量子コンピューティング

ウィグナーの友人とQiskit:観測者の観測がいかにして量子測定の問題を生むか

記事をシェアする:

実験的な量子サイエンティストの多くは、IBMでも、研究コミュニティー一般でも実験仲間と協力して働いているものです。量子の理論家たちだって仲間と協業したいと思っています。たとえそれが空想上の仲間だったとしてもです。

1961年に、物理学者のユージン・ウィグナーは、「ウィグナーの友人」として知られる架空の実験仲間を想像しました。ウィグナーは、彼とその友人が、量子力学の従来的な「コペンハーゲン解釈」の矛盾を明らかにできることを示しました。もしウィグナーの友人が量子系を観測し結果をウィグナーに伝えると、波動関数の崩壊が起こった瞬間について意見が食い違うことになるのです。

ウィグナーの友人のその後の思考実験は、測定の問題と量子力学の普遍性の私たちの理解に、極めて大きな影響を与えました。実際、これらの思考実験は、量子コンピューティングの発展にも拍車をかけました。

量子コンピューターの道具を使って量子パラドックスを解決するQuantum Paradoxesシリーズに再びようこそお越しくださいました。このようなブログ投稿に加えて、シリーズにはQiskit YouTubeチャンネルのビデオや、紹介したシミュレーションを自分で再現する方法を示したQiskit コードチュートリアルも用意されています。これまでに公開されたビデオは、Quantum Paradoxesプレイリストにあります。

前回は、巨視的な重ね合わせ状態という奇妙な可能性を扱った、シュレディンガーの猫と呼ばれる有名な思考実験を取りあげて論じました (このテーマについては、以前のQiskitブログ記事を参照してください) 。 シリーズの次の3回の記事はすべて観測者についての考察を伴う、ウィグナーの友人の実験に基づいています。このブログ記事では、ウィグナーの友人のオリジナルの問題提起と、それが測定問題に対してどのような意味を持つかについて論じます。

ウィグナーの友人

1961年に、物理学者ユージン・ウィグナーは、観測と量子波動関数の関係に関する論文を書きました。彼は、重ね合わせ状態にある量子系と実験室にいる彼の友人を想像しました。このブログ記事では、この量子系を一つの量子ビットと呼ぶことにします(量子ビットという用語は当時存在しませんでしたが)。そして、彼の友人をフリーダと呼ぶことにします。

この量子ビットは、0と1の重ね合わせ状態にあるものとします。フリーダはその量子ビットを測定し、0か1のどちらかひとつの結果を測定します。コペンハーゲン解釈によると、フリーダの視点では、その量子ビットは、その瞬間、不可逆的に破壊され一つの状態になります(量子力学のコペンハーゲン解釈については、シュレディンガーの猫についての前回のブログポストをご参照ください)。

この状況でウィグナーは、フリーダと量子ビットが存在する実験室の外にいます。フリーダの実験室からウィグナーは完全に隔離されていて、実験室から一つの粒子も飛び出して彼と相互作用を持つことはないと私たちは想定しています。ウィグナーの視点から、フリーダとその量子ビットは、一緒に一つの完全な量子系を成していて、フリーダによる測定の後、もつれた量子重ね合わせ状態を共に形成します。これは、量子ビットが0でフリーダが0を観測した状態と、量子ビットが1でフリーダが1を観測した状態の重ね合わせです。

次に、ウィグナーが実験室のドアにメモを滑り込ませて、フリーダが測定で何を観測したかを書くように頼みます。彼女は「0」または「1」と書いて、それをドアの下から滑らせて実験室の外に返します。ウィグナーの視点では、少なくともコペンハーゲン解釈によれば、メモを受け取った瞬間が彼の友人と量子ビットが不可逆的に単一状態に収束する瞬間になります。

ユージン・ウィグナーは不可逆的な崩壊につながるこの観測の概念が、この思考実験では二人の異なる観測者の視点の間で矛盾を生じていることに気づきました。

フリーダは、彼女が量子ビットを測定した瞬間に崩壊が起きたと言います。対照的に、思考実験の中のウィグナーは、フリーダの測定結果が何だったかをウィグナーが知った瞬間に崩壊が起きたと言います。もし量子系の不可逆的崩壊が物理的な現象であれば、崩壊が物理的に生じた瞬間について2人の観測者が異なる結論に達するのは一体どうしてなのでしょうか?

ウィグナーの思考実験は、量子測定の標準的な説明における矛盾を明らかにし、量子力学の「観測問題」として知られる問題をあぶりだしました。

2人の観測者の間での崩壊についての矛盾は、観測が不可逆的崩壊を引き起こすという従来の「コペンハーゲン解釈」がパラドックスを避けるのに十分ではないことを示しました。観測問題を解決し、ウィグナーの友人の思考実験について矛盾のない説明を得るためには、より良い理論が必要です。

パラドックスの解決

パラドックスを解決する一つの方法は、量子理論を微視的な粒子に適用するのと同様なやり方で、巨視的な系、観察者、環境のすべてに適用し、量子理論を普遍的な理論として真剣に扱うことです。そうすれば、不可逆な崩壊というものは存在しなくなります。すなわち、量子力学における物理過程は測定も含めて全て完全に可逆的であるということになります。

私が、シュレーディンガーの猫についてのブログとドミノについての動画を使って前回説明したように、測定の不可逆性と見えるものは、デコヒーレンスから生じます。デコヒーレンスは、系の中で情報が環境に伝播し、系を単一の状態に固定化させる連鎖反応です。

これをウィグナーの友人の思考実験に適用することを考えてみましょう。フリーダの視点からは、彼女が量子ビットを測定すると、彼女は1つの測定結果を見ます。彼女は自分が量子ビットを測定した量子系であり、今、自分が量子ビットと量子もつれの状態にあると理解します。彼女は、0を観測したバージョンと1を観測したバージョンの両方を含む、もつれた重ね合わせ状態の一部を構成します。

