幹システムとしてSAP R/3を導入されました。国内におけるERP導入の先駆的事例の1つであり、その取り組みは当時、各方面の注目を集めました。それから18年を経た2017年、SAP S4/HANAへのアップグレード、他領域への拡大展開を検討されます。その狙いをお聞かせください。

山本 きっかけは、1999年に導入したSAP ERPの保守切れが2025年に予定されていたことです。システムのサステナビリティー確保のためにはアップグレードせざるを得ない状況であり、要員確保などさまざまな事情から早めの実行が必要との判断に至りました。

加えて、幅広い領域への拡大展開も検討しました。理由は大きく3つあります。

1つ目は「業務生産性の向上」です。導入から年月を経る中で事業の変化とともに業務も大きく変わり、それに対応するためにスクラッチ開発のシステムをSAP ERPと連携させて使っている状態でした。個々に最適化されてはいるものの、人手を介する処理も多く、データ連携やマスター管理も煩雑化していました。そこで、ビジネス環境の変化に柔軟に対応していくために、業務ルールを標準化およびシンプル化した上でシステム機能を統合して再構築。マスター・データの自動連携と一元管理を実現し、全社的な業務生産性の向上を図ろうと考えました。

2つ目の理由は、グローバルな「事業管理の強化」です。JSRグループは海外に28拠点を構えますが、それらの中には連結会計のための本社とのデータ連携をExcelファイルの受け渡しで行っているところもありました。基幹システム上で海外拠点も含めたデータの一元管理を実現し、“カネの視点(管理連結)”と“モノの視点(生産計画、実行)”から事業管理を強化する必要がありました。

3つ目の理由は「デジタル戦略実現のためのプラットフォーム構築」です。厳しさを増すビジネス環境で今後も打ち勝っていくために、システムにも競争優位を支える考え方が必要です。システム・アーキテクチャーを大きく2つのレイヤーに分け、差別化すべき領域や先進テクノロジーの恩恵を受けられる領域ではパブリッククラウドなどを活用して俊敏性を確保する一方、核となるERP部分については安定性と、大きな事業変化にも対応し得る機能性、柔軟性を求めました。

図:基幹システム刷新の目的出典:日本IBM

構想策定、導入支援のパートナーとしてIBMを選定

山本 これら3つの狙いを実現するためには、SAP S/4HANAへのアップグレードの際にカバー領域の拡大が必要だと考えましたが、大きな投資ですし、実施すればビジネスや業務にも大きな影響が及びます。

山之口 そこでIBMにご相談いただいたわけですね。当時のご担当者様から、経営層や事業部門のステークホルダーの理解を得て合意形成を進めたいとお話をいただきました。「SAP S4/HANAへのアップグレードによりJSRの経営課題がどう解決されるのか、仮説構築から手伝ってほしい」というご相談でした。

JSR様では、それまでもSAP社とともにアップグレードについて検討されていましたが、内容はソリューションの理解が中心だったとお見受けしました。そこで、2017年1月より上申のための仮説構築を開始。それを「業務プロセス刷新(BPR)プロジェクト」として上申し、承認いただきました。

山本 IBMさんには、当社の課題をSAP S/4HANAでどう解決していくべきか、私たちと一緒になって考え、経営層に説明していただきました。これを通じて信頼関係を築き、実際の導入支援までお願いすることにしたのです。

「本当にSAP S/4 HANAで大丈夫か」 ─ 現場の納得を得ることが最大の鍵に

山之口 SAP S/4HANAの導入とシステム統合、業務改革は2018年より開始しました。このBPRプロジェクトの中で特に難しかったことは何でしょうか。

竹内 一番苦労したのは、すでにSAP ERPを使っていた会計および購買領域のアップグレードではなく、導入範囲を製造および販売と物流(販物)にまで拡大し、1つのシステムとして再構築したことです。当時のユーザー(業務部門)は、「当社の製造および販物領域でSAP S/4 HANAがうまく機能するか」ということに関して信頼感がゼロの状態でした。「本当に使えるのか」というユーザーの不安を払拭するのが最も大変でした。

SAP S/4 HANA稼働前の製造および販物システムは、ユーザーの要望に100%応えられるようフルスクラッチで作っていました。それがパッケージになれば、使いづらくなる部分が出てくるのはやむを得ません。それについて折り合いをつける部分、システムにアドオンしてでも対応する部分があり、特にユーザーに歩み寄って妥協してもらうのが難しかったですね。

