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生成AIは保険業界のビジネスとシステムに何をもたらすのか(前編)

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久波 健二

久波 健二
日本アイ・ビー・エム株式会社
コンサルティング事業本部
技術理事
 

大規模で複雑な開発プロジェクトでITアーキテクチャー策定から本番稼働まで幅広く参画し、お客様の成功を支援してきた。マルチクラウド環境での基幹システム・アーキテクチャー策定のほか、最近はAI CoE(AI推進組織)の編成やグリーンITの企業への適用にも従事。社内ではアーキテクト育成・推進組織のリーダーとして人材育成、IBMの技術コミュニティー活動を推進している。

 

河野 真介

河野 真介
日本アイ・ビー・エム株式会社
コンサルティング事業本部
保険・郵政アカウント・サービス
技術理事 保険デリバリーCTO

入社以来、生命保険業界を担当し、主にインフラ周辺の開発から各種フレームワークの設計、実装、テストに至るフルライフサイクルをアーキテクトとしてリード。現在はお客様のデジタル変革(DX)案件を担当している。

日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、IBM)は2022年、今後ITがどのように各業界のビジネスをリードしていくのか、ITの革新により保険業界のビジネスがどう変化するのかをまとめたレポート「先進ITで描く2025年の世界【保険編】(以下、2022年版)」を発行しました。公開から2年が経過し、この間にさまざまな技術革新が起こるなかで、お客様のビジネスも大きく変わってきています。なかでも生成AIは当時の想定以上の進化と広がりを見せており、業界を問わずビジネスに変化をもたらしています。
そこで、IBMは今年、最新の技術動向を踏まえて2022年版の内容を更新した「先進ITで描く2027年の世界【保険編】(以下、2024年版)」を取りまとめました。本企画では、同レポートの執筆を主導したIBMの2人の技術理事、久波 健二と河野 真介による対談を前・後編に分けてお届けします。

大きなブレークスルーをもたらした生成AIの登場

久波 生命保険業界を長く担当している河野さんから見て、お客様の生成AI活用の取り組みはどのような状況にありますか。

河野 真介、対談時の様子

河野 生命保険業界のお客様は長年、業務にAIを適用できないか検討を重ねてこられましたが、AIに事前学習させる負荷が高いことが一因となり、取り組みはなかなか進みませんでした。それが大規模言語モデルの登場により、AIを事前学習なしですぐに使えるようになったことが、お客様に大きな衝撃をもたらしています。

久波 適用対象の業務にも変化が起きています。生成AIが登場する以前は、主に労働集約型業務の代替として、自動化を目的としてAIに取り組んでいました。加えて、生成AIは自ら学び、新しいものを生み出すことができます。人が行っていた作業を代替するだけではなく、人ができなかったことも生成AIに任せられるのではないかと、従来とは違った関心や新しい発想が出てきたと感じています。

河野 ただし、顧客に直接的にかかわるような業務での活用については法的あるいは評判リスク(レピュテーション・リスク)への懸念があり、現状は社内業務の生産性を向上させる用途にフォーカスされているようです。

生保業界では現在、保険商品のライフサイクルの長さに起因する膨大な過去の資産の扱いが大きな問題となっています。特にCOBOLプログラムなどの資産の維持管理対策として、ホストの撤廃やオフロードが検討課題に挙がっています。しかし、それらを人手で行うのは投資対効果(ROI)の面から現実的ではありません。そこで、生成AIをコードの自動変換や保守開発で活用することに多くのお客様が関心を持たれています。

久波 生成AI活用のアプローチには、大きくビジネス面とIT面があります。当初はビジネス変革でどのように生成AIを活用するかということに多くの関心が集まっていました。加えて、最近はIT変革に向けたPoC(概念検証)も進んでいるようです。

図:業界における変革領域と実現に向けた取り組み(保険)

河野 確かに、要件定義から開発、テスト、運用保守というシステム開発のライフサイクル全体を通じた生成AIの活用について検討が進んでいると感じます。例えば、「ソースコードはあるが仕様書はない」という状況に対して、「ソースコードを生成AIに読ませて仕様書を生成する」「ソースコードからテストコードを生成する」など、幅広い活用の仕方が考えられます。運用保守面でも、クラウドを含めて複雑化しているマルチベンダー環境において、AIを活用することでプロアクティブな障害検知を行えることが注目されています。

