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2050年に30歳になる人の幸福とは?各世代の対話を通し体感する“本物の多様性”

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2019年11月28日、第3回「Cognitive Designing Excellence」が開催された。前回までの参加者アンケートで「議論において多様性が必要だ」という意見が多く寄せられた。そのため、今回は女性や学生の参加者を増やし、東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授の小渕祐介氏による基調講演の後、チームに分かれてディスカッションを行う形式となった。

冒頭、日本アイ・ビー・エム株式会社 戦略コンサルティング&デザイン統括 CDE統括エグゼクティブの的場大輔氏が、今回の目的について「多様性を確認する、実感するということ」と説明した。ディスカッションのテーマは、「『未来に生きる人』(2050年に30歳になる人)の幸せ」。的場氏は「答えはありません。大事なことは違いを認め合い、それを体感することです」と語り、会は始まった。

 

“間違いだらけ”を実践することで生まれる建築の新しい形

“間違いだらけ”を実践することで生まれる建築の新しい形

基調講演として、東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授の小渕祐介氏が登壇。小渕氏は建築設計・コンピューテーショナルデザインを専門とし、世界の先端のコンピューテーショナルデザインを日本に導入し、プログラミングや3Dモデリングを駆使してモデルを製作するデジタルファブリケーションを研究している。

今回の講演のテーマは、「The Opposite Might Be True(見方を変えれば表裏が逆転する)」。小渕氏は「建築はピシッとしたものを作ることが目的ですが、我々は“間違いだらけの建築”をあえてやっている。間違いが多いほど味のある建築が生まれる。しかも、売ることができない建築、消費しない、消費されない建築を考えています」と言う。それは具体的にどのような建築なのか、小渕氏は実際に行った研究の写真をスライドで見せながら説明した。小渕氏は先端のテクノロジーを使っているが、目指しているのは「誰でもできる建築」。「自分で住むところは自分で作る」ことが目標だと言う。

たとえば、割り箸による建築物。自然界では土や砂などを落として積み上げていった場合、斜面の角度はおよそ35度で安定する。これを応用し、100万本の割り箸を自然な形でランダムに落とし、そこに糊を落として固め、最適化された形を作るプロジェクトを行った。自前で“割り箸落とし工具”を開発。割り箸を積むのと同時進行で構造解析を行った。間違って落としたところとそうでないところを色で区別し、その色をプロジェクションマッピングによって投影することで、正しい形に補正しながら積み上げていく。最終的には想定とは違った形になるが、「それは自然界の中で木が育つのと同じ。風が吹いて斜めになったら、そこからまた新しい形状が生まれてくる。環境に対応しながら形ができてくる」と小渕氏は語る。

踊りながら建築することを実現したプロジェクトもある。作業者がダンスのように腕を振り、その動きと連動して発泡ウレタンを噴射するスプレー機を開発した。さまざまな体型の人が参加すれば腕の振り方もいろいろ。予想外のいびつな形ができ上がる。それが良い、悪いではなく、場所によって作業者が異なればアウトプットも違うことがわかるプロジェクトなのだという。

音で建築を作るプロジェクトも行った

音で建築を作るプロジェクトも行った。音は誰でも同じように聞こえていると考えがちだが、実は人それぞれ違った聞こえ方をしている。その感覚の違いを建築に生かそうというものだ。音の発生源の方向に向かって、丸めたココナッツ繊維を打つ。4〜4.5メートルある細い鉄筋の上にココナッツ繊維が屋根のように積み上がっていく。この実験のデモンストレーションが講演中にも行われた。ヘッドホンを通して聞こえてくる音の発生源だと感じられるポイントに向かって、空気銃のような装置を使いながら仮想の球を打ち込んでいくと、ある方向からの音は正確に捉えられているが、ある方向からの音は別の方角から聞こえる音だと認識するなど、人により音の聞こえ方に偏りがあることがわかる。その偏りをコンピューティングプログラムで補い、球を打ち込む方向をガイドしながら建築の創造が進められる。ここでは、テクノロジーはヒトの個性をなくし画一化されたものを創るためにあるのでなく、あくまでヒトの個性を生かし、補う役割で使われているのだ。

最後に小渕氏は、アメリカの建築家であり発明家であるBuckminster Fullerの言葉を用いて、「実験は目的をもって行うが、本来、実験の主旨は予想外のものができるということ」と語り、「我々も間違えることに意味があるということを信じて研究をしています」と説明した。

 

2050年に30歳になる人の生活は、ディストピアかユートピアか

2050年に30歳になる人の生活は、ディストピアかユートピアか

続けて行われた議論のテーマは「『未来に生きる人』(2050年に30歳になる人)の幸せ」だ。以下の3点について、カルテへの個人記入(3分)、各チーム内での共有(7分)、議論・チームまとめ・発表資料作成(20分)を経て、全員が集まってチームごとに発表(2分)が行われた。

質問1:2050年に30歳になる人の生活は、ディストピアかユートピアか
質問2:2050年にありうる世界とは
質問3:2050年に30歳を生きる人のペルソナ(楽しみ、生活、価値観など)

 

チームは世代別や性別ごとに5〜7人ほどのメンバーで構成された。10代・20代チームは白熱した様子を見せ、50代以上チームでも意見が活発に交わされた。どのチームも自らの持ち寄った考えを積極的に共有し、互いの意見に興味深く耳を傾けている姿が見られた。

チーム内でのディスカッション終了後、再び全員で集まってチームごとの「チームの総意又はバリエーション」「討議になったポイント」が発表され、次のような意見があった(以下に抜粋)。

