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ピアニスト・反田恭平が語る、ニューノーマル時代のクラシック音楽とDX

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新型コロナウイルス感染防止のため自粛生活を強いられた日本国内で、オンラインによるライブ配信が活況を極めた。その中で注目を集めたひとつが、ピアニスト・反田恭平氏プロデュースによるクラシック音楽のオンデマンド・コンサートだ。多くの交響楽団が無料での無観客公演配信を実施することが多い中、反田氏は、あえて有料配信に踏み切った。

「今、あらゆるフェーズにおいて、時代が大きく変わろうとしている。その瞬間を逃したくない」。かねてからクラシック音楽業界に新風を吹き込みたいと語ってきた彼の志は強い。テクノロジーの活用にも積極的な反田氏は、ニューノーマル時代における音楽鑑賞の在り方をどう捉えるのか。果敢に新たな挑戦を続けるクラシック音楽業界の革命児に、その志を語ってもらった。

反田恭平
反田恭平
(そりた・きょうへい)

ピアニスト。1994年生まれ。2012年、高校在学中に第81回日本音楽コンクール第1位入賞。チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院(ロシア)に首席で入学後、2016年に開催したデビューリサイタルは、サントリーホール2000席が完売し、圧倒的な演奏で観客を惹きつけた。ソリストとしての活動のほか、メディアへの出演、2018年からは室内楽や自身が創設したMLMナショナル管弦楽団のプロデュース、また2019年にはイープラスとレーベルを共同設立。現在はポーランドのF.ショパン音楽大学にて、ピオトル・パレチニに師事。

音楽家にとってのフィジカル

――11歳まで、ワールドカップ出場を目指し、サッカーに熱中していらしたと聞きました。ピアニストを目指されるようになった経緯をお聞かせください。

反田 ピアノを始めたのは4歳ですが、11歳で右手首を骨折するまでは、確かにサッカーに夢中でした。実は、当時の僕は、ピアノを弾くことをかっこいいとは思っていなかったんです。仮面ライダーやウルトラマンが好きな少年で、活動的な遊びやスポーツのほうに惹かれていました。ところが、ある日、人生観が180度ひっくり返る出来事が起こるんです。大袈裟かもしれませんが、本当にそれぐらいの衝撃でした。

12歳のとき、指揮者の曽我大介先生のワークショップに参加したのですが、80名のオーケストラ団員を前にして指揮者をさせてもらえることになったんです。指揮棒をサッと一振りした瞬間、世界が一変しました。あらゆる楽器が一斉に鳴り響き、圧倒的な音の世界に包まれた。クラシック音楽の“かっこよさ”に覚醒した瞬間でした。サッカーでもそうでしたが、よくよく振り返って考えてみると、僕はみんなで何かひとつのものをつくるとか、一体感を持って何かに挑むことが好きだったようです。「指揮者になりたい」――すかさず、先生にそう伝えました。「指揮者になるためには、まず、何かひとつの楽器を極めたほうがいい」という先生の教えに従って、今日までピアノを続けてきたんです。

ピアニスト 反田恭平氏

――その後、2012年、高校在学中に第81回日本音楽コンクール第1位に入賞され、翌年ロシアのチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院へ留学。現在はポーランドのショパン国立音楽大学に在学されています。海外生活で、ご自身に何か大きな変化はありましたか?

反田 やはり圧倒的に視野が広がりましたね。モスクワ音楽院では、男女合わせて約500名の学生が一緒に暮らすという、日本ではあり得ないスケール感の寮生活を体験しました。まさにカオス状態です。ただ、その分、多彩な価値観に触れることができる環境でした。しかも、自分を含め、母国である程度の結果を出して留学している生徒がほとんどで、中には世界的に活躍し始めているアーティストもいました。抜きん出た存在の彼らに共通していたのは、ボーリングだったり料理だったり、多彩な趣味を持っていたことです。日本にいるときには、指に怪我をする危険性のあるスポーツや趣味はご法度という暗黙の了解があったんですが、彼らは全く意に介さない。自由に、自己責任でいろんなことにチャレンジしていたことに、すごく刺激を受けました。

僕も触発されて、卓球などの球技を覚えたり、スポーツジムに通ったり、ピアノ以外にいろいろな趣味にトライしました。また、少しでも太るために、一日ひと袋、ポテトチップスを食べることを日課にしたり(笑)。当時の僕は、身長170センチ、体重49キロと、非常に細身でした。けれど、留学前の日本音楽コンクールで、生まれて初めて大きなコンサートホールで演奏したときに、自分の小柄な体格から出せるピアノの音量の限界に気づいたんです。モスクワ音楽院でも先生にその点を指摘され、「まずは身体を大きくしなさい」と指導を受けました。

