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俳優サヘル・ローズのメッセージ。貧困に苦しむ子どもを“支配”せず“支援”する

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人文社会科学系の学問と情報理工系の先端技術を融合し、従来にはなかった概念のもと新しい社会モデルの実現をめざす、東京大学と日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)の協同プログラム「Cognitive Designing Excellence(以下、CDE)」。2022年3月まで実施予定で、参加メンバーによる分科会の取り組みもいよいよ実証実験に入ろうとしている。その12回目となる研究会が、10月4日にオンラインで行われた。

第1部では、難民キャンプや孤児、ストリート・チルドレンなどの支援活動を行い、日本では児童養護施設の支援をしている俳優のサヘル・ローズ氏が講演。孤児院で育った幼少時代は “支援される側”だった経験から思いを語った。その内容を踏まえ、第2部では、分科会Bグループが取り組んでいる「フードロスと相対的貧困」の活動報告と、このテーマに関して賛成派と反対派に分かれたディベートが行われた。

貧困の支援は、一人ひとりの居場所を作ること

1985年、イラン生まれのサヘル・ローズ氏。4歳から7歳まで孤児院で生活していた。当時の自分を、金銭的な貧しさよりも「心の貧困に飢えていた」と振り返る。どうして家族がいないのだろう、どうして目を覚ました時に同じ人がいてくれないのだろう、行きたい場所に行けないのだろう⋯。孤児になったということは「人権があるはずなのに、生きる権利をどこかで奪われていく」感覚があり、大人になっても心の傷跡は残っていると語る。

7歳のときに今の母親と出会い、養子縁組をして「サヘル・ローズ」という名前と「1985年10月21日」という誕生日を決めてもらった。その後、知人を頼って来日。2週間ほど公園で生活をしていたときは、スーパーの試食コーナーで飢えをしのいだ。心配したスーパーの店員からもらった食料に救われたこともあったという。

「現代社会では『大変そうだ』と気付いても、『きっと別の人が声をかけるだろう』『(声をかけたら)迷惑かもしれない』などと気を使ってしまって声をかけることを後回しにしてしまう。でも、その瞬間に声をかけ、手を握ってあげないと後からでは遅いことはたくさんあります。もし身の回りで変化に気付いたときは、『誰かが助けるだろう』ではなく『自分がどうアクションを起こすか』が大事だと私は思っています」

公園生活の2週間、同じ服を着て風呂にも入らず、学校の先生たちは異変に気付いていたようだが、支援の手順を気にしてか関与してこなかったという。ただ、学校の給食調理員だけが「どうしたの?」と声をかけてくれた。その調理員は1ヶ月半、自宅に住まわせてくれ、自転車を買ってくれたり、ビザの保証人になってくれたりした。

「貧困の支援は、食だけを満たせば良いのではなく、一人ひとりの居場所を作ってあげ、心の拠りどころ、寄りかかれる存在、信じ合える存在を作ってあげること。私たちが意識を変えれば、貧困やフードロスについても、それ以上のものを補えると思う。それは日本の方から私自身が学んだものです」

子どもへの暴力につながらないよう、大人の苦しみにも目を向けて

給食調理員の手助けもありアパートを借ることはできたが、貧しい生活は続いた。思春期になると自分の家が友だちと違うことが嫌だったという。母親は朝から晩まで必死に働いていたが、風呂がない、キャラクターの筆記用具を持っていない、遊園地にも映画館にも行けない、誕生日のケーキもない、数百円の子どもの雑誌も買えない。貧困が原因でいじめにつながり、中3のときに自殺を図ったこともある。こうした経験が、今の児童養護施設の支援につながっている。

「“支援”は“支配”になってはいけない。これは自分の経験を通してお伝えしたいこと。支援しても相手は思いどおりにならないのです。例えば、日本の児童養護施設の子どもたちが『英語を学びたい』というので、英会話のレッスン費用を出し続けました。でも、途中で投げ出してしまう子がいて、その時に『なんでこんなにやってあげているのに』と思ったのです。その瞬間、『だめだ、自分がやりたくてやっているのに、彼らが私の思った行動をしなかったからといって、それをなぜだと思うことが間違っている。私はいつの間にか彼らを支配しようとしている』と思い直しました。自分がやりたいからやる。相手がそのとおりに応えなくても、それはそれで受け止めるしかない。もし1200人サポートして、その中の1人が大人になったとき、ロールモデルとして他の子たちを引っ張ってくれるなら、やりがいがある活動だと思います。大勢を救えない社会です。だからといって何もしなかったら何も動かない」

