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Smarter Business

ワークスタイル変革に効くUX――第1回:コップ半分の水(UXとは何か)

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石 悦寛

石 悦寛
日本アイ・ビー・エム株式会社 シニアマネージングコンサルタント


大手通信事業者を経て、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。モバイル分野では10年以上のコンサルティング経験を持ち、さまざまな業界の100社以上の企業に対して多種多様なモバイル・ソリューションの導入実績を持つ。また国内にとどまらず、海外現地の導入プロジェクトでのリード経験も有する。中国最大手ERP会社の特別顧問も経験し、国内外での豊富な導入経験からJETRO主催モバイル・セミナーのメイン講師なども務める。

 

ワインで学ぶUXの良し悪し

昔、ワイングラスメーカー主催のテイスティングクラスに参加したことがある。ソムリエ資格を持つ講師から、ワインの知識を一通り教えていただき、さまざまなワインを飲める上に、帰りに好きなグラスをお土産に持って帰れるというなかなか素晴らしいコースだった。

ワインで学ぶUXの良し悪し

その際、目から鱗だったのは、実はその「グラス」である。同じワインでも、紙コップで口にすると渋みが強く正直おいしくないのに、そのグラスメーカーのお勧めのグラスだと、途端に芳香をともなう重厚な味に変わってしまうのである。

「なるほど、同じ素材でも器によって得られる体験が変わる、これこそが顧客体験、つまりUXか!」

そう思ったあなたへ、答えは「おしい!」である。

確かにこのグラスは「ワインを飲む」という行為において、飲み手、つまり 「ユーザー」に提供する体験の価値を最大化することに成功している。

しかし、あなたにとって「ワインを飲むことで得たい最高の体験とは何か?」と改めて自問していただきたい。実は、そのワインの価格や味もさることながら、精神的に得られる満足感がとても重要なのではないだろうか。

例えば、最適なグラスで最高級のワインを部屋の中で独り寂しく飲むのと、紙コップに入った安物のワインを気のおけない長年の友人たちと楽しく飲むのと、どちらが記憶に残るだろうか。

ワインで学ぶUXの良し悪し

UXとは、実はすごくシンプルだ。それはユーザーが真に望む「得たい」、または「得られる」体験すべてを指し、そこにはユーザビリティ(使用性)ではカバーし切れない「感情」も含まれる。

先ほどのワインを例に見ると、ワインの持つ風味やグラスの特性による味わい以上に「心の潤い」までも得られる事実こそ、最高のUXと言えるのではないだろうか。

 

声ならざる要求を形にする「UX」

「ここに水が半分だけ入っているコップがある」で始める文面を見るだけで、察しの良い人は「ポジティブとネガティブの話だ」とわかるだろう。

では、UX的な観点で次の質問に答えて欲しい。

「ここは不満ばかりを言う人が集まるレストランだ。お客に水が半分だけ入ったコップを出したら、どんな不満が出ると予想されるか?」

声ならざる要求を形にする「UX」

ある客は「なんだ、半分しか入っていないのか?」と、水の量について不満を持った。

ある客は「なんだ、このまずい水は。水道水を提供しているのか?」と、水の味について不満を持った。

ある客は「炭酸入りじゃないのか? ただの水では味気ない」と、水の種類について不満を持った。

ある客は「こんな寒い日に水を出すとは何事だ。凍えてしまう」と、水の温度について不満を持った。

ある客は「水一杯出すのにいつまで待たせるのだ!」と、水ではなくサービスについて不満を持った。

この他にも、価格、タイミング、提供する順などについて、さまざまな不満が飛び出すかもしれない。

コップ一杯の水を取っても、これだけ出てくる不満の裏側に「得たい体験」が存在する。しかも、不満を声に出してくれるお客には対処のしようがあるが、いわゆる「サイレントクレーマー」の場合は、不満をそっと心の中にしまいこみ、そしてその店には2度と足を運ばなくなるのである。

声ならざる要求を形にする「UX」

話を戻そう。では、このような対処が難しい顧客に対して提供すべき「最高のUX」は何か? そしてそれをどのように導き出せばいいのか。

IBMの2代目社長であるトーマス・J・ワトソン・ジュニアが「よいデザインがよいビジネスである(Good design is Good Business – 優れたデザインがあってこそより強固な企業ブランドが築かれる)」と提唱し、デザイン思考を積極的に顧客企業のビジネス向上に取り入れてから約60年間——IBMは全世界で多くの企業のビジネスにイノベーションを起こしてきた。

システムやサービスにおける顧客体験、従業員体験を捉え、声ならざる要求を形にする核となるのが「UX」である。先に挙げた「コップ半分の水の例」は、企業のビジネス・業務の観点から見れば理解しやすいテーマだろう。

この連載では、UX同様、顧客のビジネス向上に欠かせない概念を毎回1つ取り上げ、それをひも解くヒントを提供したい。

■今後の連載テーマ(予定)
第2回 北風と太陽(従業員により効率よく働いてもらうためのデザイン)
第3回 幻想に溺れるな(B2E UXデザインを実現する6つのステップ)
第4回 あなたは何回結婚しますか?(業務アプリケーションの四象限)
第5回 iXとは何か(デジタル時代のデザイン思考)

photo:Getty Images