コンサートピアニストは、皆さんが想像するよりもずっと、フィジカル的素質を求められます。音響設備の整っていないホールもあれば、音が反響しやすいホールもある。その中で、演奏曲の抑揚の鍵を握る音の強弱、フォルテッシモ(きわめて強い音)とピアニッシモ(きわめて弱い音)を自在に操らなければなりません。ロシアでは徹底的にフォルテッシモの幅を広げるよう鍛えられましたし、今は微弱なピアニッシモの習得に力を注いでいます。豊かで情熱的、時には繊細な音を生み出すためには、身体が資本。だから僕は、昔のように痩せるわけにはいかないんです(笑)。

クラシック音楽の改革を導くデジタルテクノロジー

――コロナ禍で自粛生活を強いられた中、「Hand in hand」というオンデマンド・コンサートを企画されました。初のライブ配信の試みについてお聞かせください。

反田 「Hand in hand」は、僕と同世代の音楽家によるアンサンブル「MLMナショナル管弦楽団(以下MLM)」と一緒に立ち上げました。1回目のコンサートは2020年4月1日、東京都が緊急事態宣言を発令する直前です。すでに、コンサートが軒並み延期や中止に追い込まれていた状況下で、僕自身のみならず、MLMメンバーの演奏場所を確保したかったという思いもありました。コンサート中止で損害を被るのは、アーティストだけではないんです。コンサートづくりに携わる、舞台監督やホール関係者、さまざまな人が窮地に立たされます。著名な法人オーケストラが無観客ライブの無料配信を開始した折ではありましたが、僕たちの「Hand in hand」はあえて有料配信という方法を選択しました。

オンデマンド・コンサートのリハーサル風景
オンデマンド・コンサートのリハーサル風景

1回目は当初24名での演奏を予定していましたが、コロナウイルス感染拡大の状況が悪化していたこともあり、やむなく8名の少人数メンバーで、ステージで同時に演奏する人数は最大3名という形式でスタートしました。それでも、7月の3回目公演では、17名のメンバーで賑やかに舞台を彩ることができ、お客様にも100名限定で会場に入っていただけました。オンラインによる配信という試みだけでなく、僕と同世代の若い演奏家たちによるアンサンブル公演の成果としても、意味のあるものになったと自負しています。

――反田さんは「クラシック業界を刷新していきたい」という強い志をお持ちです。オンラインライブ配信は、ひとつの布石になるのでしょうか?

反田 なると思います。というか、ならざるを得ないでしょうね。僕は今、26歳で、ガラパゴス・ケータイを知っているぎりぎり最後の世代なんです。つまり、僕らの下の世代、“ネオ・デジタルネイティブ”と言われるZ世代は、音楽を聴くのも、映像を観るのも、スマートフォンやパソコンです。彼らにとっては、インターネット経由の視聴方法がデフォルトなんです。実は、「Hand in hand」の有料配信に踏み切ったとき、メディアや業界内部からの批判もたくさんありました。無料配信であれば、自粛生活下の人々の気持ちを和らげる、ボランティア的活動として評価されたのかもしれませんが、有料としたことで「高貴なクラシック音楽を冒とくしている」という批判を生んだわけです。けれど、2か月もすると、多くの批判がコロッと賛同に変わってしまいましたが。

時代は明らかに進んでいます。だったら時代に合わせて僕らも発信の仕方を変えていかなければならない。デジタルネイティブに向けたクラシック音楽の提供方法をもっと真剣に考えなければならないはずです。そういった点に関して、クラシック音楽業界、特に日本の業界は非常に遅れていると言わざるを得ません。逆に、だからこそ、おおいなる可能性を秘めているとも言えます。演奏者自身も発信の仕方を問われています。僕はメディアプラットフォームで、練習曲などのコンテンツの有料配信もしていますが、批判は覚悟の上です。これから活躍を志す音楽家は、自分自身で発信する術を身に着けなくてはならない時代に足を踏み入れているのではないかと思うんです。

MLMナショナル管弦楽団との公演
MLMナショナル管弦楽団との公演(2019年)

――今後も、デジタルテクノロジーを積極的に活用していこうという考えをお持ちですか?

反田 僕は、自分を鼓舞するためにも、積極的に目標を口にします。ですから、ここでもあえて宣言します。近いうちに、スマートフォンのアプリを開発するつもりです。これは、1年以上前から温めていたアイデアなんです。

独立して事務所を作ってから、コンサート会場でのいろいろな改善点を探ってきました。例えば、クラシック音楽の演奏会やバレエ公演などの会場内で配られる分厚いチラシの束。大量の紙が使われ、読み終われば破棄される。ちっともサステナブルじゃないですよね。紙のチラシをすべてPDF化してスマホのアプリで閲覧できるようにすれば、即、問題解決となるはずです。それから、e-チケット発券後のお客様へのアフターケア。e-チケット発券までは、ようやくシステム化されてきましたが、お客様がホールに入ってから席につくまでの誘導サポートはいまだ不完全です。ホールの座席表やホール全体のレイアウトをアプリで簡単に読み込めるようにしたいと考えています。

もうひとつ大きな柱として、アプリによるキャッシュレス化を進めたいと思っています。コンサート後サイン会には多くのお客様が並んでくださいます。そこではCDも販売するのですが、キャッシュの場合、お釣りのやり取りにかかる5~10秒のタイムロスが多くのお客様の待機時間に加算されてしまいます。これが、QRコード決済で、CDやパンフレットなどを購入できたり、休憩時間の飲食に利用できたりするようになれば、ホールでの不必要な長蛇の列の解消につながるはずです。とにかく、テクノロジーの活用によって、コンサート運営における無駄をなくし、お客様にストレスをかけず快適に過ごしていただく方法を探っていきたいんです。まだまだアイデアは尽きません。

未来を担う演奏家を育てたい

――反田さんは、自ら事務所を立ち上げられ、独立独歩のスタイルで活動を続けられています。インディペンデントな立場で演奏に取り組まれるのはなぜなのでしょうか?

