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身体機能を回復し、健康寿命を延ばす。 ――老化・寿命の研究で解明された物質「NMN」の驚きの効用

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老化して寿命を終えることは命あるものの宿命である。しかし、近年、分子生物学や分子遺伝学を駆使した研究が進み、老化や寿命のメカニズムは急速に解明されつつある。
その分野の第一人者である米ワシントン大学(ミズーリ州セントルイス)医学部の今井眞一郎教授は、生体物質であるNMNをマウスに投与すると、老化に伴って減退するさまざまな臓器の機能が回復し、老化を遅延させる効果があることを明らかにした。
現在、この成果を元に慶應義塾大学と共同で人への臨床研究が進んでおり、NMNは遠からず、しっかりとした科学的な裏付けとともに一般に提供されることになりそうだ。
超高齢社会を迎えた日本は、これまで個々の病気の研究に力を入れてきたが、国家プロジェクトとして、病気の根源である老化や寿命の研究に本腰を入れ始めた。
「ただ長生きするのではなく、健康で幸せに天寿を全うするために“健康寿命”を延ばす、つまりピンピンコロリが目標です」と語る今井教授に、老化メカニズム研究の最前線や高齢社会の在り方について伺った。

今井眞一郎
今井眞一郎
(いまい・しんいちろう)

ワシントン大学医学部(アメリカ、ミズーリ州セントルイス)発生生物学部門・医学部門(兼任)教授。 医学博士。
1964年生まれ。 慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。専門は、哺乳類における老化・寿命の制御メカニズム、および科学的基盤に立脚した抗老化方法論の確立。

老化・寿命を制御する特別な酵素「サーチュイン」

――世界の関心を集めているNMNですが、その前に老化・寿命の制御メカニズム研究は今どこまで進んでいるのか、現状を説明していただけますか。

今井 老化・寿命の研究には長い歴史があり、初期の頃は「生物はどのように死ぬか」「臓器にはどんな変化が起きるのか」などを研究するものが大半でした。しかし、1980年代終わりから90年代にかけて、分子生物学や分子遺伝学を駆使し、酵母、線虫、ショウジョウバエ、マウスなどモデル生物の遺伝子を操作して生命現象を解明しようという流れが出てきました。

その結果分かったのは、ある1つの遺伝子に変化を起こさせるだけで、老化を遅らせたり寿命を延ばしたりできるということでした。異なる生物種に共通した老化・寿命の制御メカニズムがあったのです。これは大きな発見でした。それまで老化とは身体の機能がランダムにだんだん衰えていく過程だと考えられていたからです。

私は1997年~2001年に、マサチューセッツ工科大学のレオナルド・グアレンテ教授と共に老化や寿命のメカニズムを研究しました。そして細菌から哺乳類まで生物に幅広く存在している「サーチュイン(Sirtuin)」というたんぱく質が、老化・寿命を制御する特別な酵素であることを突き止め、2000年にネイチャー誌に発表しました。
サーチュインは、それまでその機能がほどんど不明であったたんぱく質でしたが、これを出発点として、非常に多くの研究者がサーチュインの解明に取り組むようになったのです。

遺伝子操作で脳のサーチュインを増やしたマウスは、健康寿命が大幅に延びる

――サーチュインの機能は酵母だけでなく、人にも当てはまるということですか。

今井 そうです。サーチュインとは、多くの生物で老化や寿命を制御するとされるサーチュイン遺伝子が作り出すたんぱく質で、身体のいろいろな機能の根本的な制御に使われていることが分かりました。私は2001年にワシントン大学に移り、哺乳類にある7種類のサーチュインのうち、SIRT1(サーティーワン)の研究に集中しました。
その結果、SIRT1は、肝臓、すい臓、骨格筋など代謝に重要な臓器で、外から入ってくる栄養に応じて代謝を制御していることが分かりました。しかし問題は、SIRT1が本当に老化・寿命の制御に重要なのかと言うことでした。私たちは、実は「脳」が重要なのではないか、と考えました。

