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Smarter Business

独・金融業界を揺るがすディスラプター「N26」。その人材戦略とは

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Noor van Boven
Noor van Boven
 
N26
Chief People Officer

モバイルバンキングとして急成長をしているN26に入社する以前は、SoundCloudの副社長を務め、TomTomでは採用および組織開発部門を率いた。また、デルを含むいくつかの国際的なハイテク企業の人事ビジネスパートナーとして活躍。国際的な人事、組織の拡大および変革において15年以上の経験を持つ。

 

小林弘人
小林弘人
 
インフォバーン代表取締役Chief Visionary Officer

1994年、日本のインターネット黎明期に「WIRED」日本語版を創刊し、1998年に株式会社インフォバーンを設立。オウンドメディア、コンテンツマーケティングの先駆として活躍。2007年、「GIZMODO JAPAN」を立ち上げる。自著、監修本多数。監修と解説を担当した「フリー」「シェア」(NHK出版)は多くの起業家の愛読書に。2016年にドイツ・ベルリン市主催のAPW2016で日本人スピーカーとして参加し、その後、ベルリン最大のテック・カンファレンスTOAの公式日本パートナーとなる。現在は企業内イノベーターのためのイノベーションハブ「Unchained」を立ち上げ、ブロックチェーンを活用したビジネス立案の支援および、欧州、アジアのイノベーターたちとの橋渡しを行っている。

 
ドイツの首都ベルリンに本社を置く2013年創業のモバイルバンキング企業「N26 (英語)」が急成長を続けている。ヨーロッパを中心に28カ国でサービスを展開し、利用者数は250万人を突破。スマホアプリ一つで口座開設から決済や送金、小口投資まで手軽に行えるのが特徴だ。そのN26でCPO(Chief People Officer)を務めるNoor van Boven氏が2月末に来日した。日本でブロックチェーン・ビジネスハブ「Unchained」を主宰し、ヨーロッパのフィンテック業界にも精通するインフォバーン代表取締役CVO(Chief Visionary Officer)の小林弘人氏が、スタートアップにおける人材・組織変革やN26のグローバル戦略などについてBoven氏に聞いた。
 

「チャレンジャーバンク」N26が提示する三つの強み

小林 N26はヨーロッパを中心に、「チャレンジャーバンク」と呼ばれるフィンテック・スタートアップとして急成長を続けていますね。N26の他にも「チャレンジャーバンク」と呼ばれるフィンテック・スタートアップがいくつも台頭しています。ベルリンのみならず英国発の多くの競合相手に勝つためにどのような戦略を描いていますか?

Boven 金融業界は巨大産業であり、チャンスは豊富にあります。たしかにRevolut(イギリス)やMonzo(同)などのフィンテック・スタートアップとは競合であると言えますが、我々は彼らの挑戦を歓迎しています。なぜならこの巨大市場を破壊(ディスラプト)するためには、多くのプレイヤーが必要だからです。ご指摘のように、我々の顧客のほとんどはRevolutではなく、ドイツ銀行をはじめとする伝統的な大手銀行から流れてきます。

その大手銀行と比べたとき、我々には大きな強みが三つあります。

一つ目は、ユーザーエクスペリエンス(顧客体験)です。N26のサービスはモバイルを中心に作られています。例えば海外旅行へ行って、ATMで現地通貨を引き出すとします。通常、元の通貨で自分の口座からいくら引き落とされるのかはその場では分かりません。一方、我々のマスターカードで引き出すと、すべてのサービスがリアルタイムで処理されるので、アプリの画面上で正確な金額を即座に確認することができます。

二つ目は、圧倒的なコストの低さです。伝統的な金融サービスはバックエンドに旧式の固定化されたシステムを使っているため、莫大な保守・運用コストがかかっています。また彼らは支店のネットワークを維持するために多くの人を雇わなくてはなりません。一方、我々ははるかに小規模で、オペレーションのコストが少ない。だから顧客にそのコストメリットを還元できるのです。

