2019年7月から始まった東京大学と日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)の協同による3年間のプログラム「Cognitive Designing Excellence(以下、CDE)」。2020年度第1回研究会が、5月13日に行われた。人文社会科学系の学問と情報理工系の先端技術を融合し、社会課題を起点にこれまでにない概念や社会モデルをデザインする研究プログラムだ。今回は新型コロナウイルス感染防止のため、初めてオンラインイベントとして開催し、100人以上が参加した。
第1部のゲストスピーカーは日本とイタリアに拠点を置く漫画家、随筆家のヤマザキマリ氏。100年前のスペイン風邪の歴史からアフターコロナを読む感性や、国境に囚われない生き方、同質性と多様性などをテーマに講演が開催された。第2部では、ヤマザキ氏を交え「地方創生」をテーマとして参加者によるセッションを行った。
ヤマザキ氏の波乱万丈の生き方が、コロナ下でも武器に
ヤマザキ氏の家族はイタリア在住で、自身は日本と往復する生活を送っているが、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナウイルス)の影響でイタリアがロックダウンとなり、家族のもとへ戻れなくなってしまったと言う。
「よくインタビューなどで『日常はどう変化しましたか、どのように適応していますか』と聞かれますが、特別にしていることはないですし、そもそも今まで何一つとして思った通りにことが進まない人生を過ごしてきましたから(笑)、イタリアに帰れなくなっても、生きていればこういうこともあるだろうとすんなり受け入れました。私の人生が波乱万丈と表現されるような慌ただしいものになってしまったのは、行動範囲が広かったことと、自分の生き方に特別なイデオロギーを持たなかったせいもあるのでしょう。でもこうした苦労まみれの経験は、やがて自分を頼りがいのある存在にしてくれた。もちろん穏やかな人生も憧れますが、自分自信に時々苦労をさせないと人間は脆弱化し、いろいろなことに対して対応不全になってしまう可能性もあると身を持って感じています」(ヤマザキ氏)
ヤマザキ氏は数々の写真とともに自身の半生を振り返った。子どものときのあだ名は「馬子」。走って転んで激しい子だったという。父親はヤマザキ氏が1歳だったときに他界したため母親はシングルマザー。ヴィオラ奏者として札幌交響楽団に入り、実家がある東京を離れて北海道に移り住んだ。
1981年、ヤマザキ氏が14歳のときに、母親が「自分が行くはずだったヨーロッパ旅行に行けなくなったので、代わりに行ってきてほしい」と言い、ヤマザキ氏を1カ月間の旅に出す。そのとき知り合ったイタリア人の陶芸家老人との縁で、17歳のときに国立フィレンツェ・アカデミア美術学院へ留学し、油絵と美術史を学ぶことになった。ヤマザキ氏にとって、絵は「楽しいとか好きとかではなく、ごはんを食べるのと同じような感覚で何にでも描いてしまう」ものだったという。
フィレンツェで詩人の男性と一緒に暮らし始めるが、光熱費にも家賃にも困る経済状況で26回も引っ越したという。やがて未婚のまま妊娠し、一人で出産。「私はこれから子どもの面倒も見ないといけないので、大人の面倒はもう見られない」と詩人男性へ別れを告げた。そして「手に職をつけるため」漫画を描き始め、日本に帰国。漫画制作と並行してイタリア語講師やテレビ番組の温泉レポーターなどをして生計を立てた。温泉レポーターで培った情報が大ヒットとなる漫画『テルマエ・ロマエ』(BEAM COMIX)の執筆に役立ったという。その後、14歳のときに知り合った陶芸家老人の孫と結婚。比較文学を研究する夫とともに、イタリアからエジプト、シリア、アメリカ、ポルトガルを巡る生活を送った。
「今回のパンデミックに対しても、これまで経験した数々の変化が大きな武器になったという感触があります。『楽しく生きていけるよう工夫していきましょう』と言う人もいますが、私は毅然と『こういう日常もある』と思って過ごしていけばいいと思っています」(ヤマザキ氏)