そこでSIRT1が脳の中だけで増えるように遺伝子操作したマウス(BRASTOマウス)を作って調べてみたところ、驚いたことに、健康寿命がオスで9%、メスでは16%も伸びました。これを人の寿命に当てはめると、男性は7~8年、女性は13~14年も延びる計算です。つまり老化が遅れて寿命が延び、死ぬ直前まで健康状態が保たれることを意味します。

脳には、視床下部という小さいけれども非常に重要な領域があります。体温や食欲など身体の基本機能の制御を担っていますが、そこがまさに老化・寿命制御の中枢だったのです。
BRASTOマウスの視床下部では神経細胞の働きが活発になり、筋肉の構造と機能を若々しくし、睡眠も深く眠れるように保ちます。また17~18カ月齢の初老のマウス(人では50〜60歳くらいに相当)が、3~4カ月齢(人では20歳くらい)のマウスと同じぐらいの機能を回復し、回し車をくるくる回すようになります。体温も1度上がりました。
遺伝子操作で脳のSIRT1の量を増やすだけで、若い頃の機能を再現できるようになるのです。ただ、毛並みがつやつやするとか、見た目が変わることはありません。

脂肪も特別な酵素を分泌して視床下部を活性化する

――マウス実験とはいえ、SIRT1の老化・寿命への影響が大きいことに驚きます。どういう仕組みなのでしょうか。

今井 そのメカニズムには脂肪が重要な働きをしています。脂肪は血中にNAMPT(ニコチンアミド・フォスフォリボシルトランスフェラーゼ)という特別な酵素を分泌します。NAMPTは、食品に含まれるビタミンB3(ニコチンアミド)を材料に、NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)という物質を作り出し、視床下部に供給します。NMNはエネルギー代謝の根源的な物質であるNAD(ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド)に変換されます。

つまり私たちの身体には、ニコチンアミド→NMN→NADという合成経路があるのです。NADは起源が非常に古い物質で、あらゆる生命体はNADを「エネルギーを使うための通貨」のように利用します。サーチュインの1つであるSIRT1は、このNADを使うことによって視床下部の神経細胞を活発にし、身体のさまざまな機能を回復する効果をもたらすのです。脂肪は全身にNMNを供給するのにとても重要であり、特に脂肪と視床下部の間にはNADを合成するための特別なやり取りがあることがわかってきています。

小太りの人は痩せすぎ・太りすぎの人より死亡率が低い

――脂肪というと、私たちは悪者視してダイエットで少しでも減らそうとしますが、必ずしもそうではないのですね。

今井 その通りです。脂肪は老化を考える時の重要な要素です。年を取るとちょっと小太りのほうが健康だとよく言われますね。BMI(身長・体重から計算した体格指数)では、理想値は男性が22.0、女性が21.0と言われてきましたが、実は男性は24~26、女性だと22~23ぐらいが統計的に病気にかかりにくく死亡率が最低になるのです。

なぜ小太りの人の死亡率が低いのか。脂肪がちょっと余分にあるほうが、老化・寿命の中枢である視床下部の神経細胞の活動をよく支え、そのために死亡率が低いのではないか。この仮説を実証するため、マウスの血中のNAMPT量を人工的に増やして老化・寿命がどうなるかを実験で確かめようとしています。

マウスや人では、脂肪をはじめ、いろいろな臓器でNAMPTは老化とともに減り、エネルギー代謝の根源であるNADを合成する能力が落ちてきます。それなら中間物質であるNMNを人工的に供給すれば、老化によるNADの不足分をカバーできるのではないかと考え、約8年をかけてマウス実験で効果を確かめたのです。

マウスにNMNを1年間投与し、顕著な抗老化作用を確認

――それが2016年に発表されて話題になったNMNに関する論文ですね。成果はいかがでしたか。

今井 NMNをマウスに投与する実験は日本のオリエンタル酵母工業(株)との共同研究として行いましたが、結果は素晴らしいものでした。

その前段階として2011年に発表した研究では、糖尿病のマウスにNMNを投与すると、すい臓や肝臓の機能が改善して、糖尿病に対して劇的な効果がありました。糖尿病のマウスはNAMPTの量が減り、いろいろな臓器でNADを作れなくなっています。そこにNMNを投与すると劇的に症状の改善がみられた、というわけです。

