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後編|AIを活用し難病患者と専門医をつなげる。難病情報照会アプリにかける思い

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成富 研二氏

成富 研二氏
琉球大学 名誉教授
沖縄南部療育医療センター 嘱託医師(遺伝医学)
 

 

松田 文彦氏

松田 文彦氏
京都大学 総長主席学事補佐
京都大学大学院医学研究科
附属ゲノム医学センター センター長・教授

 

先崎 心智

先崎 心智
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア&ライフサイエンス・サービス
パートナー/理事

自分しかやる人がいないというプライド

先崎、対談時の様子

先崎 成富先生は「新しいものが好き」とおっしゃる一方で、UR-DBMSには30年以上携わっておられます。なかなかできることではないですよね。

成富 病気(結核)をした経験があるからだと思います。結核予防法により、入院費など2年間の医療費は公費負担となりました。2年間「タダめし」を食べさせてもらったので、その分は返さないといけない。儲かる分野はやりたい人が多いけれど、儲からない分野は誰もやらない、ならば僕はここをやろうと決めました。こんな感じだから、遺伝医学は変わった人が多いですね。

先崎 現在でも臨床医として仕事をしながら、UR-DBMSの更新を続けておられます。どのようなスケジュールで作業されているのですか?

成富 朝7時に職場に行き、その日更新する情報と昨日改変した情報を手元で見られるようにメモ用のアプリケーションにデータを入れます。それが終わると臨床医としての仕事。合間に翻訳などの作業をします。

職場から帰宅したあとは、夜8時頃にUR-DBMSに取り込んでいるOMIM新しいデータが公開されるので、それをチェックしてから入浴。夜10時ぐらいからまた作業を開始します。ここ数年は作業内容が落ち着いていているので、1〜2時間程度で終わります。新しい情報が多く、更新作業が多かった頃は深夜2時あたりまで作業していました。30年間、睡眠時間は4時間半でしたよ。

※ 「Online Mendelian Inheritance in Man」の略。遺伝性疾患を網羅する情報基盤を構築する米国・メリーランド州ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学のプロジェクト。

先崎 私たちもプロジェクトが忙しくて睡眠時間が十分に取れないことはありますが、ある一定期間だけのことです。睡眠時間4時間半を30年続けるというのはとても想像できません。やはり、ご自分が病気になられたことによる恩返しという動機があるからでしょうか。

成富 はい。さらに、「日本でこの仕事をできるのは自分しかいない」という使命感もある。それに、交代しようと若い研究者に持ち掛けても、結局は続かないのですよ。

先崎 後継者がなかなか見つからないと。

成富 日本では、研究費は「新しいもの」につきやすく、基礎研究のような、継続してコツコツと積み重ねていく分野にはつきにくいことが大きな要因でしょうね。日本のよくないところだと思います。

先崎 松田先生の研究も基礎研究ですよね。なぜ基礎研究を選ばれたのですか?

松田 私も成富先生と似たところがあって、一度はじめたのだから、やめずに続けるという成富先生の使命感や努力がわかります。クレイジーな人がいないとできない研究かもしれません。

本庶先生のもとで15年間取り組んだ研究は、ヒトの抗体遺伝子の構成を明らかにすることでした。これがないとヒト型の抗体はつくれないし、個体における抗体の多様性の遺伝的基盤もわからない。基礎中の基礎とも言えます。「ながはま0次予防コホート」も「難病プラットフォーム(IBM外のWebサイトへ)も同じです。私の役割は黒子になってデータを集め情報基盤をつくること。しっかりした地図や辞書をつくる感覚ですね。

研究費に関して、日本では「出口戦略はあるのか」とか聞かれることがありますが、研究者はビジネスマンではありません。3年程度の短い期間でどうにかなることではないし、出口戦略自体、国が考えて提案してほしいですね。

※ 多くの難病を網羅する情報基盤の構築と、情報基盤の活用によって難病研究の支援・推進を目標とした研究。

先崎 そこは日本の研究者が抱える大きな悩みなのでしょう。ただ、AIが出てきたことでデータプラットフォームの重要性が再認識されています。その潮流の中で、日の目を浴びにくかった地図や辞書をつくっていくような研究の流れも変わってきていると感じますか?

松田 データを使って何かを引き出すというプロセスの技術が進化していますから、影響はあるでしょうね。ベースとなるデータが悪ければ、どれだけプロセス部分が進化しても正しい結果には結びつきません。ChatGPTだって間違った答えを出してきてしまうでしょう? やはり、データの品質が重要です。

正答率よりも、患者が専門医とつながることが大切

松田氏、成富氏、対談時の様子

先崎 お二人の取り組みが、どのように今回の難病情報照会AIプロジェクトにつながったのでしょうか?

松田 成富先生とは、20年近く前に琉球大学を訪ねた時に知り合いました。その後、成富先生がつくっていたデータベースのことを知って、それを利用させてもらうことで、今回の難病情報照会AIのような仕組みが実現するのではないかと考えました。それで2016年に難病プラットフォームの研究分担者になっていただきました。

難病情報照会AIが動き出してからは、プロジェクトの報告と方向性を確認する目的で何度も成富先生に会いに行きました。最後に行ったのは2023年でしたね。

先崎 2023年の時は私もご一緒させていただきました。その節はありがとうございました。実際にアプリ開発を進める中で工夫した点などはありますか?

