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Smarter Business

自発的な学びが変化に適応する組織を作る――中外製薬がIBMと目指す研鑽文化の醸成

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矢野 嘉行氏

矢野 嘉行氏
中外製薬株式会社
執行役員
人事部長

中外製薬入社後、営業本部、国際本部などに従事した後、5年間フランス関係会社での駐在を経験。その後、経営企画部マネジャー、グローバルの医薬品マーケット調査を担う調査部長を歴任。2016年から人事部長となり、2019年に執行役員 人事部長(現任)。

 

石田 秀樹

石田 秀樹
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
タレント・トランスフォーメーション事業部長 パートナー

IBMの組織・人材コンサルティング・グループにおいて、組織変革および人材マネジメント領域でのコンサルティング・サービスの日本における責任者。一貫して「組織」と「人」の側面から企業変革に携わり、大規模企業を中心に、20年以上のコンサルティング経験を基にした実践的な変革支援に従事している。最近では、AI、Cognitive Computing(IBM Watson)を活用したデジタル変革を通じて人事機能の高度化を支援し、「経験」と「勘」で運用している旧来型の人材マネジメントの抜本的な変革を推進している。

2020年以降の世界の変化により、あらゆる業界や分野でデジタル化の取組みが加速し、ビジネス環境は不確実で劇的な変化を遂げつつある。企業はビジネスの成長や成功の鍵となる社員のエンゲージメントを高めるため、社員の能力や組織文化を維持しながら新しいビジネス環境への適応を迫られている。

そうした中、製薬大手の中外製薬株式会社(以下、中外製薬)は、数年前から組織および「人財」のマネジメント改革を進めてきた。市場ニーズの多様化やパンデミックにおける行動様式の変化、AI技術を用いた創薬プロセスへの対応など、変革期を迎えている製薬業界にあって、今どのような人財マネジメントが求められるのか。

中外製薬 執行役員 人事部長の矢野嘉行氏と、制度改革のサポートをしてきた日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、IBM)のIBMコンサルティング事業本部 タレント・トランスフォーメーション パートナーの石田秀樹に話を聞いた。

中外製薬がヘルスケア産業のトップイノベーターになるための3つのカギ

中外製薬 矢野氏  IBM 石田 インタビューカット

――今年、中外製薬では2030年に向けた成長戦略「TOP I (トップ アイ)2030」を発表しました。まずは、こちらの概要について教えてください。

矢野 「TOP I 2030」は、中外製薬が今後10年で「ヘルスケア産業のトップイノベーター」になるための方向性を示した成長戦略です。「世界最高水準の創薬の実現」と「先進的事業モデルの構築」を2つの柱として定めており、具体的にはDX(デジタル・トランスフォーメーション)によって研究開発のスピードを加速させ、革新的な新薬を世の中に送り出していくための組織体制作り、ビジネス・モデルの再構築を目標にしています。

また「TOP I 2030」では、2030年までに到達すべきトップイノベーター像として、「世界の患者が期待する」「世界の人財とプレーヤーを惹きつける」「社会課題解決をリードする世界のロールモデルとなる」という3つのスローガンを掲げています。そして、これらを実現するためのカギになるのが、「RED SHIFT」「DX」「Open Innovation」の3つです。

中外製薬 TOP I 2030 トップイノベーター像
中外製薬株式会社 成長戦略より引用

――それぞれどのようなものでしょうか。

矢野 まず「RED SHIFT」ですが、REDとはResearch(研究)& Early Development(早期開発)の略で、世界最高水準の創薬に向けて、RED機能を価値創造エンジンと定義し、ここに経営資源を集中させる体制へのシフトを目指します。近年、医薬品の開発競争は激化しており、デジタル技術の活用や外部との協働を通じ、創薬技術の一層の強化を図るとともに、研究開発の初期段階から価値を証明する必要があります。これにより、開発成功確率の向上と製品化までのスピードアップが期待できます。

「DX」は、もうすっかりおなじみの言葉になりましたが、デジタル技術を駆使したAI創薬により、創薬プロセスの変革や新たなアプローチを目指すとともに、あらゆる機能でデジタル技術を活用したオペレーションモデルの変革を加速させていきます。

そして「Open Innovation」は、業種の垣根を越えた協業の実現です。世の中の価値観が多様化し、これだけ科学技術の進歩のスピードが早い現代にあって、製薬会社を含むモノづくり企業が、一社単独で様々なニーズを満たす医薬品を完成させることは難しくなってきています。「自前主義」から脱却し、多様な企業との連携を図りつつサイエンス・イノベーションを起こしていきます。

中外製薬社員の自律的な学びを引き出す、仕組みと文化作り

中外製薬 矢野氏 インタビューカット

――「TOP I 2030」を指針に、中外製薬が大きく変わろうとしていることがわかりました。人材育成や組織作りという点では、どのような改革を進められているのでしょうか。

