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Smarter Business

「Apple Pay」が変える顧客体験と、小売・金融業界の未来

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2016年10月、日本でAppleの電子決済プラットフォーム「Apple Pay」がスタート。iPhone7シリーズが「Felica(※)」に対応したことで、iPhoneを使ってSuica対応の改札機を通過したり、コンビニでの支払いに利用したりするユーザーが増えている。しかし、Apple Payは単なる「iPhone版おサイフケータイ」ではなく、実は商品やサービスの購入体験を大きく変える可能性を秘めている。“電子マネー大国”日本において、Apple Payがビジネスにもたらすインパクトとは。

今回、テクノロジージャーナリスト兼コンサルタントとして「テクノロジーによって未来がどう変わるか」について取材を続ける林信行氏と、2014年7月にAppleとの戦略的提携を発表している日本アイ・ビー・エム(IBM) モバイル事業統括部 事業部長の藤森慶太氏の対談を実施。Apple Payを切り口に「非現金決済プラットフォームが、今後のビジネスをどう変えていくか」について語ってもらった。

※ソニーが開発した非接触型ICカードの技術方式。公共交通機関の乗車券システムから、電子マネー、マンションの鍵まで幅広い用途で使われている。

林 信行氏(写真左)
ジャーナリスト/コンサルタント

コンサルタント/ジャーナリスト。「ステキな未来」をキーワードに執筆や講演や企画やそのディレクションを行う。1990年頃からテクノロジー系ジャーナリストとして国内外のニュース媒体で最新のテクノロジーや、そこから派生した新トレンドを紹介。メーカーや通信会社、IT系ベンチャーでアドバイザーなども兼務。ifs未来研究所研究員。ジェームズ・ダイソン財団理事。iOSコンソーシアム顧問、Revolver社社外取締役。グッドデザイン賞、ジェームズ・ダイソンアワード、パソコン甲子園、gugenなど数々のアワードの審査員としての顔も持つ。

 

藤森慶太(写真右)
日本アイ・ビー・エム株式会社 モバイル事業統括部 事業部長

大手電器メーカー経理部門を経て日本アイ・ビー・エム株式会社入社。戦略コンサルティンググループ、ファイナンス・ストラテジー部門リーダーとして、経営 管理領域における変革ビジョン策定から業務変革支援、導入定着化などのコンサルティングに従事。その後米IBMファイナンス部門出向、帰国後は通信・メ ディア・公益サービス事業担当を経て、2014年よりIBMモバイル事業を担当。業務変革構想策定から定着化支援、システム導入まで、幅広い領域でのプロ ジェクトリード経験を有する。

 

日本市場参入で、Apple Payは電子決済プラットフォームを再定義しようとしている

──本日は「非現金決済プラットフォームが、今後のビジネスをどう変えていくか」という未来の展望について、お話をお聞かせいただきます。まず、お二人の経歴やこれまでの取り組みについて教えてください。

 私は、テクノロジージャーナリスト兼コンサルタントとして活動し、主にコンシューマー視点からのテクノロジーと社会の関係性について関心を持っています。

最近、デジタルテクノロジーは画面から飛び出して我々の衣食住の深い部分にまで関わるようになってきました。スマートフォンの普及が、その流れを加速させています。Apple Payについても、我々の経済活動のデジタル化を加速する技術として期待しています。

林信行氏

藤森 IBMでモバイル事業を担当しています。2014年7月のAppleとIBMのグローバルにおける戦略的提携を皮切りに、モバイルを起点に企業、そしてそこで働くプロフェッショナルの業務変革を促すことがミッションです。

Apple Payはコンシューマー寄りのテクノロジーですが、エンタープライズ領域にも密接な関係があります。企業の業務効率化やイノベーション創出といったデジタル変革の一つの要素として、Apple Payが位置づけられるからです。

藤森慶太氏

 AppleとIBMは、どちらもテクノロジー業界では、デザインを重視している会社です。テクノロジーには人々の行動や体験を変える力があります。それを実現できる会社が、コンシューマーに近いAppleであり、エンタープライズに近いIBM。そうした意味では、両社は絶妙な補完関係にあると思います。

──AppleがApple Payという「電子決済プラットフォーム」に参入した意義についてはどう考えますか?