外出自粛でも、頭の中は時空を行き来する自由な発想
講演の後にはヤマザキ氏への質疑応答の時間が設けられた。ヤマザキ氏が母親について、「シングルマザーで、コンサートがあれば夜遅く帰宅し、当時としては友だちの家庭とは違う特殊な環境だった」と語ったことについて、「地方では同質性を重んじる人が多いが、その中でお母さんが強く意志を持ち続けられたのはなぜか。もともとの性格以外に後から培われることはあるか」という質問が寄せられた。
「うちの母はお嬢様育ちで、子どものころ学校の友だちと遊ぶことは許されなかったそう。遊んでいる輪に入れず、社交の中で表現できない思いを、習っていたバイオリンで昇華させていた。楽器は自分を支えるもの、生きていく糧だった。札幌交響楽団創立時に団員を募集していたのを見て、知らない土地で、みんなが集まって新しいものを作るのは面白そうだと参加したんだそう。それぞれソリストになれるスキルと個性を持つ人が集まって交響曲を奏でるオーケストラは、素晴らしい集団の形です。それは地方がどう活性化するかの大きなヒントになると思う」と語った。
「新型コロナウイルスの影響で物理的に動くことを遮断されている世界だが、発想は自由に動いているか」という質問については、「家にいる時間が多くなり、過去に観た映画を見直してみた。そのときに新しい気付きがあり、想像力が旺盛になって時空を行き来している感覚があった。物理的に体は自宅兼仕事場に滞っているけど、頭の中は常に動いている」と返答。
「今、経済が停滞していることについて」は、「イタリアの知り合いの会社も倒産してしまった。イタリアでの最初の死者は、私が住んでいるパドヴァという街で出た。翌日から学校閉鎖、地域封鎖、国境閉鎖という感じでまたたく間にすべてがロックダウンとなり、フィレンツェ、ヴェネツィアなど経済の大部分を観光に頼っている地域に観光客が一人も入ってこない状態になっている。イタリアの家族に『こんな大胆な政策に一気に踏み込んでそのツケを思うと恐ろしい』と話すと、『マリは人命と金とどっちが大事なのか』と聞かれた。イタリアでは約100年前のスペイン風邪の記憶がまだ語られている。パンデミックは古代からたびたび繰り返されてきたが、そんな自然の脅威に打ち勝ち生き残ってきた人びとの末裔なのだと彼らは感じている。だから、たとえロックダウンにより経済状況が悪くなっても、人命を守ればいつか立ち直ることができると。楽観的で前向きなのと同時に、社会の形というのは永続するものではないという意識も根付いており、どこかでお金の力に懐疑的な部分がある。彼らのこうした考えがキリスト教という倫理に根付いていることを実感した」と語る。
飲食店を応援するため食事はテイクアウトを利用したり、小売店などで余った食材を買って知り合いに配ったりしているというヤマザキ氏。「日本という経済国家でアフターパンデミックの混乱を生き抜いていくにはどんな対処が適しているか、利便性はあるのか、誰かが気の利いた意見を言ってくれるのを待っているだけでは始まらない。どこかの国でとった方法をまるまる応用するのではなく、日本という土壌や国民性に適した方法をそれぞれの知恵を使って考えていくことは必要になるでしょうね。歴史の中でどんな人がどう乗り越えてきたか、書物もヒントになると思う」と述べた。
スペキュラティブデザインで設計していく地方の未来
第2部となるアートシンキングのセッションについて、日本IBM CDE統括エグゼクティブの的場大輔氏は次のように解説した。
「従来と違う方法で発想し、そこからバックキャスティングしながら未来を一緒に設計していくスペキュラティブデザインを実践することが今回の狙いです。1960年、フランスで新しい文学の可能性を追求するため設立されたグループ『Oulipo(ウリポ)』は、数学者からチェスプレーヤーまで多岐にわたる人たちがディスカッションをした。それぞれの専門性を持った個人が異分野の知識にふれたとき、自身の専門分野の話に“見えてしまった”という個人的な“見立てる力”から創造性が生まれる。CDEはその“見立て”を共有できる場となっています」(的場氏)
