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Smarter Business

「学ぶこと」とは「変わること」(後編) ー究極のアジリティとしての「ラーニング・カルチャー」

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IBM柴山 プロフィール写真

柴山 真里
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバル・ビジネス・サービス事業本部
ラーニング&ナレッジ リーダー

業務改革コンサルタントとして活動の後、エグゼクティブ補佐を経てラーニング&ナレッジ(人財開発/ナレッジ促進)へ。以降ラーニング&ナレッジ リーダーに就任。「研修提供」に留まらず、社員が主体的に学び続け、変わり続ける組織の実現をリードしている。

 

IBM仲田 プロフィール写真

仲田 清人
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバル・ビジネス・サービス事業本部
ラーニング・オーガナイゼーション・イニシアティブ

基幹業務刷新プロジェクトのコンサルタントとして活動の後、「ラーニング・オーガナイゼーション・イニシアティブ」を立ち上げ、「学習する文化」の推進を担う。コンセプトとして“Learn as Breathe”を掲げ、呼吸するように自然に学び続ける環境作りに取り組む。

多くの企業と同様に、IBMもコロナ禍によって大きな変化を迫られることになった。しかし、コロナ禍以前から取り組んでいた施策がコロナ禍においても有効に機能することがわかり、迅速に対応することが出来たという。IBMが提唱する新しいITサービスの姿「Dynamic Delivery」の3つの柱の1つ「Humans in the Network」は、コロナ禍以前から存在していたものだった。IBMは、予想していなかった危機に「対応する準備ができていた」ことになる。

とは言え全てが完璧であったわけではない。ナレッジ共有プラットフォームやスキル可視化プログラム、バーチャル型のエンゲージメントなどといった土台こそ存在していたものの、実際には数々の壁があり、その都度迅速に乗り越えてきた。IBMはどのようにしてその壁を乗り越えて来ることが出来たのか。そしてそもそも、なぜ「準備ができていた」のか?前編に続いて日本アイ・ビー・エムのGBS Learning & Knowledgeリーダー柴山真里、同Learning Organization Initiativeの仲田清人が解説する。

混乱の中で改めて認識したベタな真実「イノベーションとは新結合」

IBM 柴田 IBM仲田 インタビューカット

——前回のお話では、コロナ禍による在宅勤務化直後においても新人研修とそれに続く4,000名を越える大規模イベントのバーチャル開催を実施したと伺いました。多くの企業がイベントを中止/延期する中でこれらのイベントを敢行するというのは、前例もない中、難しい挑戦だったのではないでしょうか。

柴山 もちろん難しい挑戦でした。考えられる範囲で万全の準備を行っていましたが、当時の状況変化はそれを更に上回って行きました。例えば、新入社員がリモート研修を受けられるようにするための環境整備です。

新人研修を完全リモートで行うということは決定していましたが、3月末時点では、4月1日だけは新人に出社してもらい、ラップトップとスマートフォン、社員証、研修ガイドなどの「入社キット」を手渡しするはずだったのです。しかし、その直前に東京が緊急事態宣言発令となり、1日だけであっても新人を出社させることは出来ないことになりました。

仲田 緊急事態宣言がもう数日後であれば新人は予定通り出社出来ていたでしょうし、逆にもう数日前であれば予め配送手配をしていたでしょう。その意味では最も苦しいタイミングでの宣言発令でした。

——はい、この宣言を受けて、多くの企業が新人に対して自宅待機を指示せざるを得ませんでしたね。

仲田 しかしそうなってしまった以上はそれに対処するしかありません。その日のうちに、入社キットを郵送する方針に転換しました。夜間に梱包資材調達や配送手配を行い、翌日は必要最小限の数名の社員のみが出社して、新人数百名全員分の入社キットを梱包し、配送業者に引き渡しました。

——失礼ながらかなり「泥臭い」対応をされたのですね。

仲田 はい、しかし、それがその時点で取りうる最善の手立てだと確信していましたので、躊躇は一切ありませんでした。私達はプロジェクトベースで仕事をしている社員がほとんどですので、寧ろこういうシチュエーションには「燃えてしまう」面もあるように思います。