三つ目の重要なポイントは、我々は「ライフスタイル・ブランド」を志向していることです。N26では会員プランによって三つのデビットカードがあり、どれも洗練された上品なデザインになっています。プレミアム会員向けの「メタルカード」は適度な重みと高級感があります。私がお店に行って財布からこのカードを出すと、いつも周りの人から注目を集めます。

プレミアム会員向けの「メタルカード」。名前もカード番号もないシンプルなデザインが高級感を演出し、N26のブランド価値を高めている。

 

世界的に重要性を増すグローバル人事戦略

小林 次に、Noorさんご自身のことについて聞かせてください。N26に入社するまで、どんなキャリアを歩まれてきたのでしょうか?

Boven オランダでの学生時代にIBMでインターンシップをする機会に恵まれ、卒業後の1999年にそのまま入社したのが最初のキャリアです。IBMは当時からHR(Human Resources)の分野で先進的な取り組みをしていて、私はHRを専門的に学んでいたので興味を持ったのです。世界ではすでに国境を越えた人材獲得競争が始まっており、入社するとすぐにニューヨーク本社に配属されました。そこでグローバルHRの現場を経験できたことが、私の仕事に対する基本的な姿勢や考え方を形成することになりました。

その後、DellやTomTom、SoundCloudなど、テクノロジー業界の大企業やスタートアップで15年以上にわたり一貫してHRプロフェッショナルとしてキャリアを積み、数カ国にまたがるグローバルチームを率いるという難しい仕事も経験しました。

N26にCPO(Chief People Officer)として参画したのは、今から約1年半前です。ベルリンでは、Valentin StalfとMaximilian Tayenthalという2人のオーストリア人起業家が立ち上げたフィンテック企業「N26」が爆発的なスピードで成長し、注目を集めていました。そんなとき、同社に出資している人物から、N26がすでにグローバルな人材戦略を真剣に考えるべきフェーズにあり、創業者2人に会って相談に乗ってくれないかと頼まれたのが経緯です。

私がN26に入ったとき、従業員はまだ200名ほどでしたが、今ではベルリン、バルセロナ、ニューヨークの3都市のオフィスで計1000人を超えています。今年は事業において、さらなるグローバル展開を推し進めるつもりです。急激に成長する会社をCPOとしてどう支えていくのか、簡単ではありませんがとてもやりがいを感じています。
 

急成長企業にとって大切な理念とカルチャーの共有

小林 今年1月には160人もの従業員が新たに入社したと聞きました。想像できないくらいの急成長です。

Boven N26には毎月150人以上が入社しています。我々はグローバルな人材採用を行うための大きな専門部隊を抱えています。一つ重要なのは、入社する人の80%は他の街や国からベルリンに引っ越してくることです。HRチームは彼らやその家族が引っ越しするにあたって、行政関連の手続きや言語、ビザの取得など、さまざまな面からサポートしています。

雇用主としても、従業員とその家族の引っ越しは、大きな社会的責任を伴います。単なる転職の場合、新しい仕事が気に入らなければ、また別の仕事を探せばいいだけです。しかし、家族全員で遠くの街に引っ越し、子どもも新しい学校に通い始めたりして、それで仕事が合わずに辞めることになれば、家族全員の生活をメチャクチャにすることになってしまいます。雇い主としては、そうした責任の重大さも自覚しなくてはなりません。

小林 会社が急成長し、従業員の数がどんどん増えている中、会社のカルチャーや創業者の理念などをどのように社内で共有しているのでしょうか?