テーマは、CDE会員の東京海上日動火災保険から「地方創生」が提案された。東京海上日動火災保険では2016年に地方創生室を立ち上げ、本格的な地方創生の取り組みをスタート。47都道府県すべてにある営業ブランチにそれぞれ地方創生・健康経営キーパーソン150人以上を置き、本社機能を担う社員50人も地方創生に携わり、合計200人以上の体制で取り組んでいる。今回は、東京海上日動火災保険およびポーラに所属する4人が自らの経験を語った。
4つの地方都市から見えた、鍵となるシビックプライドと人のつながり
まず、京都府京丹後市に2年間の出向経験がある東京海上日動火災保険 京都支店 福知山支店長の松田清氏と、静岡県庁に出向経験がある同社静岡支店業務グループの主任の加藤陽子氏から発表があった。
松田氏は、「将来人口推計で、京丹後市は2018年対比で2030年に20%の減少が予測されて、5万5000人が4万3000人になると考えられている。現在、高齢化率は65歳以上が35.3%と高く、若者がほとんど街を歩いていない。若者が少ない理由は、京都駅まで列車で2時間半かかるため実家から大学に通えず、いったん街を出るとそのまま就職して戻ってこないケースが多い。シビックプライドを醸成する授業も小学校から行っているが効果が薄く、なかなか地元企業に対する関心が低い」と言う。
加藤氏は静岡生まれ静岡育ち。「大学から東京へ行き、東京で就職したが静岡に戻った。1年間県庁に出向し、静岡県をよくしていこうと熱意を持った方々がいることを知った。一方でもう少しビジネス感覚があってもいいのではないかとも思った」と言う。転機となったのは、大阪出身の30代女性に出会ったこと。「『静岡は魅力的な街』と言われ、嬉しかったと同時に恥ずかしかった。自分自身、生まれ育った土地にシビックプライドを持つことはなかった。その女性は静岡で起業し、静岡の企業と都市部の人材をマッチングし、関係人口を作るビジネスを行っているので協力したい」と語る。
続けて、ポーラのグランドオーナー(委託販売契約を結んだビューティーディレクターが所属するショップを複数取りまとめるリーダー)2人からも話があった。岐阜県多治見市のポーラ紗ら グランドオーナーの山下真美子氏は「地域で15年、個人事業主として働いている。働く場所はあるが働き手が少ない。市に愛着がわくには人と人とのつながりが大切。6年前より女性の個人事業主が横でつながる体験型イベントを開催したり、現在は地域で活躍する女性をピックアップしWEBやSNSなどを通して地域の良さを人と場所目線で発信している」と言う。
岐阜県高山市のポーラAQUALIE グランドオーナーの森下利枝氏は「飛騨高山の人口は現在8万人台、20年後には6万人と言われ、人口減少、人手不足が問題になっている。高山市は大学がないので大学から都市に出てそのまま就職する人が多い。その反面、子どもたちは地元愛が強い。子供向けの職業体験型テーマパークであるキッザニアで開催された市を挙げてのイベントにおいて、ポーラとしてエステティシャンの体験ができるブースを設けたり、独自のキッズお仕事体験を開催したりといった取り組みを行っている。ただ、なぜ高山市で仕事をしないのかと聞いたときに『親が反対する』という声が多いとことがわかった。都市で就職するべきだという親の世代が多い」と語った。
リモートワークの浸透を機に、多様性を帯びる地域と人の関係
これら4人の話をもとに2つの議論が行われた。論点1は「どうすれば地域と関係したくなるのか。どうすれば地域に想いを持つようになるのか」。論点2は「地域との関係を作る体験や高度なスキルに見合った雇用を可能にする特異の地域アイデンティティを、地域からどのように見立てるのか」。