久波 IBMは「IT変革のためのAIソリューション(AI for IT)」として、生成AIを用いたコード変換や運用自動化など、システム開発・運用を支援する生成AIソリューションをご提供しています。お客様が個々に蓄積したノウハウや過去の対応履歴を読み込ませて、生成AIがプロアクティブに提案もしくは自動実行するといったことが可能となっています。

AIがプログラマー、PMO、チームリーダーの役割をも代替する

久波 AIが登場した当初は、新入社員や若手社員が行うようなエントリー・レベルの仕事がなくなると言われていましたし、実際にそうなりつつあります。加えて、生成AIを活用した仕様書の作成や、テストデータの作成から実行・検証までの一連の作業を対象にしたテスト工程の自動化などについても、多くのお客様がPoCを進めています。

河野 現在、生成AIがベースにしている基盤モデルは膨大なオープンソースの資産を取り込んで一定の品質が担保されたソースコードで学習しており、中級・上級プログラマーと同等レベルのソースコードを生成できます。開発プロジェクトではソースコードに基づく分岐網羅のテストや機能テストに大きな工数が割かれますが、そこでも生成AIが使えます。今後、プログラミングの仕事は大きく減っていくかもしれません。

さらに、欧米ではPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)や、組織を束ねるチームリーダーのような役割をAIに代替させる動きも進んでいます。特にアジャイル開発のスクラム・マスターのような役割をAIで代替できる可能性が見えてきました。今後はエントリー・レベルと上位のマネジメント・レベルの仕事の多くがAIに代替され、それらのAIをうまく使いこなすことが人の役割になっていきそうです。

久波 IBMのAI for ITでも、「プロジェクト管理のためのAI(AI for PMO)」や「AI戦略策定とガバナンス(AI Strategy&Governance)」などを提供しており、以前はリーダーがやっていた仕事や品質レビューなど、AIが貢献できる領域が増えています。

久波 健二、対談時の様子

求められる生成AIの信頼性とAIガバナンスの実践

河野 一方、お客様が何よりも重視される観点は「信頼性」です。保険業界はリスク管理の業種であり、品質に厳格です。業務へ適用していくためには、いかに安全・安心を担保していくか、慎重なアプローチが必要です。

今は生成AIの黎明期ということもあり、人がアウトプットしたものをインプットしてAIがどんどん賢くなっています。今後、人によるアウトプットが枯渇してAIによる生成物でAIが学習する状態になったとき、果たしてそれで品質が向上するかは不透明であり、これから生成AIがどのように進化していくのかは非常に興味深いところです。

久波 まさにご指摘のとおりです。全ての業務やプロセスをAIに置き換えると判断の根拠や基準がブラックボックス化してしまう可能性があるため、本番業務に耐えうる品質の維持や日々の改善活動が課題となります。そこで、多くのお客様は最初のチェックポイントや最終作成物に関しては人による判断を介在させて信頼性や品質を担保しようとされています。将来、莫大なデータを基に瞬時に判断を行うAI、つまり人智を超えるようなAIが導入された際には、「信頼性」が何よりも重要なテーマになります。

IBMのAIプラットフォーム「watsonx」のAIガバナンス製品「watsonx.governance」には、生成AIを利用するプロセス全体に対して、「そのインプットは正しいのか」「学習データのなかに法的・倫理的に問題のあるものはないか」「偏った判断(バイアス)や品質の低下(ドリフト)が発生していないか」を検証する機能が組み込まれています。これはIBMがお客様にご提供できる大きな価値の一つだと考えます。

河野 お客様としては、いずれ本丸である保険商品の設計に生成AIを適用することを目指されているでしょう。ただ、現状でもIT領域の生産性を高める目的で大きな効果が見込めます。生保会社は契約期間が30年、50年と長期であり、保守し続けなければならない資産がどんどん膨らんでいます。一方で競争優位性を確保するために、新たな取り組みも進めなければなりません。それを限られたIT予算で実現していくためには、現行業務を自動化・AI化して生産性を高めて余力を作る必要があり、今はそこにフォーカスして取り組まれている状況だと思います。