金子 要件確定後は変更管理プロセスを開始し、ユーザーより起票される変更案件のそれぞれについて、必要性、効果、実現性の観点からプロジェクト統括チームに実施可否を判断いただきました。

山之口 JSR様は、1999年にも製造および販物へのSAP ERP導入を検討されましたが、当時は機能面の成熟度が十分ではなく断念されました。そうした経緯もあり、「製造や販物領域でSAP ERPを使えるわけがない」と思われたのかもしれません。そこで、最初はSAP S/4HANAの機能を丁寧にご紹介し、「新しいSAP ERPならこんなことができるんだ」と皆様に実感していただくことに努めました。これが成功の鍵だったと私たちのチームでは感じています。

金子 また、SAP S/4HANAへのアップグレードに伴い、クラウド上の開発基盤(SCP:SAP Cloud Platform。現SAP BTP[Business Technology Platform])を導入しました。全ての業務機能をSAP S/4 HANAの中で作り込むとアドオンだらけになってしまいます。業務のコア部分はできるだけ標準機能を使い、外付けで開発する部分についてはSAP BTPやRPAを利用して、システム全体のシンプル化を目指しました。

さらに、海外拠点とのデータ連携にはExcelファイルを活用されていましたが、この業務領域においてSAP Business Planning and Consolidation(BPC)を導入しました。SAP BPCを活用することで、現場の皆様が慣れ親しんだExcelのユーザー・インターフェースを使ってSAP S/4HANAと連携することができ、海外拠点の計画情報と本社基幹システムのスムーズな統合を実現したことも特筆すべき点だと言えます。

段階的導入から全社一括導入に方針を転換

山之口 BPRプロジェクトは2017年の構想策定から2022年の新システム稼働まで、足掛け5年の取り組みとなりました。この間に二度、プロジェクト計画を見直しています。

竹内 最初の見直しでは、事業部ごとに段階的に導入する計画を、全社一括導入に変更しました。当時はデジタルソリューション事業への導入を先行して検討しており、エラストマー事業側の検討には本格的に着手していませんでした。そのため、両者のスケジュールを合わせるために、稼働開始予定を1年後ろに(2020年4月から2021年4月に)ずらしました。

山之口 二度目の見直しの理由の一つは事業売却です。祖業であるエラストマー事業のENEOS(エネオス)への売却が決まり、2021年4月から2022年4月に1年間延長されました※1

※1JSRのエラストマー事業を継承したENEOSマテリアルが設立された。

竹内 事業売却の側面もありますが、十分なシステム品質を確保できていなかったことが、二度目の見直しの理由として挙げられます。ただし、この1年間の延長は結果的に良かったと思っています。というのも当時、システム品質に関してシステム側と現場側の認識にギャップがあり、延長せずに進めた場合、現場で混乱やシステム停止が起きる恐れがありました。そこで、延長期間をSAP S/4 HANAの使い方に関する現場の習熟度を高めることや、多数のシステム障害の解消に使うことができました。この延長は全く無駄ではなく、稼働開始後の安定稼働という大きな成果につながりました。また、事業売却の影響を精査する時間も確保でき、重大案件を問題なく乗り越えることができました。

コロナ禍にも迅速に適応し、リモートで遅延なく進捗

山之口 本プロジェクトでもう一つの大きな出来事が、2020年春からのコロナ禍により、後半の約2年間はリモートワーク中心で作業が進んだことです。大規模な基幹システム構築プロジェクトのリモート化については不安もおありだったと思います。特にご苦労されたのはどのようなことでしたか。

竹内 やはりコミュニケーションです。以前はプロジェクト・ルームにIBMさんが常駐しており、ちょっとした会話や雑談を通じてJSR側の理解度を高めることができましたが、リモート化でその機会が失われました。これによってJSR側の理解向上に停滞が生じる面があったと感じています。

リモート化初期は業務側の「もっとIBMさんと対面できる機会を増やしてほしい」という声は大きく、特に工場でその要望が強かったのですが、もしコロナへの感染者を出してしまったら操業を止めなければいけません。それは大きなリスクであり、リモートによるコミュニケーションで解消するよう努めました。