「人間は馬鹿ではないのでディストピアにはなかなかならない。個性を生かして人からもAIからも認められたいということも変わらない。愛の対象は、自然もロボットも区別がなくなるが、最後は愛が大事であるということは変わらないだろう」(50代チーム)

「ディストピアはない。人間そこまで馬鹿ではないというのは前出のチームと同じ。2050年には、効率を重視するよりも、できないことを楽しむ、曖昧さを楽しむノスタルジックな感覚に価値が出てくるのではないか」(女性チーム)

「技術が発達することにより働かなくてもよくなったとしても、楽しいことは増えるが本当に好きなことはないという虚しさ、自分のやりたいことが何か見つからないという悩みは消えないだろう。世界全体がディストピアにはならないと思うが、そうした問題は解決できずに残り続けるのではないか」(10代・20代チーム)

「データにより管理されることが居心地いいと感じる社会、あらゆるものが計算されてこうなるとわかりきった社会になる。そうした居心地のよさがある一方で、予想外の事象が刺激になり楽しみになる。そして、生と死があまり変わらない社会になるのではないか。死後も故人のディープフェイク*に会える場所があり、幸せな人がたくさんいる社会になる」(20代・30代チーム)

*人工知能の深層学習(ディープラーニング)と偽物(フェイク)を組み合わせた混成語で、人工知能が事実とは異なる形で作り出した合成画像

“ユートピアディストピア”だと思う。個人の多様性や国の多様性が進み、意識の高い国家や個人もあれば、その逆もある。

「“ユートピアディストピア”だと思う。個人の多様性や国の多様性が進み、意識の高い国家や個人もあれば、その逆もある。環境問題一つとっても、一方的に悪くなっていくディストピアではなく、国の方針や多数決による民意の方向性によって良いほうにも悪いほうにも行ったり来たりして、最終的にユートピアになっているといいなというのが私の意見」(40代チーム)

「AIやロボットが出てきてコストが下がり、生活が楽になるだろうという話があったが、全体ではそれが楽しめる社会にはならないのではないか。一方で、価値観においては、利他的な幸せ、すなわち人に幸福を与えて自分が幸せと感じるという価値観がもっと深まるのではないか」(50代以上チーム)

「人間は賢明だから崩壊には向かわないのではないか。起こりうる未来に対して備えはする。歴史は繰り返す部分はあっても人の賢明さは共有されていると思う。2050年は個人完結型になり、消費しない世界が待っているのではないか」(女性チーム)

「個人はいろいろな価値観が選べるようになるが、国家から見ると一国民がどういうメカニズムで何をかっこいいと思って生活しているのか把握しづらくなり、管理するのが難しくなる。そうした中で社会保障が成り立つのか、あるいは崩壊するのか、議論になるのではないか。2050年に30歳になる人の幸せが何かはわからないが、どんな幸せを選ぶか選択肢が広がるので、個人が幸せになるための難易度はかなり下がる。その一方で、国が個人を統治する難易度は上がるのではないかと思う」(10代・20代チーム)

 

未来の姿をどのように自分ごととして描き、捉えるのか

各チームの発表に対して、小渕氏は次のように語った。

各チームの発表に対して、小渕氏は次のように語った。

「テクノロジーが進化する前提での“未来”の話になっている。テクノロジーの発展と未来像が混同されているように思う。テクノロジーが発達しない、発達する必要がないと考えたときに、未来はあるのか。未来という発想自体が現代的な考えで、昔の人は未来のことを考えていなかった。今の社会は経済発達や技術発達という考えに流されているので、そういう発想自体を考え直してみることがあってもいいのではないか。また、“自分”という価値観も現代的。“本当は何をやりたいか”ということについて議論しているが、私からすると“どういう役割が私にできるのか”、“どういう役割が社会にとってふさわしいか”のほうが大切。自分がやりたい、やりたくないはあまり関係ない。今議論されたことは今の価値観における考え方だと思う」(小渕氏)

議論は活発に行われ、小渕氏の意見に対して次のような意見もあった。

「昔の人は未来を考えていなかったというのは違うと思う。考えていた。ただ、今と違う点は未来が予想しやすかった。“こうなる”という方向にみんな進んでいた。今は予想しにくいから、人間はどうなるのかという精神的な方向に考える。そういう社会に変わってきているのだと思う」

「未来を考えることは難しい」という意見に対しては、若い世代から「自分ごとではないからではないか」という意見も出た。

「“ディストピアにはならない”“そんなに人間馬鹿ではない”と言うチームがいくつかあったが、環境問題や社会課題について自分ごとではなく社会のことだと思っている人が多い。未来を夢物語のような軽い気持ちで考えがち。30年後の未来に対して、本気で真摯に取り組む人はあまりいないような気がする。シニアの方に聞きたい。30年前に未来をどういうふうに捉えていたか、30年後の未来を本当に自分ごととして考えるにはどうしたらいいか」

これに対してシニア層からは、「30年前は、まずよりよい生活のためには稼がないといけないということがあっての話だった。“自分らしく”とか“やりたいことをする”という幸せよりも、“まずは家族”だった。今後30年はデジタル化によって社会が大きく変わる。人間がやりたいことだけを自由にやれるように生活コストを下げてくれたら、素晴らしいユートピアになる。技術がそうした生活コストを下げれば、幸せを追求できる。ビジョンを最初に作って行動すれば、将来はよくなる。人間の叡智は、幸せとは何かという議論を先に置いて、そこからバックキャストできること」という回答があった。

最後に小渕氏は、「海外を含めて“幸せ”に関する議論がいろいろなところで起きている。モノはたくさん得られる状況の中で、本当の幸せは何かということは、今後みんな考えていくことだろうと今日実感しました」と語り、会を締めくくった。