こうした背景のもと、今回の研究では、NMNを普通のマウスに5カ月齢から17カ月齢まで1年間投与し続けて、さまざまな機能にどのような影響があるかを調べました。投与量は100mg/kgと300mg/kgの2種類です。まずすぐにわかったのは、体重がそれぞれ4%と9%減ったことでした。病気ではないかと心配して検査したのですが異常はなく、むしろ食餌をより多く摂っていました。要するによく食べ、よく動き、エネルギーを活発に使っていたのです。

コレステロールなどの血中の脂肪もあまり上がりませんでした。骨格筋、肝臓、脂肪では、老化に伴って減ったり増えたりする遺伝子発現の変化が抑えられていました。特にエネルギー代謝の状態は17カ月齢のマウスでは若いほうへ約6カ月戻ったのと同じくらいで、骨格筋の状態も相当回復していました。これは人では60歳前後の人が40歳ぐらいの機能に戻るのに匹敵します。細胞内でエネルギーを発生させるミトコンドリアの機能も高まっていました。

――すごいですね。他にはどんな結果が出たのでしょうか。

今井 目の機能も良くなります。網膜には光を感じる神経細胞が2種類あり、1つは明暗を、もう1つはカラーを感じますが、両方とも顕著に改善しました。また涙の量も増えました。骨密度も少しですが高まっていました。免疫細胞の数も増えていました。

以上をまとめると、NMNを1年間投与したマウスでは、老化に伴って起きるさまざまな機能低下が抑えられている。つまりNMNに顕著な抗老化作用があるという結果がはっきり出たのです。これは抗老化方法論を確立していく上で、非常に重要な結果でした。ただ、この研究成果を発表した時、「若返り薬」といったセンセーショナルな形でマスコミやインターネット上で取り上げられ、その辺に出回っている科学的根拠に乏しい怪しげなサプリと同じようなトーンが社会に広まってしまったことに困惑しました。この研究には20年近くにおよぶ私たちの老化・寿命に対する研究成果が全て結集されているからです。NMNについては世界の多くの研究者が老化に伴う疾患に対する効果も報告しており、強固な科学的裏付けがある、という点を強調しておきたいと思います。

NMNは野菜やフルーツ、タネ類に含まれるが、量は足りない

――NMNは体内で合成するだけでなく、日常の食物にも含まれていると聞きますが、どのような食物に含まれているのでしょうか。

今井 論文の最後の方には「食物中に含まれるNMNの量」という表を載せました。大雑把に言うと、エダマメ、ブロッコリー、アボカドなどの野菜やフルーツ、タネ類などに含まれています。100g食べても含有量は2mgほどで、抗老化作用の点では量的に少ないですが、体内には、例えば赤血球中には総量で50mgぐらいあると推定されているので、食べ続ければそれなりの量のNMNが体内に供給されるだろうと考えられます。

しかし、年を取ると、体内でNMNを合成する能力が衰えてくるので、食物から摂取するだけではとても足りません。そこでマウス実験で示したように、外からNMNを補給することが効果を生むと考えています。
マウス実験で投与した100mg/kgは、人に換算すると約8mg/kgに相当します。70kgの人なら約500mg(0.5g) なので、投与量としては現実的に可能な量だと思います。

目標は健康寿命を延ばすこと。「ピンピンコロリ」を実現したい

――NMNへの期待が高まるのもうなずけますね。先生は「研究の目標は人間が死から免れることではなく、健康で充実した人生を送ること」と述べておられます。抗老化作用の研究が高齢化社会に与える影響をどう見ておられますか。

今井 日本は長寿大国として世界でも有名ですが、これまで老化・寿命の制御メカニズムの研究はほとんど行われていませんでした。糖尿病やがんといった個別の病気に多くの研究費が使われてきたからです。

