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製造業のサステナビリティーを実現する「DTSE」。カギはデジタルツインにあり

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坂本 佳史

坂本 佳史
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
技術理事、エッジコンピューティングCTO

IBMの技術者の最高位であるIBM Distinguished Engineer並びに日本IBMにおけるエッジコンピューティングの最高技術責任者。2014年に九州大学大学院でリバース・モデリングとモデルベース・シミュレーションを活用した組込みシステム開発手法の研究によりコンピューター・サイエンスの博士号を取得。IBMの入社は1985年。これまでパーソナル・コンピューター、組込みシステム、およびASIC/ SoCの設計と開発を担当。その後、ASIC/SoC開発プロジェクトのアーキテクト兼プログラム・マネージャーを経てR&D領域でのDXを推進するコンサルティング・エンジニアを担当。九州大学大学院システム情報科学府非常勤講師。

企業経営において、サステナビリティーを意識した取り組みの必要性は、ここ数年で急速な高まりを見せている。しかし、「実施による経営効果が見えない」「何から手をつければいいのかわかならい」などの理由により、まだまだ実践に至っていない企業も多いのが実状だ。そうした課題を解決するために、日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)が製造業向けに開発したソリューションが「DTSE」(Digital Twin for Sustainability Estimation)である。

「DTSE」は「デジタルツイン技術」により、製造プロセス全体をコンピューター内の空間に再現。消費エネルギー量や炭酸ガス排出量をシミュレートすることで、サステナビリティー・アクションの効果測定を容易に行えるという。

本サービスの開発に携わった、IBMコンサルティング事業本部 技術理事 エッジコンピューティング最高技術責任者 坂本佳史に、サステナビリティー経営の課題やDTSEの機能、IBMのサステナビリティー経営の支援などについて聞いた。

現実世界にある物理的なモノのデータを収集し、デジタル空間上にコピーとして再現する技術

サステナビリティーも、収益に結びつかなければ企業は動けない

――今、多くの企業がサステナビリティー経営に取り組もうとしていますが、課題も多いように感じます。

坂本 どの企業もサステナビリティーの取組みを収益に結び付けることに苦労しているようです。

近年、消費者や投資家の環境意識の高まりに伴い、自社のエネルギー消費量や再エネ使用率などのデータを公表する企業が増えました。つまり、サステナビリティーの「見える化」には成功しているわけです。しかし、それをうまくビジネスに落とし込めていない。CSR報告書や株主総会などの情報開示のためだけにデータを収集するのではなく、もっと事業に活用すべきだと思います。

また、製造分野を中心に、「環境問題や社会課題に配慮していない企業は、サプライチェーンから外れる」というホラー・ストーリーが語られています。そのため企業規模に関わらず、多くの経営者がサステナビリティー経営の必要性を認識するようになってきました。しかし、「経営効果が予測できない取組に予算を割くことは難しい」「そもそもどこから手をつけるべきか判断がつかない」などと、身動きがとれなくなっている企業も少なくありません。

企業活動における「サステナビリティー」は、あくまでも事業の一環として行われるべきもので、収益と結び付いていなければいけません。環境問題や社会課題の解決のために、経営が苦しくなるほどの赤字が出てしまうのでは本末転倒です。“真に持続可能な取組み”にするためにも、定量的な予測と、確実な収益構造の構築が大切です。

――ではなぜ、多くのメーカーは「見える化」したデータをうまく収益に結び付けられていないのでしょうか。

坂本 ナレッジの不足が原因だと思います。これまで製造業では、「限られた時間でいかに効率よく製造し、利益を最大化できるか」に焦点を当てて製造プロセスの改善を繰り返してきました。そこに突然SDGsの理念が入り込み、「サステナビリティーに配慮しながら、収益を最大化せよ」という、まったく新しい問いを投げかけられたわけです。

これまで製造の現場では、Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)の3すくみ、いわゆる「QCD」のバランスを最適化することで製品やサービスの価値を高めてきました。これら3つは相互関係にあるため、どれか一つを向上させると残りの要素が悪化してしまうことも頻繁に起こります。

この「QCD」に「Sustainability(サステナビリティー)」という要素が新たに加わったのが現在の状況です。ただでさえ「QCD」のバランスを取るのは大変なのに、「QCDS」の4すくみになったことで複雑性は格段に増しました。もはや人の頭で最適解を出すのは不可能で、デジタルの力を借りないと太刀打ちできないというのが現実になっています。

そこで今回、私たちが開発したのが「DTSE」(Digital Twin for Sustainability Estimation)です。サステナビリティーの取組みを見える化したうえで、製造プロセスの全体最適を目指すものです。

デジタルツインにより、生産プロセスの全体最適を実現する「DTSE」

DTSE使用画面イメージ

――DTSEがどのようなサービスなのか教えてください。

坂本 消費エネルギー量や炭酸ガス排出量にフォーカスして、製造プロセスの最適解を導き出せるシミュレーターです。デジタルツイン・モデルを採用していることが最大の特徴で、従来のシミュレーターが特定の一つのプロセスのみを対象とするのに対し、DTSEでは製造プロセス全体を仮想空間で再現する(デジタルツイン)ことで、複数のプロセスを高速かつリアルタイムでシミュレートできます。

