我妻 三佳
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBM コンサルティング事業本部
ハイブリッド・クラウド・サービス事業部
常務執行役員 マネージング・パートナー
IBMのハイブリッドクラウド戦略を推進する、ハイブリッド・クラウド・サービスの責任者。デジタル変革を支え、ビジネスを進化させるための、企業のIT戦略やアーキテクチャー策定を行うアドバイザリー、テクノロジー活用を実現するマイグレーションやモダナイゼーション、アプリケーション構築や保守運用、さらにプラットフォームの維持管理、セキュリティー対策などをEnd-to-Endでカバーする国内外のエキスパートチームを率いる。自身も、エンジニアとして、インフラストラクチャーからアプリケーションまで、豊富なプロジェクト経験や技術的な知見を持ち、IBMグローバルの知見の活用に加え、業界のさまざまなエコシステム・パートナーとの連携や協業も推進している。また、大学におけるテクノロジー教育や女性活用推進などの社外活動も多い。
クラウドが導入期から、次の段階に入った。活用してビジネスの成果を出すことが求められる中、企業は「ハイブリッドクラウド・プラットフォーム」の構築が急務だ。複数のクラウド、オンプレミスなどハイブリッドクラウドを使いこなし、そのメリットを享受して変革する新しい企業の形をアイ・ビー・エム(以下、IBM)は「バーチャル・エンタープライズ」と称している。
そのためのガイドとなるレポート「ハイブリッドクラウドでビジネスを加速する」をIBMは公開している。日本語版の監修に携わった我妻三佳が、これから企業に求められる変化についてレポートの内容を軸に語った。
クラウドの習熟に向けて歩み進める日本企業
――この度、「ハイブリッドクラウドでビジネスを加速する」と題したレポートの日本語版を公開しました。日本語版を公開した背景を教えてください。
我妻 クラウド導入は、多くの企業が進めている段階です。日本の企業はグローバルの企業に比べるとクラウド導入が遅れましたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が収まりつつある中で、企業が本格的にビジネスのデジタル化に取り組む局面に入りつつあると感じます。
レポートは「クラウドをマスター(習熟)する」として、クラウド活用のための課題、そして課題を乗り越えるためのヒントが記されています。日本企業がクラウドの最初の段階から次の段階に進む今、このレポートに書かれていることは意味があるものだと考えています。
――世界では97%がハイブリッドクラウドの状態にあるとのことですが、日本企業のハイブリッドクラウドの導入はどのような状況にあるのでしょうか。
我妻 当初は、オンプレミスとクラウドを対比して考える思考が多かったように思います。そのため、オンプレミスの資産をクラウドに持っていけば改革が進むという短絡的な考えが主流でした。5〜6年前、お客様と話をすると、クラウドを進めることの重要性は理解していらっしゃるものの、「コストは安くなりますか?」とコスト視点で語られることがよくありました。クラウドの価値はコストだけではないということに、気付いていなかったと言えます。
それが、この1〜2年で大きく変わったと感じます。クラウド化によりビジネスが成長するという、クラウドとビジネスの因果関係の理解が浸透してきました。クラウドに持っていくことが目的ではなく、最終的にはビジネスを加速させることを目的に進めようという企業が増えています。
しかし、いざ進めるとなると、なんでもクラウドにすればいい訳ではありません。オンプレミスで持っている資産をどのように活用できるのかは重要な課題です。また、一口にクラウドと言っても、パブリッククラウド、プライベートクラウドなど複数の種類があります。これらをどのようにミックスしながら統合し、自社のビジネスにとって最適な形でクラウドによる変革を進めるか。このような課題を感じている段階の企業が多いと考えています。
レポートでは、自社のビジネスを推進するうえで必要なシステム環境を組み上げることができる「ハイブリッドクラウド・プラットフォーム」を持つことが大切だとご提案しています。これは、さまざまなクラウド、オンプレミス、エッジコンピューティング、さらには分散型クラウドなどのシステム環境を高度に統合できる基盤と言えます。
ハイブリッドクラウド・プラットフォームを適切に構築することで、複数の環境にまたがってシステムの構築・運用を自動化したり、協調させたりしながら、クラウドネイティブアプリケーションや従来のアプリケーションを利用できます。
クラウド習熟のために乗り越えるべき5つの課題
――クラウド習熟のための課題と解決に向けたステップを、レポートで指摘しています。簡単に説明していただけますか。