 Appleはデザインに優れた会社と述べましたが、それは、顧客中心のプロダクトデザインだけでなく、ビジネス戦略のデザインにも言えることです。例えば、アメリカではモバイル決済で技術的に主流になると見られた近距離無線通信(NFC)がなかなか普及せず、代わりに「Square」をはじめとするプラスチックカードベースの、店舗向けの決済ソリューションが主流になりました。

そんな状況で、Apple PayはあえてNFCを採用しました。それは単に、日本でFeliCa方式のSuicaが普及しているという理由以外にも公算があるように思います。

※「NFC」とは、国際標準規格として承認された近距離無線通信技術。「FeliCa」はこのNFCの技術に加え、データ管理やセキュリティー機能を盛り込んだ「ICカード技術方式」として日本で広く活用されている。FeliCa方式のSuicaなどをApple Payで利用可能とするためには、NFCに対応する必要がある。

モバイル決済の仕組みで、日本は先進的な成功事例をつくりました。いまだにSuicaの読み取り精度、決済スピードの早さは世界に誇れる品質です。しかし、その成功が早すぎてしまい、ある意味UIが成熟しないまま、スマホの時代を迎えてしまいました。後発のAppleは、市場が成熟したタイミングでiPhoneというデバイスを携え、その仕組みを再構築したと思います。例えば、「Touch ID」による指紋認証やデバイスを紛失した際のサポート、そして裏側のマネタイズの仕組みなどまでうまくデザインされています。

クレジットカードの登録も、写真を撮るだけと簡単です。また、決済の安全性も担保されているなど、今後、グローバルな展開が見える非常に戦略的な技術です。

藤森 林さんは、プラットフォームの「オープンか、クローズドか」という点についてはどうお考えですか? Appleはクローズドで、Googleはオープンのプラットフォームです。個人的には、オープンプラットフォームはイノベーターの参入障壁が少ない反面、ユーザー体験という意味では、ユーザーに考えさせるというか、高いリテラシーが求められると思うのですが…。

対談風景

 取材でAppleの重役と話す機会がありますが、彼らはよく「(Appleは)常にリスクを取っている」と語ります。つまり、すべてのユーザーに気に入ってもらおうと選択肢をたくさん提示するのではなく、逆にユーザーを迷わせないように、吟味して絞り込んだ「ベストなカタチ」を提示しています。もちろん、中にはその提示が気に入らず、他社製品に流れるユーザーもいます。ただ、8、9割のユーザーが大いに満足できるカタチを提示しているためにこれだけ大成功しているのです。

オープンプラットフォームを好む人のほとんどは技術に詳しい人です。彼らは自分たちなりの選択を好み、Apple流の窮屈さを指摘します。iPhoneとAndroidの関係はその好例でしょう。Androidが好きな人にとって、確かにiPhoneは窮屈かもしれませんが、その窮屈さのおかげで開発者にとってはアプリケーションやIoTの設計もしやすく、使い心地の部分までこだわってつくられていることが多いんです。

藤森 企業から見ると、Appleはルールが多く、企業側がプラットフォームに合わせる必要があります。しかし、自由度の高いAndroidを採用すると、企業はハードウェアとシステムの互換性からセキュリティーの担保まで、全て自分たちで考え、運用しなければなりません。

だからこそ、業務がプラットフォームに合わせられない場合を除いて、私たちはビジネスでのモバイル活用にAppleを推奨しています。

 

「決済手段の選択肢を複数提供する」ことが、利用者のブランド選定の要因に

──プラットフォームとしてのApple Payの可能性、競争優位性についてはどう考えますか?

 Apple Payは、使い始めれば、すぐにその使い勝手の良さ、ライフスタイルが変わることを実感できると思います。しかし、日本ではJRが積極的にプロモーションしたにもかかわらず、まだ爆発的な普及には至っていません。

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これについては、Apple Pay以前のいわゆる「おサイフケータイ」がある程度普及していたので、その進化版と捉えられているのが要因だと思っています。もっとも日本は流行にのると速いので、広まり始めれば一気に加速すると思っていますが…。

──では、これからApple Payが日本市場に定着するために、どんな課題があると思いますか?