矢野 「ヒト」という観点でみていくと、各国の財政難による薬剤費抑制加速や科学技術・デジタルの進歩による競争激化などの環境変化により、真に価値の高い医薬品やソリューションだけが選ばれるVBHC(Value Based Healthcare)への流れが加速しており、これまで以上に、私たちのイノベーションを通してFirst In Class / Best In Classの医薬品を患者さんへ提供していく必要があります。そして、そのイノベーションを起こすのは「やっぱり、ひと」になります。実は「TOP I 2030」の「I」には、「イノベータ―」と「私=I」という意味が込められており、私たち一人ひとりが価値創造の原動力であり、TOP I 2030の実現を目指す主役だと考えています。活躍したい人がもっと活躍できる、そんな組織風土を醸成していきたいと思っています。

中外製薬 TOP I 2030 全社人財育成戦略

当社が抱える人事領域の課題としては、「ポジション・タレントマネジメントの推進」「戦略・高度専門人財の獲得・強化」「年齢・属性に拘わらずチャレンジを後押しする人事制度の定着」に加え、社員一人ひとりに対する自律的な学び/成長の支援を推進していく必要があると思っています。特に、TOPI2030では、これまで以上に人の育成・成長にフォーカスした「人財育成戦略」を推進し、社員一人ひとりが自律的に学び成長する風土を醸成し、自らを磨き続ける「人財」を応援し、支援していきたいと思っています。

この考え方に基づき、昨年、役割成果主義を軸とした新たな人事制度を導入し、そして、人事データベース、キャリア可視化のためのシステムを構築し、一人ひとりが自身の目指すキャリアを描き、現在のスキルやコンピテンシー等のGapを明確化できるようにしました。

――目標がはっきりすれば、自己研鑽のモチベーション・アップにもつながりますね。

矢野 はい。しかし、そこで持ち上がってくるのが、「能力やスキルを高めるにはどうすれば良いか」という問いです。そこで、IBMさんのご支援の下、本年5月には、自ら学び、キャリアを実現するためのラーニングプラットフォーム、「I-Learning」を導入しました。

石田 もともとIBMでは、「Future Skilling」というスキル獲得支援プログラムを実施していました。環境の変化が激しい現代では、画一的な人材育成ではなく、一人ひとりが日常的に情報を取捨選択しながら、能動的に新しいスキルの獲得に取り組み続ける必要があります。自らの将来に向けて自ら学びの方法を選択し、そして自ら成長し続けることを促すのが「Future Skilling」です。

具体的には、現在の自分のスキルを可視化し、さらに成長するために以下の3つのスキル獲得の方向性を示すというシステムです。

Re-Skilling(リスキリング):これまでの経験で培ったスキルを活かしつつ、新しいスキル領域へ軸足を意図的に移す

Up-Skilling(アップスキリング):現有スキルを磨き上げ、より高いレベルの専門性を発揮する

Cross-Skilling(クロススキリング):現在の専門性を保持・活用しながら、「第二専攻」のように専門性の幅を広げる。

修得するとバッジを取得できる社内資格なども用意されており、いつでも自分の成長度合いを確認できる点も特徴です。また、社員それぞれのキャリア志向に応じてパーソナライズされたポジションの提案を行うなど、新たなポジションに挑戦するためのサポートも実施しています

こうした「Future Skilling」の取組みを矢野さんに評価いただき、そのコンセプトを中外製薬さんの「ILearning」に取り入れていただきました。

矢野 IBMさんの掲げる「自律的な学びの機会の提供」はとても参考になりました。
なぜなら、TOP I 2030で求められる「人財」像というのは、我々を取り巻く環境変化は激しく、正解が見えず、どのような方向に進むかわからない中、一人ひとりが自ら考えて、行動することが求められています。言い換えると、指示待ちではなく、自分で課題を見つけて、解決に向けた戦略を考えて、周囲を巻き込んで解決していくような自律型「人財」であってほしいと考えます。そこで、「人財育成」の考え方として、「TOPI2030を実現するための専門性の獲得・向上」と「キャリア自律を含めた自律的な学び/成長」を掲げました。

一方で、そのためには、社員の意識も変えていく必要があります。当社は、従来から、「人財こそが企業の成長・発展を生み出すかけがえのない資産」と考え、「人財」の育成に力を入れており、従業員に様々な研修プログラムや機会を提供してきました。しかしながら、社員の意識は、研修や育成は会社が準備したものを、会社が推奨した時に受けるという、与えられるものになっていたのではないかと思いますし、キャリアにおいても自ら築くものというより、会社から与えられるものという意識になっていたのではないかと思います。また、上司も部下とは業務の話やアドバイス、評価のフィードバックはしっかりと実施していましたが、部下の成長やキャリアという観点での対話やマネジメントは十分ではなかったのでないかと思っています。

そこで、中外製薬が世界と伍する企業になるためには、社員自身がキャリアの方向性や学ぶべきことを自ら決め、実践していくプログラム導入しなければならないと考え、「I Learning」の導入に踏み切りました。