上の画像が実際に使用した際のイメージになりますが、製造プロセスとそこで実現したい目標を入力することで、プロセス内のどの段階でどのような改善が必要かといったことが表示される仕組みです。

DTSEには大きく4つ特長があります。1つ目が「あらゆる機器を消費エネルギーに限定してモデリングできること」です。電気を利用している機械であれば、例えばトランジスタ1個から半導体製造装置にいたるまで同じ構造でモデリングができるため、工場全体のシミュレーションが可能です。

2つ目が「現状のプロセスのシミュレート」。すでにMES(Manufacturing Execution System:製造実行システム)などの基幹システムにより、工場の生産状況を見える化を実現している企業も多いと思いますが、DTSEはMESとの連携も可能です。MES内の分類に基づき、工程ごとのエネルギー消費量を把握できます。

3つ目は「各種KPIの自動算出」です。エネルギー排出量や炭酸ガス排出量のみならず、ROI(費用対効果)や電気代、設備の稼働率など基礎パラメーターを基にして、収益に直結するKPIを自動的に提示します。

4つ目が「最適化エンジンによるモデルの豊富なバリエーション」です。DTSEは数理最適化によって各種最適化を高速実行します。例えば、「あるラインで可能な限りエネルギー消費量を抑えたうえで、〇月〇日までに出荷したい」という条件を入力すると、製造ラインを稼働させる最適なタイミングをスピーディーに算出してくれるという具合です。

現時点では、工場などの製造現場を中心に利用されることを想定していますが、IBMには交通状況をシミュレーションする技術もあるので、ゆくゆくは流通や配送の領域においても活用いただけるよう開発を続けていきます。例えば、デジタルツインで首都圏の道路と交通状況を仮想空間に再現できれば、「ガソリン使用量を極力抑えつつ、規定の時間内に収める最適な配送ルート」をシミュレートすることも可能になるはずです。

――サプライチェーン全体のエネルギー消費最適化を実現できるようになるわけですね。それでは、企業のDTSE導入の全体像を教えてください。

坂本 大きな流れは下図のようになります。

まずは現場のエネルギー使用状況の測定から始めます。その後「DTSE」を導入いただくことで、ボトルネックや費用対効果が高いポイントの分析ができるようになります。その分析結果に基づいて、実際に導入する機械やソリューションを選定していく流れです。

DTSEは現場責任者と経営層を橋渡しの役割を果たすサービスです。多くの場合、現場責任者は、工場で使用している設備や機器、あるいはエネルギーの利用状況などについて熟知していますが、費用対効果や収益性については経営陣ほどシビアに捉えていません。一方で、経営層は全体の収益性を重視し、現場の細々した情報を網羅しているわけではない。

そうした状況にあって、現場がサステナビリティーを実現するためのソリューションの導入を提案しても、「効果がわかりにくい。収益につながらない」などの理由で、経営層に却下されることも少なくありません。

しかし、DTSEを利用すれば、ROIなどの具体的な数値を参考にしながら、現場層と経営層が同じ言葉で検討できるようになります。それこそが、DTSE導入の最大の効果といってもいいのかもしれません。

戦略から実装まで、IBMがサステナビリティー経営の実現を一気通貫で支援

――企業のサステナビリティー経営の実現に向けて、IBMの支援の強みについて教えてください。

坂本 「今や日本でお付き合いのない業界はない」と断言できるほど、IBMは多くの業界のお客様とお仕事をさせていただいています。製造業一つを取ってみても、金属、木材、セラミック、石油製品、ゴム、化学工業など、あらゆるメーカー様とお取引があります。そうしたさまざまな現場のナレッジを持っていることが、大きな強みの一つだと思います。

また、IBMは基礎研究所という高度なテクノロジーの研究開発機関を有しています。「世の中に普及していない新素材を使ってサステナビリティーを実現したい」といった場合でも、実装に向けて独自の研究サポートが可能です。

長年、蓄積された膨大なナレッジをご提供できること。前例のないチャレンジでも基礎研究からサポートできること。これらの強みを生かして、IBMはサステナビリティー経営を戦略から実装まで支援します。

――今後の展望と、サステナビリティーを推進する企業の担当者にメッセージをお願いします。

坂本 サステナビリティーは、会社を強くするための“テコ”であって“重し”ではありません。製品の質をどう上げるか、収益性をどう改善していくのか、そうした視点で取組んでいただきたいと思います。

20年ほど前、電子部品への鉛や水銀の使用を禁止した「RoHS指令」がEUで公布されました。当時は多くのメーカーが製造プロセスの変更を余儀なくされましたが、多少の混乱はありつつも、5年も経った頃には当然のようになっていました。それと同様に、サステナビリティー経営もすぐにスタンダードになると予想されます。であれば、早いうち取組むに越したことはありません。その足掛かりとしてDTSEを導入いただきたいと思います。

今後さらにIBMのナレッジや研究開発力を生かして、DTSEの機能拡充と改善を進めていく計画です。どうぞご期待ください。