Boven 正直に言うと、HRの専門家として、過度な急成長は会社にとって健全な姿だとは考えていません。私たちは事業の拡大をコントロールするための最適な採用者数はどれくらいか、という成長モデルを持っています。2018~19年はグローバルでの事業基盤を築くために爆発的な成長にならざるをえませんが、それ以降は穏やかな成長となる予定です。

N26の従業員たちも、必ずしも急激な成長を好ましく感じているわけではありません。想像してみてください。2週間おきに新しい集団が入社し、コーヒーマシンはどこだ、トイレはどこだ、などとなるわけです。それが2週間くらいたってようやく落ち着いたと思ったら、今度は次の新しい集団がやってきます。「もっと落ち着いた集中できる環境で、信頼できるメンバーと一緒に仕事したい」と思う人が出てくるのも無理はありません。

これは経営者の二人にとっても難しい問題です。創業当初、従業員がまだ数十人しかいなかった頃、ValentinとMaximilianは新しい従業員が入社すると必ず一緒にランチしながら意見交換していました。でも毎月の採用人数が150人を超えた今では、それは不可能です。

そこで二人は各チームとのミーティングの時間を大切にするようになりました。毎週月曜日と金曜日にオールハンズ(全従業員参加のミーティング)が開かれます。金曜日は、誰でも自分やチームが取り組んでいるプロジェクトについて発表することができます。創業者たちはその場に同席して、各チームがどんな仕事に取り組んでいるかを知ることができるのです。

経営者に直接報告する立場にある幹部の役割も重要です。たとえば以前、ValentinとMaximilianはHRチームのメンバー全員を知っていましたが、今では60人以上に増えて、各メンバーが普段どんな仕事をしているのかを把握することが難しくなりました。だから経営者のビジョンや考えを現場に伝え、また現場の中から適切な情報をフィルタリングして経営者にレポートする各部門のリーダーの役割が非常に大きいのです。
 

人事戦略を効率化する「従業員ジャーニーマップ」

小林 気になるのは、そのような多人数かつ国籍もさまざまな従業員のオンボーディング(採用した従業員の受け入れ体制)です。それについては、どのようなアプローチを取られていますか?

Boven 我々はバディ制度を採用しているので、入社前の段階から内定者は「バディ」である現役社員とつながることができます。その機会をどう活用するかは個人次第ですが、自分が所属するチームとは別の部署の先輩社員とつながって、社内のルールや仕組み、文化などについて事前に学ぶことができます。

また、N26では従業員向けのオンボーディングアプリ(通称「Discover26」)をまもなく導入予定です。ヨーロッパでは通常、内定を得てから入社まで2~3カ月の期間が空くことが多いのですが、このアプリをダウンロードすると、その期間に自分の仕事やチームに関連するニュースなどが届き、会社とのつながりを保つことができます。入社前日には共同創業者からビデオメッセージが届き、最初の数日間のスケジュールや、社内のナビゲーション(地図)などを確認できます。だからオフィスに着いた瞬間から、どこへ行って何をすればよいか、すぐに分かるのです。

小林 なるほど。ユーザー体験にすぐれたアプリで定評のあるN26ならではのアプローチですね。ところで、従業員のキャリアを可視化した「従業員ジャーニーマップ」なるものを社内で作成していると聞きました。これは何の目的で、どのように活用しているのでしょうか?

Boven 企業の顧客サポート部門などが消費者向けに「カスタマージャーニーマップ」を作成している例はよく知られています。これは、消費者が商品やサービスを認知してから購入にいたるまでのプロセスを時系列に図示し、顧客感情などを把握できるようにしたものです。我々はこれと同じ手法を、従業員に対して適用しています。つまり、従業員が入社してから転職・退職するまでに起きうる主要なイベントをすべて挙げて、それぞれのイベントに対して会社としてどう関わっていけるかを把握しています。

イベントの種類によっても関わり方は異なります。例えば、有給休暇を使って家族と旅行したいと考えている従業員がいるとします。飛行機やホテルの予約などの手続きは、勤務時間外に同僚や上司に知られずにすませたいと思うかもしれません。こうした手続きはいつでも実行可能で、かつ自動化されたプロセスであるべきです。一方、昇進や異動などについて相談したいという場合はどうか。おそらく上司と対面で話し合って、きちんとした助言を受けたいと考えるでしょう。