フリーダの測定は不可逆的ではありません。なぜなら、理論的には、彼女はもうひとりの自分と融合して、測定前の元々の状態に戻ることも可能だからです。量子力学を普遍的に適用するということは、異なる測定結果に対応して生じる分岐に起因する、量子力学の「多世界」解釈として一般に知られています。

次にウィグナーの視点からは、フリーダが量子ビットを測定したとき、フリーダと量子ビットはもつれた状態になります。ウィグナーがフリーダの測定結果を発見すると、単一の結果を見ている固定された状態に彼自身がなります。しかし、彼は量子理論を自分自身にも適用するので、彼は、彼がフリーダおよび量子ビットともつれた重ね合わせ状態に加わったことを知っています。

このアプローチでは、ウィグナーとフリーダは、彼らの測定がいつ行われたか、そしてこれが量子ビットにどのような影響を与えたのかについて、首尾一貫した説明ができます。フリーダは量子ビットを測定した瞬間に単一の結果を見ました。ウィグナーはフリーダの計測結果を発見した瞬間に、単一の結果を見ました。しかし、どの時点にも不可逆的な崩壊はありません。どちらの測定も、観測者と量子系がもつれ状態になったことから生じた結果です。

量子回路としてのウィグナーの友人

ウィグナーの思考実験をひとつの量子回路に落とし込むことで、次の3つのケースのシミュレーションを実装することができます。(1) ウィグナーの友人が不可逆的な崩壊の原因となるケース、(2) ウィグナーが不可逆的な崩壊の原因となるケース、(3) どちらも不可逆的な崩壊を起こさないケースです。

重ね合わせ状態にある量子ビット、ウィグナーの友人フリーダと、ウィグナーのすべてを量子ビットでモデル化することで、これを行います。そして、不可逆的な崩壊は、Z測定を使って実装し、可逆的で非破壊的な測定はCNOTゲートで実装します。この量子回路の詳細についてはビデオコード・チュートリアルをご覧ください。

問題と論争

観測者を量子系として扱うこの単純な解決策は、シュレディンガーの猫のパラドックスに対する私の解釈に似ています。つまり、巨視的な系と観測者を量子系として扱うことによって、なぜ私たちが単一の結果しか観測しないのか、なぜ日々の生活の中で測定が逆転されないのか、そしてなぜ異なる観測者が測定結果について一貫した解釈をすることができるのかを説明することができます。

しかし、普遍的な量子理論は新しい問題をいくつも生み出します。たとえば測定結果の確率が、その元となる量子状態からどのように決まるかを述べているボルンの規則がその一例です。この文脈でボルンの規則にはさまざまな派生がありますが、根底にある前提に関する意見の相違により、依然として激しく議論されています。また他にも、観測者について生じる分岐の物理的な意味について異なる解釈を持った、不可逆的な崩壊を避け量子理論を普遍的であるとして扱う、崩壊なし派の理論もあります。

一方、不可逆的な崩壊を含めるように量子力学自体を修正するような他の理論もあります。これらの破壊あり派の理論は、コペンハーゲン解釈よりもさらに詳細で、測定のダイナミクスの明示的な説明を行います。このアプローチは、不可逆的な崩壊がいつ起きるかについて明確な基準を定めることで、ウィグナーの友人のパラドクスを回避します。これらの理論は、崩壊が、観測という行為そのものよりも、例えば巨視的な物体の質量、複雑さや大きさによって引き起こされると仮定しています。量子力学のダイナミクスを修正する完全な理論はまだありませんが、いくつかのアプローチが現在活発に研究されています。

観測が不可逆的な崩壊を引き起こすとする理論と、そうでない理論を明確に区別するのに、ウィグナーの友人の実験は十分ではありません。実際、不可逆的な崩壊が起きるのか、いつ起きるのかに関わらず、測定結果は同じになります。しかし、1985年にコペンハーゲン解釈と多世界解釈の違いを検証するためにウィグナーの友人の拡張が提案されました。この思考実験は量子コンピューターの概念を形作るのに貢献しました。次回、これらの詳細についてもっと学ぶことにしましょう!

 


この記事は英語版IBM Researchブログ「Wigner’s friend with Qiskit: How observing an observer causes the quantum measurement problem」(2024年3月13日公開)を翻訳し一部更新したものです。

 

松尾 惇士
監訳:松尾 惇士
IBM Quantum スタッフ・リサーチ・サイエンティスト
Quantum Engineering and Enablement Team
立花 隆輝
監訳:立花 隆輝
IBM Quantum シニア・テクニカル・スタッフ・メンバー
量子コンピューターの社会実装に携わる。
More 量子コンピューティング stories

Qiskit SDKの設計理念

Qiskit SDKの開発を方向づけてきた理念や設計上の意思決定を明らかにしている新しい論文が公開されました。これは研究者が論文でQiskitを参照する際にちょうどよい引用可能な資料にもなっています。 Qiskitは最初 […]

さらに読む

Qiskit向けの新しい推奨ノートブック環境

OVHcloudやqBraidが提供するJupyterベースの環境は、クラウド上でQiskitを扱うプロセスを簡略化します。 IBM®は、量子回路に初めて取り掛かろうとしている初心者に対しても、既に100量子ビットを持っ […]

さらに読む

ユーティリティー・スケールの計算タスクを効率化する実行モード

Qiskit v1.xで改善された新しい実行モード(execution mode)は、量子ワークロードの信頼性、予測可能性、そして効率を大幅に向上させています。 ユーティリティー・スケールの研究を行うためには、ユーティリ […]

さらに読む