また、サヘル氏は子どもたちだけでなく、その親にも目を向けている。児童養護施設にいる子どもの7割が、貧困が原因で親から虐待を受けているという。

「今、私たちに必要なのは共存する社会です。国籍、人種、性別関係なく、人と人は寄り添えるものだと思っています。私は路上生活の方々もサポートもしていますが、路上生活者は働きたくても雇ってもらえない。年齢的な制限がある。年齢で人生を決めるのではなく、やる気や思いがあったら受け入れる企業もたくさんあるべきだと思う。企業はそういう方々にもっと働くチャンス、働く場所を与えてあげてほしい。そういう大人たちを守っていかないと、感情が子どもにぶつかり、子どもが家で生活できなくなり、施設から二度と親元に戻れなくなるのです」

ファシリテーターを務めるIBMの柴田順子から、「子どもの頃に親を責めたとおっしゃいましたが、大人になった今、サヘルさんからお母様の当時のお気持ちやお母様の立場から見たときの思いを共有していただけますか」と質問があった。

「私が30歳のとき、母が泣いて『ごめんね、私があなたを引き取ったばかりにこんなに苦しい思いをさせてしまった。別の人が引き取っていれば、もっと楽な生活をさせてあげられた。ごめんね、私なんかがお母さんになって』と言ったのです。その言葉を聞いたときに申し訳なくて。なぜなら私を引き取ったあまりに、彼女の人生も台無しになってしまったと思ったからです。お互い罪悪感を抱えて一緒にいたのだと思ったら、すごくつらくて。これはけっして私と母の問題ではありません。今、日本でも生活が苦しくて孤立してしまう人がいたり、『この子の未来をどうしたらいいのだろう』と恐怖心を抱える親がいたりします。特にコロナ禍でそういう人がたくさんいると思います。私たち親子のような思いをしてほしくない。私もお母さんにそんなふうに言ってもらいたくなかった」

母は今も苦しみ、定期的に「ごめんね」と謝るという。「その言葉は聞きたくない。生まれ変わったらお母さんの赤ちゃんになりたい」と言葉を詰まらせながら語るサヘル氏。参加者たちも涙を止めることはできなかった。最後は「生まれてきてよかった、とすべての人が思える世界にしていきましょう」と力強い言葉で講演を結んだ。

相対的貧困の子ども、ヤングケアラーにも支援を広げる

第2部は、まず、キリンホールディングス株式会社取締役常務執行役員の小林憲明氏から、分科会Bが取り組んでいる「フードロスと相対的貧困」についての報告があった。

小林氏は、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラムで、フードチェーンのデジタル化に関わっている。現在、日本でも7人に1人の子どもたちが相対的貧困の状況にあると言われている。一方で、コロナ禍でレストランなど料飲店が休業したことにより食材が圃場(ほじょう)廃棄など捨てられる事態が生じている。この矛盾をなんとかできないか。エネルギーやモビリティをデジタル化で最適化しようとするスマートシティの取り組みと同様に、食品、食材も最適化できるのではないかと考えたことから、このプロジェクトが始まったと説明。特定非営利活動法人全国こども食堂支援センター・むすびえ様の協力を得ながら、子ども食堂について調査した。

「子ども食堂は、子どもたちに食料を提供する機能もありますが、地域の交流地点なんです。全国に5000軒あり、0歳から100歳までがいらっしゃる。食事の提供だけでなく宿題を見ることも行われている、まさに地域としての交流地点です」

小林氏は子ども食堂調査の経験から、相対的貧困に陥っている子どもたちだけでなく、家事や家族の介護、世話などを日常的に行っているため、やりたいことができなかったり、他の子どもたちより自由度が少なかったりするヤングケアラーも支援が必要だと認識。こうした子どもたちの声なき声を拾って将来への希望につなげていくことができるか、企業としてやるべきことについて問題提起した。