——入社キット配布後はスムーズに進んだのでしょうか。一方通行の講義ではなく本番さながらのロールプレイやチームでのワークショップなど複雑な構成の研修が多いと伺いましたが、本当にそれを完全バーチャルで再現されたのですか。

柴山 そうですね、これについては3月までに手法を確立していましたので、大方は問題なく実現できました。

——通常はバーチャル化のハードルとしてそこがもっとも厳しいものになりそうに思えます。クラスルームでチームに分かれてフリップチャートの前でディスカッションし結果を発表する、というようなことをスムーズにバーチャルで実施出来るツールは、当時存在していなかったのではないでしょうか。

仲田 まさにそこが事前検証でチャレンジすべきポイントでした。様々なツールを比較評価しましたが、私たちの研修をバーチャル化出来るツールは存在しませんでした。

次に考えたのは「使い方の工夫」です。ツールを標準的な使い方で使ってもだめなことは分かっていたので、機能を違う発想で使えないか?ということです。例えばIBMが標準で使っているWebexにはWebex MeetingとWebex Trainingという異なる種類があり、Webex Trainingには複数チームにブレークアウトする機能が存在していたのですが、少々操作の難易度が高く、多数の講師が関わる研修でこれを使いこなすのは難しい、という結論に至りました。

そこで代わりに、操作が簡単で皆がいつも使い慣れているWebex Meetingを複数活用することでブレークアウトを実現できないか、と考えてみました。これは不可能ではありませんでしたが、ブレークアウトをするたびに一つのWebexからログアウトして別のWebexにログインするなど参加者の操作の負担が大きく、特に短い時間でクラス全体講義とブレークアウトを繰り返すようなワークショップには不向きでした。一方、SlackのCall機能も使い勝手が良いことは分かっていたのですが、こちらのネックはCallに参加できる人数に制約があることでした。

このように、なかなかブレークスルーは出来なかったのですが、ある時検証チームメンバーの一人が思いつきました。「Webex MeetingとSlack Callを同時に使ったらどうだろう?」クラス全体の講義はWebexで実施し、ブレークアウトしたいときはWebexはそのままに(ミュート設定)、チームごとに作ったSlack Callでブレークアウトする。この組み合わせは非常にうまく機能しました。

これに加えてMuralやBox Notesを使うことで、「教室でチーム別に分かれてフリップチャートの前でディスカッションする」のと遜色ない環境が実現できたのです。このスタイルの検証がうまく行った日は、シュンペーター氏の言う「イノベーションとは新結合である」という言葉を改めて噛み締めることになりました。

柴山 今はすでに各社のツールも大きく進化してきているのでこんな苦労はなく複雑なワークショップが出来るようになりましたが、、、それでも、だからといって当時の試行錯誤が無駄だったとは全く思いません。困難で先が見通せない状況の中でも可能性を信じて試行錯誤を続ける過程こそが、IBMが組織として学びを深め、進化を続けていく力を養うものと考えているからです。

——社員のメンタルケアも多くの企業で問題になりました。こちらはいかがでしたか。

柴山 この点は予め予想することが出来ていなかった問題でした。なんとか仕組みを作りバーチャル新人研修を開始することが出来て、そこまでで一安心してしまっていたところでこの問題を検知しました。

しかし、この問題については新人研修担当社員チームが早々に創意工夫してケアしてくれました。例えば朝。研修開始時間になったらWebexを開始する、ではなくて、30分前から講師のWebexを立ち上げておく。そこには受講生はいつ入ってきても良い。早めに入ってくる社員は、そこで多少雑談を始めたりします。そういう場での会話の様子や、または早めに入ってくるかどうか、などを観察していくと、講義をしている中では分からない新人個々の気持ちの部分を理解するヒントを得ることが出来ました。

仲田 Web懇親会もかなりやりましたね。新人たちが自主的にやっていたものも多いので全てを把握しているわけではありませんが、実質的にはほぼ毎日何かしらの懇親会が行われていたようです。Web懇親会が盛り上がるノウハウにおいては新人たちは達人になっていましたね。

気が付くと、社員の中で最もツールを使いこなしているのは新入社員、という状態になっていました。そこでそのバーチャル新人研修の様子を社内報の記事にして、全社員向けに発信したところ、多くの既存社員にとっては驚きがあったようです。