現時点では問題解決能力やコミュニケーション・スキルなど、全職種に共通するプログラムのみの提供となっていますが、若い社員を中心にアクセス数は徐々に増えています。今後、営業、研究開発、人事など、職種ごとの専門スキルを強化するプログラムを作っていこうと思っています。

個人の自律性が高まった先の、「相互研鑽」によるイノベーション創出を目指して

IBM 石田 インタビューカット

――人事部門における今後の目標について教えてください。

矢野 自律的に学び、成長する風土を醸成する上で重要なキーワードは、「主体的」、「Future Skilling」、「相互研鑽」の3つと考えています。

特に、三つ目の「相互研鑽」は、社員同士が学習機会を提供し合うことを指しており、部署の垣根を越えて新しい知見や学び、例えば研究員がある疾病の病理について学んだことを、臨床開発などの他の組織や機能の「人財」も共有することが出来たら、今までの以上の付加価値を生み出せるかも知れません。こうした、社員同士が学びを共有・提供し合う取り組みを実現することで、社員同士がお互いに学習機会を提供し相互研鑽するようなラーニング文化を醸成していきたいと思います。

ヘルスケア業界では、「学会でこんな話を聞いた」「病院の先生とこんな病気の話になった」といった情報が日常的に蓄積されていきます。以前は、日々の雑談でそうした情報や知識を簡単に共有できましたが、昨年からはリモートワークの社員も増え、その機会も減りつつあります。しかし、例えば、最新の学会の情報などを「I Learning」上にアップできるようになれば、時間や場所の制限なく、より多くの社員がその情報にアクセスできるようになるわけです。

――社員同士の知識が共有されるということですね。

矢野 イノベーションは、立場や考え方が違う人が集まり、アイデアを出し合って生まれるものだと考えています。それを「I Learning」の中で実現したい。例えば、気になる情報を投稿した人にその場で連絡して意見交換したり、投稿された内容をテーマにチームでディスカッションしたり、そんな仕組みがあってもいいかもしれませんね。中外製薬の全社員の知識や情報が、I Learningに集積され、議論が始まれば絶対に面白いことが起こると思っています。

石田 それはいいですね。2020年からのパンデミックに伴って、私たちの働き方は一変しました。しかし大企業を中心に、人材マネジメントや人事制度は高度経済成長期からほとんど変わっていないという企業が多いのではないでしょうか。

最近では、「ジョブ型雇用」や「ジョブ型人事制度」の導入を表明する企業も増えていますが、制度設計ばかりが強調されていて、「どうすれば変革期に必要な人材が育つのか」という根本の視点が忘れられているように思います。

その点、中外製薬さんの取り組みは、人事制度を変えて終わりではありません。社員一人ひとりに気付きを与えた上で、その後の道筋もきちんと示す仕組みになっている。成長の機会と選択肢を提案して、行動変容を促しているところに素晴らしさを感じました。ぜひ、今後もI Learning機能の拡充などについて一緒に検討させていただければと思います。

矢野 そうですね。今後進めていかなければならいと思っていることは二つあります。

一つは、日本の社会が、人生100年時代、定年延長、通年採用、ジョブ型雇用、さらには、新しい働き方等、私たちを取り巻く環境は大きく変化しているので、「人財育成」においては、「自らキャリアを考え、その実現に向けて自ら学び続ける人財」を目指し、社員一人ひとりの成長に向けた「学びの風土」への変革を行っていきたいと考えています。そのためには、社員の自律がとても重要になるので、ひとり一人が成長を実感し、自律的に学んでいく姿勢が重要になります。

もう一つは、上司や同僚がメンバーの成長を支援していくような自律的なラーニングカルチャーを醸成していくことです。上司との課題設定、課題評価、キャリア面談、1on1、日常のフィードバック、全てが部下の育成に繋がっていくようなマネジメントに変換することが必要になります。また、周りのメンバーも学びというシーンではお互いに切磋琢磨するとともに、お互いに成長を支援するような組織作りを目指していきたいと思います。

中外製薬 矢野氏 インタビューカット

同時に、人事機能の変革も進めていかなければなりません。石田さんがさきほど言われたように、日本企業の人事機能は昔から変わっていないところがあり、人事異動や制度運営、データ管理などのいわゆるオペレーション的な業務のウエイトが高いのが実情です。それらも大事な仕事ではありますが、今多くの企業で求められているのは、経営戦略に沿った戦略人事であり、自社の戦略と環境変化に合った「人財マネジメント」が欠かせません。

これまでIBMさんの人事コンサルやHRBPの方々と「人財育成」の枠に捉われず、様々な人事課題についてディスカッションさせていただく機会を持つことで新たな気づきやヒントを得ることが出来ました。日本企業の人事もこれから大きな環境変化にさらされ、変革を進めていかなければならないと思いますので、引き続き、宜しくお願い致します。

 

人材マネジメントや組織変革における、コンサルティングからシステム導入・運用まで、人事領域を幅広く支援しているIBMの取組みについてはこちらでも紹介しています。