子どもの支援に企業が取り組むべき課題か否かを、ディベート

今回のディベートのテーマは「企業としても、将来ある子どもたちを助けるために介入して、彼らを置かれている環境から救い出すべきだ。賛成、反対? 」。進め方について、IBM CDE 統括エグゼクティブの的場大輔が説明した。賛成派と反対派の各3人が任意に選ばれ、賛成派→反対派→賛成派→反対派→反対派→賛成派の順に1人3分ずつ意見を述べる。その後、3人の評定員が話し合い、どちらがより説得力があったかを評定。賛成・反対・評定員以外の研究会参加者は、チャットを利用して発言する。

今回は、賛成派として、日揮ホールディングス小島秀藏氏、パナソニックコーポレート戦略・技術部門プラットフォーム本部長下田平麻志氏、東京電力ホールディングス常務執行役関知道氏、反対派として、明治安田総合研究所取締役執行役員 ヘルスケア・デジタル研究部長加藤大策氏、味の素マテリアル&テクノロジーソリューション研究所長伊能正浩氏、日産自動車総合研究所モビリティ&AI研究所所長山村智弘氏にディベートをいただいた。

ディベートでは次のような意見が交わされた。

  • 賛成派1人目
  • 「子どもは将来の担い手と考えております。貧困が理由で、その担い手が機能しない社会は社会の損失である。したがって我々は社会の公器である企業として積極的に関与して、子どもたちを救うべきであると考えています」「貧困の子どもたち、ヤングケアラーに企業が積極的に参加して、解放して夢を持ってもらうことは日本の将来にとって重要なこと。そういう子どもたちが将来その会社に就職していただけると、痛みを知っていることでマネジメントが豊かになる」

  • 反対派1人目
  • 「環境問題、デジタル社会への取り組みの遅れ、新型コロナウイルス感染症の流行による経済格差、企業の厳しい業績。こういったたくさんの社会課題がある中で、なぜ最初に子どもの貧困問題やヤングケアラーに取り組まなければならないのか。なぜ企業が社会課題に応えていかなければならないのか。企業は税金を払い、社会へのサービスを提供している。一番大事なのは雇用を安定させることではないか」

  • 賛成派2人目
  • 「企業は社会の公器として、社会が求める仕事を担いながら次の時代にふさわしい社会そのものを作っていく。利益やよりよい暮らしは、結果としてついてくるもの」「過去にも社会課題に向き合い、女性たちが働きたくても働けない環境を打破するために、家事から解放する家電製品を作った。子どもたち、ヤングケアラーにもきっかけを与え、一人ひとりが生き生きと笑顔で穏やかな生活をしてもらう。そういったことに寄与することは企業としても社会的にも大きな貢献になると思っています」

  • 反対派2人目
  • 「社会には多くの課題があります。その中でこの課題が優先順位で一番であることを証明いただきたい。次に、この厳しい状況は何かの結果である場合もあります。根っこに他の原因があって、それがこのような状態を生み出しているならば、その根っこを最初に対処しなければ解決しませんし、莫大なお金がかかります」「さらに、子どもたちを救い出した後どうしますか。その後、ケアされなくなった人はどうすればいいのかも疑問です」

  • 反対派3人目
  • 「我々の主張は、この問題は社会課題の最優先事項か、なぜ企業が問題解決の直接の担い手になるか。企業は特定の目的にもとづいた得意な領域があり、必ずしもヤングケアラーを救い出すことが得意なわけではない。得意な領域で社会貢献をしたい。救った子どもたちが企業を支えることでマネジメントが豊かになるという意見もありましたが、支援した相手に期待して取り組むべきではない。見返りを求めないで活動することは難しい。ヤングケアラーが発生したのは他に原因があるはずで、それを解決することで社会貢献できればいいのではないか」

  • 賛成派3人目
  • 「社会課題を解決してこそ企業に存在価値がある、存在を認められている。それが今の情勢。社会として一番重要な要素は何か。金ではなく人」「課題解決に順番をつける必要性があるのか。今、苦労している子どもに何をするかと問われれば、愛情を持って企業として支援すべきだと思います」