それぞれのイベントを「手続き型ジャーニー(transactional journey)」か「体験型ジャーニー(experiential journey)」の2通りに大きく分けて、会社として異なるアプローチを取ることにしています。

基本方針として、手続き型ジャーニーには最小限の時間を割きます。150人の従業員を新規採用するにあたって業務を自動化していなければ、HRチームは膨大な事務作業に追われてしまうからです。一方、体験型ジャーニーの場合は基本的に人と人との触れ合いを通じて解決に当たります。このように、主要なイベントをすべてマッピングすることで、HRチームとしてどこにリソースを集中投下すればよいか把握できますし、ひいては従業員の満足度を上げることにもつながります。

 

変化する企業と従業員の“つながり”

小林 シリコンバレーでは転職が日常茶飯事で、長期的なキャリア形成よりも、ストックオプションなど目先の利益を優先して転職を繰り返している人が少なくないように見受けられます。欧米のIT業界で経験を積まれたNoorさんから見て、ヨーロッパはどうでしょうか?

Boven 近年はヨーロッパでも同じことが起きています。一般に「会社への忠誠心が低下している」と言われますが、私は単に忠誠の捉え方が違ってきているのだと考えています。私の世代の考え方は、少なくともヨーロッパでは、以前勤めていた会社に再び戻るということは考えられませんでした。でも今の若い世代では、会社を辞めてもつながりを保ち、以前の職場に戻る人も増えています。

私は、キャリアの初期段階ではなるべく多くの業界や会社を経験して、その中で自分に合った仕事を選ぶのが望ましいと考えています。N26では従業員の転職をさほど問題視していません。たとえ同業他社への転職であっても、別のステージの仕事が経験できれば、本人にとって成長のチャンスになります。ただし会社としては、辞めた人がいつでも戻ってこられるように、離職者たちのコミュニティーづくりに力を入れています。

2000年代初め頃から、「従業員は会社ではなく、上司が原因で仕事を辞める(People leave managers, not companies.)」ということが盛んに言われるようになりました。でも私はその指摘を好ましいことだとは思いません。なぜなら「あの人が会社を辞めたのは上司の責任だ」と言うと、上司たちは保身に走るようになるからです。私は上司には、「あの人は他にもっとよいチャンスがあったから会社を辞めただけだ。これからも互いに連絡を取り合って、困ったときは相談に乗ってあげよう。そしていつでも戻ってこられるように、つながりを維持しよう」と考えてほしいと思っています。会社としては、上司のポジティブな役割に注目し、元部下たちとのつながりを保てるようサポートすべきです。
 

アジアも視野に。グローバル展開を加速するN26

小林 今「GAFA」と呼ばれるメガテック企業もフィンテック関連のビジネスに乗り出そうとしています。アップルカードやアマゾンキャッシュなど、彼らは自社の顧客基盤を活用した金融サービス進出への一手を打っています。彼らはN26のライバルとなるのでしょうか?

Boven 我々にとって、アップルやグーグルは重要な戦略的パートナーです。彼らとは事業や収益のモデルが異なりますし、彼らは我々のプロダクトを使ってサービスを提供しています。このパートナー関係は非常にうまくいっており、今後も変えるつもりはありません。

小林 N26は2016年にドイツで正式な銀行業のライセンスを獲得しています。日本にはまだ、欧州ですでに導入されているPSD2(決済サービス指令)のようなオープンAPIのエコシステムがないので状況は異なりますが、N26の日本版サービスをローンチする計画はあるのでしょうか?

Boven 我々のライセンスはヨーロッパ域内限定のものなので、我々がもし日本に進出する場合は、日本国内の銀行とパートナーシップを組むか、新たに日本で銀行業のライセンスを取得するかのどちらかが必要となります。

まだ日本進出の具体的な構想はありませんが、グローバル展開は我々の目指すところです。今年の米国市場参入を皮切りに、今後、他国への進出を加速していきます。アジアでどこの国を最初に検討しているかは明かせませんが、日本がとても重要なマーケットであることは間違いありません。