人工知能(AI)搭載アプリによる患者の健康管理支援から、デジタル・センサーやウェアラブル・デバイスによるテラバ イト単位の詳細データ創出に至るまで、医療におけるデジタル機器の役割はかつてないほど拡大している。今後数年の間に、デジタル・セラピーが医療に与えうる影響の中で最も顕著なメリットとして挙げられるのは、健康行動を促進し、患者エンゲージメントを向上させる個別化と個人最適化であろう。¹ 依然課題は残るものの、医療業界はデジタル・セラピーが患者のアウトカム向上につながるものと見込んでいる。²
AIとデジタル・センサーによる治療法の増強
デジタル・セラピーの可能性を深く理解するために、糖尿病や慢性肺疾患など、現在多くの治療機会がある重要な臨 床応用を考えてみたい。
世界の糖尿病患者数は4億人を超え、今後さらなる増加が予想される。糖尿病患者は、ライフスタイルの改善から経口薬の服用、インシュリンの注射など、さまざまな方法によって血糖値を管理する必要がある。しかし、1日の最適なインシュリン投与量は日々変動しており一定ではなく、そのことが患者の生活の質に大きな影響を及ぼしている。それに対して、AI 機能やデジタル・センサーを利用したデジタル・セラピーであれば、1日の血糖値の測定やモニター、 予測が可能なことから、事前に患者が基準値を超える高血糖または低血糖になるタイミングを予測し、個人ごとにイ ンシュリンの投与量をリアルタイムで調整することも可能である。このようなAIを活用した、個別化されたアルゴリズムに基づくインシュリン投与治療を受ける患者は、血糖値のコントロールを容易にできるだけでなく、常に自分に最適な投与量の把握と摂取の継続を通じて、合併症のリスクを軽減させることができる。
デジタル・センサーと呼吸器官用薬との併用は、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者の治療にも役立つ。小型センサーを装着した吸入器を患者が使用することで、バイタル・データが自動的に記録される。収集されたデータは、医薬品の服用を追跡するモバイル・アプリに送信され治療に活用されーこれはもちろん患者が医師とのデータ共有を選択した場合にー長期的な合併症を抑える方法についての個人的なフィードバックと見識が提供される。また、この米食品医薬品局(FDA)の認可を取得したセンサー付き吸入器を使用した場合、服薬アドヒアランス(服薬遵守)は58% 向上、無症状の日数も48% 増加し、救急救命室での診療は53% 減少することが明らかとなっている。
行動治療とヒューマン・ バイオロジー
しかし、デジタル・セラピーを医薬品と同一視するのは早計である。デジタル・セラピーは、医薬品による治療を直接代替するものでも、プラセボ効果を与えることを目的とするものでもない。あくまで従来の治療法を補完する治療手段の 1 つである。気分障害を患う患者にとって、行動変化は抗うつ剤ほどの効果はない。同様に禁煙しようとす る喫煙者にとっても、ニコチン代替療法の方が有効であろう。ただ、医師は医薬品に加えて、例えばモバイル・アプリを処方箋に含めるかもしれない。
認知行動療法(CBT)は、考え方や行動の仕方を修正することから、治療の支援によく用いられる。例えば、服薬アドヒアランス(服薬遵守)の向上の支援もその 1 つである。CBT は、服薬アドヒアランスを含む幅広い行動に効果を発揮する療法で、多くの治療に用いられているが、その治療法は煩雑で、実際のエビデンスに基づいていないことが多い。
¹ 欧州および米国の医療とライフサイエンス専門家 51 名を対象とする IBM mini-pulse survey。2018 年 11 月
² 同上
著者について
Karen Pesse, Consultant, IBM ConsultingAlexander Büsser, Managing Data Science Consultant, Digital Health, IBM Consulting
Heather Fraser, Global Lead for Healthcare and Life Sciences, IBM Institute for Business Value
Matthias Schieker, Executive Director, Translational Medicine Musculoskeletal Diseases, Novartis Institute for Biomedical Research
Yannick Klopfenstein, Senior Consultant and Data Scientist, IBM Consulting
Sumehra Premji, Senior Managing Consultant, IBM Consulting
Dr. Bernd Schneidinger, International Business Lead, Roche Diabetes Care GmbH
Lars Böhm, Associate Partner, Life Sciences, IBM Consulting
Delphine Hajaji, Venture Fund Partner, UCB
発行日 2020年10月1日