持続可能な貧困支援を行うために、企業ができること

6人によるディベートが終わった後、評定員として選ばれたオリンパス執行役員 技術開発担当役員長谷川晃氏、東京海上日動火災保険IT企画部部長村野剛太氏、日揮グローバル特別理事・フェロー大野拓也氏が話し合った結果、勝者は「賛成派」となった。その理由は、「反対派は質問が多く、自分たちの主張が少なかった」「優先順位の議論になっていた」。反対派からは「このテーマで反対するのは難しい」という声も聞かれたが、チャット上では20件ほどの意見が出て、賛成・反対はほぼ同数となっていた。

反対派の意見としては、「若い方が自ら自分の将来を考えてこそ、個人の集合体である社会の課題を解決することができる。企業が神様のように別の場所へ若い人を移動させてしまうと、個人個人が考えて前に進むことを阻害してしまう。企業は、若い人たちが考えることを援助することが大事」「企業が主体であると、そのビジネスモデルが崩れたときに撤退するリスクあり継続性が失われます。自治体が主体で、企業は各社の得意分野を活かしての後方支援というのが現実的」「人の根源的な『幸せ』に関わる問題に企業の固有名詞が入っていくことには懐疑的」というものがあった。

問題を提起したキリンホールディングス小林氏は「気付きは、反対派のコメントにあった」という。もともとチーム内でも、企業の拠って立つ目的はそれぞれ違う、支援が企業の業績に左右されていいのか、企業が決めた支援活動に社員も従うのかといった点に疑問の声があったという。

「5000か所ある子ども食堂は、5000通りのやりかたで運営している。それぞれが地域や参加者に合うようにやっている。だから長続きするのだろう。企業がやるべきことは『こういう社会問題がある』と広めること。マスコミが取り上げなくても『こんな社会問題があってこんな状況だ』と知ってもらう努力をすればいいのではないか。『それを解決したい』と志を持つ社員がいたときにサポートすることが、持続性があり効果のある方法ではないかとディベートを伺って思いました」と感想を述べた。

最後に、東京大学名誉教授で中央大学国際情報学部教授を務める須藤修氏から総括があった。

「非常に面白かった。ディベートはいいですね。実際にこういった議論を企業なり行政なり地域コミュニティーなりコンソーシアムなりが行って、課題を出していく。論理的な不整合が起こったときにどう説得するかを考えたり、反対意見を交わしたりするのは非常に良いこと。(中央大学の)須藤ゼミの23名の学生も本日参加していますが、議論の仕方、論理の押さえ方、感情面の大切さ、すごく勉強になったと思います」と感想を述べたうえで、“支援”が“支配”になる例を挙げた。

「米国が、WHO(世界保健機構)からもユネスコからも脱退しました。今最も力を持っている国は中国です。中国が最も拠出金を出し、支援しています。アジア諸国にも、アフガニスタンにも、アフリカ諸国はほとんどすべての国に中国が介入してきています。国際機関という名の正義にもとづいて介入し、返済不能な金額を支援してくる。結局返済できないので、その占有権や所有権を奪取し、政権はその言いなりになる」

これを企業に置き換えた場合はどうするか。企業はプロフィットを出すことが使命としてあり、さもなければ株主への説明責任ができない。そこで“支援”が“支配”になってしまう危険性がある。

「一つのヒントは2007年にノーベル平和賞を受賞したムハンマド・ユニスのグラミン銀行です。貧しい人にお金や仕事を与えて支援するのではなく、自分でビジネスを立ち上げて稼いでもらう。そのために金利を安くお金貸し付けるという戦略。どちらかが上に立って、どちらかが隷従する関係ではありません。両方ともギブアンドテイクの関係。支援する側も金儲けのためであり、互いに一緒に儲けるという発想。これは不良債権化のリスクがものすごく低い。こういう枠組みにすることが重要なのではないか」

企業は社会に、人に何ができるか。CDEはその問いに向き合いながら、一歩一歩前進している。