 Apple Payは日本で既に普及していたiD、QuickPay、Suicaといった仕組みを流用しているので、既に東京都内ではそれなりに対応店舗があるのですが、まだまだ使えないお店もたくさんあります。使い始めると便利で、対応店舗とそうでない店舗が並んでいたら、ほとんどの人が対応店舗を選ぶくらいに魅力的なサービスです。お店側が導入しやすくする仕組みが整えば、普及が進むと思います。

ここで注目したいのが、リクルートが2万円弱で提供予定のiPadを使った決済ソリューションの「Airペイ」で、2017年の春にもApple Payへの対応を予定しています。今後、こうした製品が増えれば飲食店はもちろん、屋台やフリーマーケットなど、これまで電子決済化されていなかった場所にApple Payが広まっていくと思います。

藤森 個人的な話で恐縮ですが、オフィスの周りでお昼ごはんを食べるときに、財布を忘れるケースが多くて(笑)。小銭入れとスマホは常に持っているので、Suicaで払える店に自然と行くようになるわけです。言い方を換えれば、現金払いしか扱っていない飲食店からは足が遠のいてしまうということです。

「ミーティングからそのままお昼に出たい、財布を取りに戻るのは面倒くさい」。些細なことですが、ユーザーの心理というのはそういうものです。

藤森慶太氏

 Apple Pay普及のもう1つの鍵は、ポイントカードです。米国では、iPhoneの「ウォレット」アプリにApple Payの支払いカードだけでなく、ポイントカードも登録できるようになっています。もし、日本でもApple Pay対応のポイントカードが出てくれば、財布の中身をどんどんiPhoneに移行できます。日本ほど、ポイント好きな国民はいません。対応する店が増えれば、利用者のモチベーションにつながるかもしれません。

──リアル店舗だけでなく、ECの決済についてはいかがですか?

藤森 ECの決済の可能性にも注目しています。Amazonや楽天など、メジャーなECサイトにクレジットカードを登録しているユーザーが多いのは、信頼性があるためです。信頼性に乏しい中小の事業者が展開するECサイトの場合、クレジットカード情報を預けることに抵抗があるユーザーが多いのは事実です。

もし、そこにApple Payのボタンがあれば、スムーズな購入につなげることが可能です。メジャーなECサイトに出店する必要がなく、自社でクレジットカード情報も預かることなく、安全な決済手段を提供できるという点で、中小の事業者にとっては大きなメリットであるとともに、ビジネスを広げるチャンスでもあります。

 

企業は、デジタル、リアル両面で顧客体験を最適化していく必要がある

──非現金決済が進むことで、今後の各業界、ビジネスにはどんな影響がありますか?

藤森 現金決済が減少すれば、例えば銀行の店舗の役割、あり方も変わってくると思います。私自身、ネット銀行に口座を持っていますし、日常的に銀行の店舗に行く機会は以前に比べて減っています。また、小売の分野では、リアル店舗とECチャネルの統合が進んでいくでしょう。

 ファッション業界では、これから店舗とECの両方を持っていることが強みになると思います。実際のモノを触りたい、試着したいニーズがあるからです。ECの最大の強みは、気になった服をとりあえずカートの中に放り込んでおいて好きなタイミングで買えること。これが店舗だと、一度、気になった服もその日、買わなければ棚に戻してしまいます。店舗とECがシームレスにつながり、店舗で気に入った服をECサービスのカートに入れておいて後から買うようなことができれば、ショッピングは大きく変わるでしょうね。

林信行氏

藤森 同感です。リアル店舗はショールーム機能に、ECは購買機能にシフトしていく流れは進んでいくでしょう。そこで大事なことは、もっと多くのモノに触れたい、見たいというユーザーの要望に応えつつ、いかに自分たちのドメインから離脱させずに購買まで完結できるかです。Apple Payの活用で、そこを補完する動機づけがうまく設計できればと考えています。