我妻 これまでのクラウド導入は、「特定業務のためにSaaSが必要だから導入する」「パブリッククラウドの、このサービスを使ってみたいから導入する」というように、単発的なニーズを捉えて進められてきました。最終的に統合してきちんと管理や運用をしていく、つまり、全体最適化する視点が欠けていたため、導入はしたもののどうあるべきかと悩んでいるお客様も多数いらっしゃいます。
ハイブリッドクラウドを使いこなすという点において、IBMは世界のお客様をお手伝いさせていただく中で、以下のような5つの共通課題があると感じています。
- アーキテクチャー
- 人財と運用
- セキュリティー
- 財務
- パートナー・エコシステム
この5つの課題は、もちろん日本のお客様にも当てはまります。その中でも『1.アーキテクチャー』は、特に大きな課題となっています。また『2.人財と運用』と『3.セキュリティー』も、日本企業には重要です。
3つの課題を、詳細に説明します。
『1.のアーキテクチャー』ですが、いろいろな技術を活用するだけでシステムは複雑になります。さまざまなシステムを採用してマルチで活用していくにしても、なるべくシンプルに、ある程度共通の運用ルールなどを持ちながら作り上げる必要があります。
複雑なまま放置されると、逆にコストが膨らんでしまいます。さらには、変更やビジネスのトレンドが変わった際も柔軟に変更できません。
複雑であればこそ、しっかりしたアーキテクチャーに基づいたハイブリッドクラウド・プラットフォームの実現を目指す必要があります。全体としてのIT環境をどのようにしたいのか、ビジョンを持ってクラウド資産を統合していくことが求められます。
日本企業はアーキテクチャー、方向性やロードマップを描いて物事を進めていくところが苦手な傾向にあります。一つの統合されたハイブリッドクラウド・プラットフォームという位置付けに引き上げていく視点で、全体を俯瞰してクラウド資産の統合を考えるよう助言しています。
――『2.の人財と運用』や『3.のセキュリティー』はどうでしょうか。
我妻 ITの人材不足は世界的な問題ですが、その中でも日本は深刻です。
IT人材はクラウド化において大きな役割を果たすので、人材の確保は重要です。しかし限りがあります。それよりも、場当たり的な取り組みや業務ごとに進めるサイロ化を見直すと、人を効率的に配置できるでしょう。人財が分散して非効率になっている状態は運用にも大きな影響を与えます。
しっかりしたアーキテクチャーに基づいたプラットフォーム全体での効率化を進める中で、人とスキルの配置も合わせて考えることが、解決のヒントになるでしょう。アーキテクチャー、ハイブリッドクラウド・プラットフォーム、最適な人の配置を突き詰めることで、最適な運用モデルにもつながっていきます。
セキュリティーは、クラウドでさまざまなビジネスを実現するうえで避けて通れない大きな課題と認識されています。
サイバー攻撃は日常的に発生しています。きちんと管理されていなければ、すぐに情報の漏洩が起こります。そうなると社会的にも大きな問題になりますので、企業には大きなリスクと言えます。このようなセキュリティーの問題は、整理されていないマルチクラウド環境ではさらに大きいと言えます。
ここでもやはり、全体的な視点で捉える必要があります。全社レベルのセキュリティーの体制、対応方針などを定めるのと同時に、社員一人ひとりがセキュリティーを優先する考えや文化を根付けさせることも重要です。例えば個人情報を扱う人が、この情報は漏洩などのリスクがないように管理できているか、こういう情報を扱うときは何に気をつけるべきかという意識の有無で大きく違ってきます。
これからの企業が目指すべき「バーチャル・エンタープライズ」とは
――IBMでは、今後の企業が目指すべき姿を「バーチャル・エンタープライズ」としています。バーチャル・エンタープライズとはどのような企業なのでしょうか。
我妻 IBMはこれまで、さまざまな情報を有効活用するデジタル変革のコアにフォーカスして「コグニティブ・エンタープライズ(先進デジタル企業)」を提唱してきました。コグニティブ・エンタープライズの特徴であるデータ活用は引き続き重要ですが、クラウドでビジネスの成果を出す、さらには革新するためには、多様なアイデアや価値観をオープンに取り入れて、データをどう活用するかを考えていく必要があります。
そのような企業を「バーチャル・エンタープライズ」として、これから目指すべき企業の姿と位置付けています。コグニティブ・エンタープライズが進化したと考えても良いでしょう。AIなどのコグニティブ活用は含まれますし、それ以外のテクノロジーも活用します。
背景として、バーチャル化が加速し、企業や組織の枠を超えてデジタルワークフローを取り入れることが可能になったことがあります。これがエコシステムの活動をさらに活発にしており、先進的な企業はまったく新しい価値を創出し始めています。