金子 とはいえ、すぐに開発業務用のDaaS(Desktop as a Service)を貸与していただいたり、Microsoft Teamsをつなぎっぱなしにして、いつでも話しかけられる状態を作っていただいたりなど、JSR様はリモート化への適応が早く、対応の仕方も柔軟性が高いと感じました。これはもともと社内で環境を整えられていたためでしょうか。

山本 ご推察の通りです。コロナ禍になってから対応を始めたのではなく、「いつでも、どこでも働ける環境」を目指して、以前より全てのPCはモバイルに切り替え、VPNも必要数確保し、多様な業務スタイルに応えようと取り組んできました。それがコロナ禍や本プロジェクトで役立ちました。

金子 オフラインのコミュニケーションが大事だというのは竹内様のご指摘のとおりです。実際に本番稼働直後などの重要な局面では、JSR様のコロナ対策のルールに従い四日市工場に出張してオンサイト作業をさせていただく対応も取っています。このようなハイブリッドなワークスタイルが、今後の“Withコロナ”の働き方として有効だと考えています。

成功に現場も太鼓判。人の意思決定サポートを最初の活用ステップに

山之口 こうしてコロナ禍でも円滑にプロジェクトが進み、SAP S/4HANAによる新基幹システム「COMSMOS(コスモス)」は2022年4月より稼働を開始しました。安定稼働を続けていると認識していますが、現場の皆様はどう感じていらっしゃいますか。

山本 私は今年からシステム担当役員になりましたが、プロジェクト期間中からずっと心配していたのはその点でした。本当にちゃんと動いているのか、動いていても、現場には不満があるのではないかと…。心配で三重県四日市市の物流拠点に話を聞きにいったところ、全くの杞憂で「こんなにスムーズに稼働できたプロジェクトはこれまでなかったのではないか」と言われたほどです。利用者のほんの一部の方のコメントではありますが安心しました。ご協力いただいたIBMや現場の皆さんには心から感謝しています。

おかげさまでうまくスタートを切れましたが、ようやく土台が整った段階です。DXの取り組みもさることながら、もう少し基本的なところもしっかりとやっていかなければいけません。例えば、SAP S/4HANA、SAP BPCが導入されたことで必要なデータを早く収集できるようになりました。それを使って事業の状態を適切に可視化して気づきを与えられる仕掛けにして、必要な経営判断や各現場における意思決定をきちんとサポートしていくことが最初のステップです。

また、JSR本社は環境が整いましたが、国内のグループ会社にはまだ古いSAP ERPが残っていますし、海外拠点では別のSAP ERP環境を使っています。それらにどう対応していくかも今後の検討課題です。

金子 IBMとしては、まず足下のさらなる安定稼働とJNシステムパートナーズ様(JSRのシステム子会社)への確実な引き継ぎをご支援させていただきます。

さらに、COMSMOSの仕組みやデータを有効に活用した業務改革のお手伝いもさせていただきたいと考えています。例えば、設備保全の領域では、事後保全だけでなく、保全実績や設備から集めたデータに基づく予知保全のソリューションを導入し、設備稼働率を高めるといった取り組みが考えられます。業務をより効率化するための周辺ソリューションのご提案や、海外も含めた先進事例の中からJSR様にフィットする活用法のご提案なども行って参ります。

山之口 JSR様とIBMは、量子コンピューティングなどR&Dの領域では10年近く協業させていただいています。基幹システムに関しては2017年から5年が経ちましたが、この先も10年、20年とお付き合いいただき、御社と共創させていただけるよう、引き続き努力していきます。

竹内 BPRプロジェクトは今年9月、成功裏にクローズしました。これもIBMさんのご支援のおかげです。プロジェクトを通じて私が特に助かったのは、「これはできません」「これはやらないほうが得策です」とIBMさんから折に触れて明確な助言をいただいたことです。このプロジェクトをもし社内だけでやっていたら、現場の意見に左右され、アドオンてんこ盛りのシステムになっていたのではないかと思います。

山本 IBMさんにはシステム構築だけではなく、経営課題からアプローチして、社内のコンセンサスを得るところも含めてサポートしていただきました。そこまで踏み込んで支えていただいたことは有り難い限りです。プロジェクトの途中でSAP S/4 HANAの導入範囲を大きく広げて急激に業務量が増加した際には、オフショア・リソースも活用して適切にご対応いただきました。ニーズへの対応力、実現力もIBMさんの大きな魅力です。今後も新しい技術をご紹介いただき、当社のビジネスとITに刺激を与え続けていただければと思います。