──ビジネスがデジタル化するからこそ、アナログである実店舗とのバランスが重要になると。

 アナログレコードが見直されて再び愛好者が増えていることなどを見ても、デジタル化が進むことで、アナログが好まれるという逆転現象が見られます。同様にデジタル化が進むことで、実店舗の価値が高まる可能性もあるでしょう。今後、実店舗はより“リッチで人間味を感じるショッピング体験”を提供する方向に進んで欲しいです。

これは一見すると非効率に見えるかも知れませんが、その分、テクノロジーは舞台裏で店舗運営の効率化に活用して、顧客と直接接する表の部分は「非効率なおもてなし」をふんだんに振る舞ってバランスを取ればいいと思います。個人的には、21世紀のITテクノロジーは、フェイス・トゥ・フェイス、人と人との触れ合いを加速する方向に進化してほしい。「何でもかんでもただ効率化」は誰でも真似できるチープなやり方で味気ないです。

──デジタル、リアルの双方で顧客体験を最適化していく必要があるわけですね。

藤森 2000年前後、米国IBMの流通部門トップが、重要顧客である老舗百貨店に「これからはインターネット、ECに経営の舵を切るべきだ」とアドバイスしましたが、「物理体験が全て」と考えたいくつかの百貨店は、ECに背を向けました。

その結果、デジタル化に積極的に取り組んだ企業との間に、いつしか大きな業績の差が出てしまったのです。例えば、スーパーマーケットチェーンのウォルマートは、EC部門の売上が2ケタ成長(※)です。一方、今年に入って老舗百貨店ブランドのシアーズは42店が閉鎖、同社が展開するKマートと合わせて約150店におよぶ大規模な店舗閉鎖を発表しました。メイシーズも、1万人以上の従業員を解雇することを発表しました。

この例のようにビジネスモデルのターニングポイントは一定のサイクルで必ずやってきます。こうした変化をどうチャンスに変えていくのかが重要で、小売だけでなく、あらゆる業界が、デジタル変革に取り組んでいく必要があります。そして、さまざまな業種、ビジネスで非現金決済を普及していくためには、安全に決済が行える仕組みが不可欠です。

IBMはApple Payの「トークナイゼーション・サービス・プロバイダー(TSP)」として参画しています。決済時にクレジット番号がやり取りされないトークナイゼーション機能を、クラウド基盤「IBM Bluemix Infrastructure(旧SoftLayer)」 上に構築し、共同利用型サービスとして提供しています。
*2017年11月1日、BluemixはIBM Cloudにブランドを変更しました。詳細はこちら

IBMがモバイル商取引を支えつつ、一人でも多くの方にApple Payを利用してもらうことが、さまざまなビジネスの変化、変革につながっていくと考えています。そして、近い将来に訪れる変化に備え、これからもデジタル変革の重要性について発信していきたいと思います。

※Walmart.com の 2015年の 成長率は 12.3%

──東京五輪が開催される2020年、多くの訪日外国観光客数が予想されています。SuicaやEdyを持たない外国人旅行者にとって、Apple PayのFeliCa対応は大きな影響があると考えますか?

 今後、海外のiPhoneを使って、日本で支払いができるような仕組みが整備されれば、2020年に4000万人の来訪が予測される外国人観光客に、モバイル決済の最先端を体験してもらえるようになります。これにより、Suicaのモバイル決済の仕組みが、世界へ進出することも期待できます。そのため、今年、来年のApple Payの進化に期待したいです。

藤森慶太氏

──最後に林様から、Appleと提携したIBMへの期待をお聞かせ下さい。

 利用者にとってフロントに立っているAppleが、Apple Payをサービスとして使いやすいものに発展させ、IBMはその仕組みを安全に利用できる信頼性を支える。特に、エンタープライズ領域での導入に知見やノウハウを数多く有するIBMのサポートで、日本の優れたモバイル決済の仕組みを世界に広めて欲しいと思います。

 


今後、最適な顧客体験を提供していくためにも、今後のApple Payの動向から目が離せません。非現金決済サービスの普及は、さまざまな業界、業種でさらなるデジタルシフトを促進していくはずです。IBMでも、Apple Payによって起こる変革についての資料を公開しています。詳しくは、下記よりご覧ください。