リモートでは仕事が十分にできないと思っていた社員も当時はまだ多くいた状況でしたが、新人研修が出来るのなら普通の仕事も工夫次第なんじゃないか、という空気が生まれてきた。そのタイミングで例の大規模イベントIBM Way Dayを仕掛け、「バーチャルの可能性」に目を向けてもらう事ができたのは、とても幸運な流れでした。

バーチャル化によって実現する学びの「マス・カスタマイゼーション」

IBM 仲田 インタビューカット

——「バーチャルならでは」の良さについても、やってみて気がついたことがありましたか。

柴山 これはいくつも挙げられますね!まずは「講師との距離の近さ」です。教室で研修を行う場合、50人の教室の後ろに座っていると講師が遠く感じます。しかしWeb会議ツールであれば講師と向き合っている感覚なので、講師が自分に語りかけてくれているようで身近に感じられる、という声をもらいました。リアルよりもバーチャルの方が距離が近く感じるということは考えたことがありませんでしたが、たしかに私達自身がリモートワークをしている中でも、大人数のWeb会議で同じくスピーカーとの距離が近く感じることはありますね。

また、Web会議と並行して常に立ち上げているSlackで疑問点やよく理解できたことなどを気軽に書いてくれるので、我々運営側も社員がどう感じているのかこれまで以上によく把握できるようになりました。サポート講師がSlackの書き込みをよく見ていて、こまめに返信したりスタンプを付けたりするのは、教室研修では出来なかったでしょうね。

教室研修で出来なかったことといえば大規模化も挙げられます。新人研修の教室といえば、50名ほどが入る部屋を10部屋以上用意して教室ごとに講義を行うしかありませんでした。クラスの開催単位が50名以下だったのです。しかしWebで実施するならば500人だって問題ない。よりスピーチがうまいシニア講師がメインで説明をし、サポート講師が数名Slackを巡回するという方式にすることで、教育の品質を高めながら効率化も図れることがわかりました。

仲田 研修の場だけでなく通常の仕事においても似たようなポジティブな変化が生まれています。我々の部署はもともと本社に出社していたときもフリーアドレスだったので、以前からどこに誰がいるのかすぐには把握しづらい環境で仕事をしていました。すると、座る席によって、よく見かける人とあまり見かけない人が出てきて、いつの間にか座る席の距離が気持ちの距離、のように感じてしまったことも起こっていたのです。あまり見かけないと「大丈夫かな?」と心配になったり。しかしフルリモートになると、距離感という意味では全員がフラットになりますし、Web会議をしている間は寧ろ近く感じる。

バーチャルエンゲージメントの鍵は「性善説」

IBM 柴山 インタビューカット

——リモートになると、社員がちゃんと仕事をしてくれるのか不安というケースも多いのではないかと思います。そういったマネジメント面での課題や懸念はありましたか。

柴山 社員が目の前にいないというのは始めたばかりの頃は不安でしたが、いざ始まってみればまったく杞憂だと分かりました。各自自分が果たすべき役割や求められるアウトプットを理解・共有していたからです。後は、こまめの会議の場で個々のアウトプットをもとにして議論し作業を前にすすめる方法が確立されていきました。逆に以前よりも長時間勤務する傾向が出てしまうこともわかりましたので、チームの負荷状況はよりこまめに確認するようになりました。

以前は毎週水曜日に1回だったチーム定例会を、週3回に増やしてみました。付け加えたのは、月曜日朝と金曜日夕方のそれぞれ30分です。月曜朝は“チェックイン”として、今週の作業確認だけでなく、「元気?」「週末何した?」などの声掛けをしています。金曜午後は“コーヒーブレイク”と呼んでいて、テーマフリーで雑談する時間です。

このようにチームのルーティンの中に仕事だけでなくプライベートな話題も持ち込むようになった結果、本社に出社していたときよりも寧ろチームメンバー一人ひとりのことをより深く知ることが出来るようになった気がします。