バーチャル・エンタープライズの重要な特徴はオープン性です。変革を実現するためには、新しいものを想像する力や創造性が必要です。閉鎖された環境やカルチャーでは、新しいアイデアやビジネスは生まれません。デジタルで社会を変えていく時代です。場合によっては、国や世界を変えていく次元で物事を考えることが求められています。我々のようなITベンダーも、自分たちだけで考えるのでは新しいアイデアは出てこないと実感しています。
特にテクノロジーの活用においては、企業単独で何かをするのではなく、さまざまな背景や領域の専門家が同じ問題を解決していく姿勢が求められています。IBMでは「共創」という言葉を使いますが、全員でアイデアを出しながら推進していくためには、オープンな価値観の下で多様な考えを受け入れるカルチャーが重要になります。
――バーチャル・エンタープライズを目指す企業を、IBMはどう支援できるのでしょうか。
我妻 バーチャル・エンタープライズは、新しい市場を創出するプラットフォームとエコシステム、科学とデータが主導するイノベーション、拡張インテリジェント・ワークフロー、サステナビリティー、人間とテクノロジーのパートナーシップという5つの要素を備えています。それを支えるのがハイブリッドクラウドとネットワークです。
ハイブリッドクラウドはバーチャル・エンタープライズへ進化を遂げるための土台となり、ニーズの変化や課題の変化に合わせて柔軟に変化できます。一度構築すれば終わりではなく、進化させていくジャーニーのようなものです。IBMは長期のパートナーシップの下でお客さまがバーチャル・エンタープライズに変革を遂げるのをエンドツーエンドで支援することを使命としています。
ビジネスのニーズに合わせてシステムが進化するためには、システム面とビジネス面の両軸で捉える必要がありますが、IBMはどちらの面からでも、また、どの段階にいても支援が可能です。これからハイブリッドクラウドに取り組むためのアーキテクチャーを考えるお客さま、すでにシステムを構築したが3年後や5年後にどうあるべきかを考えたいというお客さまなど、さまざまだと思います。お客さまのジャーニーの段階に合わせた支援ができます。
バーチャル・エンタープライズへ進化するために、まずは一歩踏み出す
――社会環境が大きく変化し、さまざまなビジネス課題が生まれています。日本企業はどのようにDXを実現し、先進的な企業へ進化していくべきでしょうか。
我妻 コロナ禍で社会環境は大きく変化し、ビジネス課題も従来のものに加えて、新たなリスクが生まれるなど、広範囲に対応することが求められています。経済環境を見ても、不確実で予測できない世の中になっています。ビジネス上の戦略を立てることが難しいと感じている企業も多いでしょう。
それでも、DXは待ったなしで進めなければなりません。デジタル化を推進するためには投資が必要です。どこに投資をするのか、投資をしてどのようにデジタル化を継続して進めるのかが問われています。成果が出なければ止まってしまうこともあるかもしれませんが、継続的に取り組まなければならないのがDXです。優先順位を考え、プライオリティーが高いところから投資をしていく必要があります。
システムに携わってきた立場から日本と海外の企業の大きな違いをお話しすると、日本企業はとても慎重です。保守的な指向が強く、絶対に大丈夫だという勝算がなければ大きな取り組みをしない傾向があります。そのような姿勢は理解できますが、一歩踏み出さなければわからないこともあります。チャレンジする、やってみることを大切にしていただきたい。また、やってみたが失敗した、成果が出ないからといって、諦めない姿勢も重要です。
リーダーは、失敗を恐れてチャレンジしない、チャレンジしてもすぐにやめてしまう文化や雰囲気を作らないためにはどうすればいいか、ぜひ考えていただきたいと思います。失敗を個人の責任にせず、なぜうまくいかなかったのかを組織の中で考え、全員が共有し、それを教訓にする文化が求められています。
また、議論ばかりして先に進まない企業も多くあります。確信が持てないのに一歩を踏み出すことは簡単ではありませんが、それでも進めていただきたい。小さな成功が積み上がると、加速して進んでいくのは私自身も感じています。
先進的と言われる企業はたまたま成功しているのではありません。さまざまな取り組みをして、うまくいったこともうまくいかなかったことも含めて経験から学び、前に進めています。たくさん経験している企業ほど、難しい時代に生き残ることができるのではないかと思います。よくお客様にお伝えしているのが、「目先の課題に追われている時こそ、たまに引いて俯瞰してみてください」ということです。そこだけの世界観で物事を考えるのではなく、少し離れてみると意外とヒントが得られることがあるのではないでしょうか。
関連リンク
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