しかし、いま世界の趨勢は「多くの病気の大本は老化にある」という考え方です。老化が根本的なリスク要素になっているので、まずそのメカニズムを理解し、病気にかからないようにしようという研究が盛んになっているのです。
日本でもようやく今年度から文部科学省が「老化メカニズムの解明・制御プロジェクト」に取り組むことになりました。
こういう研究をすると、「やたらに寿命を延ばしても、要介護の人を増やすばかりだ」と言う意見がよく出てきます。しかし、研究の真の目標は単に寿命を延ばすことではなく、健康寿命を延ばすこと。簡単に言うと、健康で幸せに天寿を全うする「ピンピンコロリ」を実現することです。

プロダクティブ・エイジングが少子高齢社会の重要な解決策

――その辺りはとても重要なポイントだと思います。もう少し具体的にお話していただけますか。

今井 いくら長生きしても病気で寝たきりではどうにもなりません。NMNを使って視床下部のSIRT1の機能を高めるのは、「心身ともに健康で充実した人生を送ること」、つまりプロダクティブ・エイジング(生産的・創造的な高齢化)を実現するためなのです。これは日本社会の命運を分ける課題だと考えています。

日本では高齢化に加えて少子化が進んでいて、合計特殊出生率は1.46(2015年)です。人口減少が進むと、健全な社会構造を保つための労働力人口が足りなくなります。欧米は移民で補いますが、日本ではそれは難しい。ロボットの活用も大事ですが、プロダクティブ・エイジングによって健康で働く意欲のある高齢者が生き生きと社会に貢献し、自分のやりがいにもなることが重要な解決策ではないかと考えています。

NMNは1~2年内に製品化が可能になる見通し

――今、慶應義塾大学と共同でNMNの人への臨床研究をされていますが、これはプロダクティブ・エイジングの実現に向けて大きな意味を持ちますね。

今井 そうです。現在はNMNを人に投与しても安全かどうかを確認していますが、それがもうすぐ終わり、今年中には効能を調べる段階に入ると思います。結果にもよりますが、あと1~2年のうちに製品化することが可能ではないかと思います。

NMNは現在オリエンタル酵母(株)が生産しています。2008年に私たちの論文を読んだ同社の若い研究員の方から、「当社の技術であればNMNを作れます」というメールをいただきました。私のほうも大量供給してくれる企業を探していたところで、渡りに船でした。さっそく情報交換して計画を練り、マウスへの投与実験に使うことができました。
日本企業と日本人研究者が協力してNMNを開発できたことは、長寿大国・日本の役割を世界に発信する上でとても良かったと思います。

科学的根拠の乏しいサプリが氾濫。NMNはニュートラシューティカルとして開発

――慶應義塾大学の臨床研究で安全性や効能が確認されたら、どういう形で一般に提供されることになりますか。

今井 いま日本では健康志向の高まりから多くのサプリメントが出回っていますが、それらの中には、効能やメカニズムの点でしっかりした科学的根拠を持たないものが数多くあります。その点、NMNは世界中の研究者が関わり、相当数の論文で裏付けられています。

私は、NMNはサプリではなく、万全な科学的証拠に裏付けられた「ニュートラシューティカルズ(Nutraceuticals:機能性食品、医薬品ではなく健康の維持増進に役立つ食品)」にすることを目指しています。日本では2年前から「機能性表示食品」という制度があるので、このカテゴリーで行くことになるでしょう。
なぜ医薬品にしないかと言うと、今や日本は40兆円を超える国民医療費の問題を抱えているからです。このまま高齢化が進むと財政破綻は免れません。こういう時に高額の費用をかけて新薬を開発し、それを国民皆保険制度の下で供給するのは現実的な方法ではない、というのが私の持論です。特に高齢者は複数の病気を持っているので、それぞれの病気に対して新薬を供給したのでは、医療費の増大は際限がありません。
科学的根拠のしっかりとした機能性食品をできるだけ早く供給することが、日本の将来にとって重要です。日本でこれから始まる老化メカニズムの研究に、ぜひ今後とも貢献したいと考えています。

TEXT:木代泰之

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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