これはメンバーを信頼する「性善説」のマネジメントです。「性悪説」で考え始めると、リモートでの労働環境を監視するようなことを始めたらきりがありませんし、寧ろ社員の仕事の集中を妨げてしまう。マネージャーももはや「監視者」のような仕事ばかりになってしまいます。そういうものは全部手放して、成果にフォーカスすること。今やチームメンバーの中には、コロナ禍以降にチームに参加して一度も物理的に会ったことがないメンバーも数名いますが、皆さん快適に仕事に取り組んでくれているようです。

「学ぶ」ことは「変わる」こと。究極のアジリティを実現する「ラーニング・カルチャー」

IBM 柴田 IBM仲田 インタビューカット

——最後にとっておいた質問です。「予測はしていなかったが、対処する準備はできていた」というのは、一体どうしてそんなことが可能なのでしょう。

柴山 IBMが創業以来大切にしてきた「ラーニング・カルチャー」についてお話しすることがお答えになると思います。IBMの創業者トーマス・ワトソン・シニアは、人の可能性、そして「学びによる成長」を強く信じ、「教育に飽和点はない」という言葉を残しました。この言葉は創業から100年を越えた今なお、代々のCEOが受け継ぎ、自身の言葉でもそれを語り続け、そしてそれを自らが体現し続けて来ました。

IBM Learning Policy 概要

仲田 「学ぶこと」とは「変わること」であり、「学ぶ人」とは「変わる人」であり、そして「学び続ける組織」とは「変化し続ける組織」です。会社を変革したいとき、社員に対してどの様なメッセージを送るか。「変わろう」と言われたら、人は抵抗を感じます。他人から変化を強要されるなんて、良い気分ではありませんよね。IBMでは「変わろう」とは言いません。「学ぼう」と言います。そして、「学ぼう」と呼びかける立場が最も学び、そして大胆に変わります。

このようにして組織に学びが蓄積されていく結果、IBMという組織全体が変わり続けます。IBMはその歴史の中で生まれ変わるほどの変革を何度も行ってきましたが、IT業界において唯一100年以上生き残ってきた秘訣はこれなのではないか?と私は思っています。

前例があるかどうかはあまり気にしません。寧ろ、前例が無いことをやる方が「学び続け、試し続ける」には良いですね。うまく行くことばかりではないですが、でもそれも含めて我々は「現在進行系で実験を積み重ねていくこと」を志向しています。

柴山 コロナ禍以前から取り組んでいた「Humans in the Network」も、我々が学び続け変わり続けることが基本動作になっているからこの様な改革を進めていたということと考えています。また、大規模バーチャル研修実現の中で出会った数々の障害に対して一つ一つに向き合い、解決策を見出していったことも、経験から学び、自らが変化することの実践そのものです。

つまり、どの様な社会変化が待ち受けていたとしても、その変化から迅速に学び、自らを変えて行く「究極のアジリティ」の原動力は、一人ひとりが学び続ける「ラーニング・カルチャー」だというのが、私達の考えです。

——なるほど。「予想出来ない変化に対しても準備が出来ている」ということの意味がようやく理解できましたが、もう一つ質問を追加させて下さい。どうすればこのような「ラーニング・カルチャー」を築いて行けるのでしょうか。

仲田 我々も決して完璧に出来ているわけではなく、永遠に目指し続けていくものと思って取り組んでいるのですが、「一歩を踏み出すコツ」のようなものとして意識していることがあります。それは、「ともかく小さく実験してみる」です。

ちょっとした業務の隙間から、1人からでもいいのです。それで良いので、まずは「実験」してみる。実験なら、失敗はつきものですよね。というか「実験」という言葉は寧ろ何度もの失敗を前提としたプロセスを示す言葉です。簡単にはうまくいきませんが、その失敗を繰り返すことで「実験」は進んでいき、やがて突然成功が訪れる。1つでも小さな成功がでれば、もはや過去に何度小さな失敗をしていようとも、あとに残るのは成功だけです。

柴山 組織としての視点では、リーダー自らが「学ぶ」姿勢を示し続ける、というのは大切だと思います。IBMでは多くのExecutiveが自分のSlack Channelで自らの日々の「学び」を紹介してくれていますし、IBM Way Dayなどでも、Executiveも社員とともに多くの講義に参加し、社員とともにSlackに投稿したり反応したりしています。そのような、言葉でなく行動で示す在り方はやはり社員に響いているように感じます。

——ありがとうございました。