松田 先程成富先生がおっしゃったように、「顔を見ただけで診断できる」先生がごく少数いらっしゃいます。それと同レベルの診断をアプリで実現するには、症状や遺伝子情報などがきちんと網羅されているデータベースが不可欠です。さらに、医学用語は難しいので、それなりの知識がないと適切な検索が行えません。

先崎 そのようなハードルをどう超えていくのか? ということですね。

松田 そうですね。データベースの更新はもちろん、裏で自然言語処理を入れたり、ベクトル分解して類似度を見たりといった、検索結果の確度を上げていく必要があります。ただ、間違ってはいけないのは、検索結果の確度を上げていくことより、「困っている人が使った時、検索結果に自分の病気が入っているかもしれない」と思えるアプリにすることです。

成富 そう。「外れてはダメ」ではなく「診断候補が出てくる」ことの方が大切なのです。

先崎 それはどうしてでしょうか?

松田 難病プラットフォームは、多くの難病研究班と連携して、全国の患者の情報をしっかり蓄積していくという体制で進めています。ただ実際は、難病研究班の先生方がどんなに努力しても、日本の全患者の2割程度しかレジストリに登録されていません。残る8割の患者はどこにいるのかわからないのです。病院で「診断がつかない」と言われて途方にくれたり、正しくない診断で誤った治療を受けていたりする人がいる。だから、迷っている患者を専門医、すなわち難病研究班の先生につなげることが、その2割を少しでも増やすことになります。ただ、手がかりもない中で、こちらから探し出すのは現実的ではなく、こちらに来てくれるのを待つしかありません。

では、どうしたら来てもらえるのか? どうしたら行動を促すことができるのか? そこで役立つのが、難病情報照会AIの「RD-Finder」であり「RD-Finder Pro」なのです。これで調べて専門医を訪ねてほしい。ですから、診断候補が出てくることがとても大切なのです。

先崎 なるほど。難病プラットフォームでは、患者のレジストリを作成するにあたっての研究班がいくつあるのでしょうか?

松田 厚生労働省の難治性疾患政策研究事業が89班(政策班)、AMED難治性疾患実用化研究事業が約200班(実用化班)なので、合計約290班です。政策班では、難病を理解して診断の基準をつくったり、全国の患者数を調べたりしています。そのため、この89の政策班につなげることが大事。現在、338の指定難病のうち約150の疾患群について、政策班の先生たちと良好な連携が確立されています。

先崎 研究班の先生たちに難病情報照会AIの話をすると、みなさん好意的だったのが印象的でした。

成富 松田先生がおっしゃったように、患者と専門医をつなぐ効果が期待されるからでしょう。一方で、私たちのところに来られる患者さんからよく「治るのですか?」「薬はあるのですか?」と聞かれるのですが、「薬がないならいいです」と病院に来なくなる人も多い。しかしながら、患者さんのデータが集まらないと次のステップには進めません。薬をつくることができない。そこが私たちのジレンマです。

また、一から開発する創薬が必ず必要になるとは限りません。例えば、ライソゾーム病は原因遺伝子の情報がほとんどわかって、その情報をもとに既存薬の中から効果的な薬を見つけることができました。そのような可能性を踏まえると、とにかく遺伝子情報を収集すべきです。子どもの患者の場合、その保護者はインターネットで情報を集めますから、「遺伝子検査をした方がいい」という情報が伝わることを願っています。

成富 最近の保護者の方は本当によく調べますね。「沖縄」「成富」という情報を見つけたといって訪ねてくる方もいます。

先崎 インターネット上の情報は信頼性が高いものもあれば、怪しいものもあります。信頼性の高いものにいかに辿り着きやすくするかというのが、今回の難病情報照会AIの目的でもありますよね。

成富 その通り。ただ繰り返しになりますが、「外れてはダメ」ではなく「診断候補が出てくる」ことが大切で、それで専門医を知ることができるだけでも意味はあると思います。

産学連携が効果を生むために

先崎、対談時の様子

先崎 今後の難病情報照会AIについてお聞かせください。まず、成富先生はいかがでしょうか?

成富 私は、難病情報照会AIが活用するデータベース、UR-DBMSのアップデートを引き続き行います。また、遺伝子検査のために専門家が使う「Syndrome Finder」が経年劣化で使えなくなっています。その状況を解決したいですね。

先崎 松田先生はいかがでしょう?

松田 成富先生がデータベースを常にアップデートしてくださっているので、難病情報照会AIでは、そのデータベースとAIを掛け合わせて、遺伝性疾患の難病候補を出すことができます。ただ、難病で患者数が圧倒的に多いのは、パーキンソン病や潰瘍性大腸炎など、複数の感受性遺伝子が病気の発症や進行と関連する多因子疾患です。

そのため、今後は多因子疾患のデータベースもつくっていきたいのですが、そのためには、多因子疾患に関わる症状などのデータを多く加えていく必要があります。どのような情報や質問を入れると診断候補が出てくるのか難病プラットフォームと連携する難病研究班の先生方の協力を得ながら検討していきたいと考えています。

先崎 今後、IBMへ期待することもお聞かせいただけますか?

松田 IBMとは今後も強い協力関係を続けたいです。産学連携は「学」もあって成り立つものですから、ビジネスモデルができてお金が回るようになったら、学にもそれを回していただくと、さらにいろいろな研究ができるようになります。そういう好循環が生まれるような産学連携にしていきたいですね。

成富 IBMの分野とは違いますが、例えば、よく言われるのは製薬の分野では研究成果が安く買われてしまうということ。「応分の対価」とはどのようなものかを、産側も学側も考えないといけないでしょうね。僕はもうあと何年できるかわからないから、全てお任せしたいです。

松田 成富先生がやっていらっしゃるようなことは、腹を括って維持する人がいないと途絶えてしまう。そういう意味で、特定の個人に依存しすぎる属人的なやり方をするのではなく、組織として維持・発展させられる体制を作ることが極めて重要です。国がしっかりやってくれないのであれば、公的な財団をつくるとか、そういうことも考えられるといいいですね。

先崎 私たちIBMも、引き続き難病研究をサポートしていきたいと思います。本日はありがとうございました。