反田 事務所を立ち上げたのは、明確な目標があったからです。若い世代のアーティストが、未来のクラシック音楽業界の発展を視野に入れ、積極的に活動していく必要性を感じていました。そもそも僕は昔から“当たり前の常識”として世の中に受け入れられているルールに懐疑心を抱くタイプなんです。「この世界のルールだから」――そんな風に言われると、「それって本当に正しいの?」「誰が決めたの?」と返してしまいます。クラシック音楽業界だけではなく、日本全体、さらには世界でも、何か“見えないルール”というものに、誰しもが囚われやすいように思います。でも僕はそういう“見えないルール”に囚われず、自分の心の声に素直に従って行動していきたいんです。目標への意欲に突き動かされた結果、独立したという感じですね。

レコーディング音源チェックの様子(2019年)
レコーディング音源チェックの様子(2019年)

――その目標とは、すでに宣言されている「30年後に音楽学校をつくる」という目標でしょうか?

反田 そうです。音楽学校を作るには、まず、僕自身が理想の音楽家としての資質を身につけなければなりません。200年以上前に活躍したモーツァルトやベートーヴェンを思い出してみてください。彼らは、曲を書き、演奏場所を探し、ピアノも弾けばヴァイオリンも指揮も行い、さらにはパトロンも自ら探し出します。スキルはもちろんのこと、セルフプロデュース能力に長けていた。僕の理想の音楽家というのは、そこに立ち返るわけです。一方、現代のアーティストは、演奏以外のスキルは持っていなくとも十分に活動できる仕組みが確立しています。アーティストとしては演奏だけに集中できるので、非常にありがたいことなんですが、僕はあえて難しい道を選んでしまう性があって。

――舞台上のオーケストラはもちろんのこと、運営からプロデュースまで、コンサートを総括的に指揮できるスキルを身につけた上で、音楽学校設立を見据えているということですね。具体的にはどのような音楽学校を目指されているのでしょう?

反田 具体的に言うと「コンセルヴァトワール(音楽院)」を目指しています。僕の中では、日本の音楽大学が座学を中心に音楽理論や知識を徹底的に学べる場だとすれば、コンセルヴァトワールはより実践に特化した場と位置づけています。

僕がつくる音楽学校の教師陣には、世界各地のオーケストラとの共演経験を豊富に持つ、プロフェッショナルな演奏家たちを迎えたいと考えています。30年後には僕も56歳で、MLMのメンバーもみな、ベテランの領域に入っているでしょう。舞台を通して培った経験は、次世代の演奏家たちを育てる上で、非常に役に立つものになると思います。より実践的で、より現場に即したリアルな知識を教授できるはずです。

僕は留学先でも海外の若い世代のアーティスト、仲間にたくさん出会いたいと思っています。いずれは、彼らを日本に招聘して、僕のコンセルヴァトワールで教鞭を執ってほしい。日本発信で世界的に活躍する音楽家を育てる場をつくりたいんです。

ピアニスト 反田恭平氏
ビデオ通話にてインタビューを実施

――ひとりの演奏家としては、今後どのように成長していきたいとお考えですか?

反田 音色には、アーティスト個人の人生観がにじみ出ると思います。モーツァルトは35歳の若さで早世していますが、彼の音楽は単に若々しく華やかなだけではありません。明るい曲調の作品ほど暗い悲しみが宿る。暗い曲調のものほど最後には歓喜が待っている。僕はそう信じて彼の曲を弾いています。モーツァルトの音楽には深みと複雑さがあり、引き出しが多いからこそ、多くの人々を魅了するんです。たった35年とはいえ、濃く凝縮した人生を生きた人だから、あれだけの音楽の幅が生まれたんだと想像します。

僕も高校生のときに、ある先生に問われました。「最後の音を出したとき、後悔しませんか?」。この言葉が耳に焼き付いて、そのときから、僕は毎日の最後の一音を悔いなく終えたい、と心がけてピアノを弾くようになりました。一球入魂ならぬ一音入魂ですね。人生って、たった一回きりなんですよ。自分のやりたいことをやり残して、後悔してこの世を去るのは絶対嫌だなと。日々、そういう覚悟で、そういう密度で生きていくことで、人生が音楽の幅を広げてくれると確信しています。

インタビュー:岸上雅由子、写真提供:反田恭平

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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