ヤマザキ氏は、「私たちの人生観や日常の形を大きく変えていかなければならないパンデミックという岐路に立たされたときに、都市にいれば生活が保証されるという構造がぐらつき始めている。都会じゃないと社会的なポジションを維持することが苦しい、会社に通わなければいけないという意識に関して、リモートワークによって改革が起きている。経済的な観点から暮らす場所は地域でいいのではないかと考える若者が増えていく」と意見を述べた。
同様に「関係人口を増やすことも一つの案だが、すでに戻りたいという人もたくさんいる。地元愛がある人は環境さえ整えば帰る。その観点では新型コロナウイルスは我々にとって大きなきっかけになったのは間違いない。お客様とのプロジェクト推進を100%リモートで実施する取り組みをしていて、表情が読み取れないという細かい問題点はあるが、出張コスト、移動時間がかからないといったメリットのほうが大きい」という意見があった。
一方で、「ものを考えて作るところは首都圏である必要はない。ただ一方で監督官庁と話をするとなると、ウェブ会議では越えられない壁がある。人の表情や態度を見て判断をするということが難しく、営業担当はストレスを感じているようだ。ウェブ会議の技術がそれを乗り越えていくのか、やはり対面でのコミュニケーションに価値があるのか、職種によって変わってくると感じている。ただ定期異動は見直していい。大卒以上に地域密着を希望する人が増えてきている一方、工場などで地元採用すると実は外を見たいと言っており、ねじれた関係がある。個人のニーズに応じた配置をしていくように変わっていくのではないか」というリモートワークに対する慎重論も見られた。
また、「企業も官庁も構造が中央集権的になっている。都会に出てこないと大学に行けない構造になっていて、いったん中心を経由しないとキャリアが組めないことが大きな問題だ」、「街に仕事を作るのではなく、仕事があって人が来て街ができるという順番ではないか。福島県会津若松市では、公立大学の学生のうち8割が県外から来ているが、みんな出て行ってしまう。そこでIT企業の集積拠点『スマートシティAiCT(アイクト)』を作って17社が進出した。仕事を作っていくことが大切」と、教育から就職までのあり方を指摘する声も。
東京大学名誉教授の原島博氏は、「都会が中心で地方がそれ以外という感覚がまず変わっていく。都会が中心になったのはせいぜい産業革命以降の200年ほど。長い人類の歴史の1000分の1。特に日本では戦後約75年とほんのわずかだ。ほとんどの時代は、今で言うところの地産地消でやっていた。それが本来の姿だったと思う。パンデミックは、今の都市密集に対して『それでいいのか』という問いかけでもあるのではないか。密集が文明を築いたことは確かだが、地域をベースにして組み立てるように発想が変わっていかないといけないのではないか。地域の暮らしが遅れているからなんとかしようではなく、そこが中心だという考え方がこれからは重要では」と問いかけた。
人と人の新たな出会いが生み出す、地域のアイデンティティ
論点2の地域のアイデンティティの見立てについて、的場氏は「今回の課題図書とした『国境のない生き方: 私をつくった本と旅』(小学館新書)で、ヤマザキ氏は『自分らしさ』について『抜き差しならない、切実なもの』と表現されている。地域と関係を持つことは、ただそこに行ったら面白いものがあるというのではなく、抜き差しならない状況を作ろうと意識を変えないと魅力を感じるところまでいかないのではないか」と疑問を呈した。
ヤマザキ氏は「日本の地域の考え方とイタリアの考え方は歴史的な基盤が違うので差異がある。イタリアは地域がそれぞれ個性を持ち、誰かが準備しなくてもそこに行くと何かがあるという国。さらに、日本と違ってイタリアは家族至上主義なので『帰ってこなくていい』と言うことはない。『この地域にはあなたが行ったところにはないものがある』という誇りが地域以前に家族にある。だから『戻ってこい』『戻りたい』という思いも強い。日本の場合は家庭に帰属するよりも社会に適応することの優先順位が高いと感じる。イタリア的な地域の考え方は日本でそのまま応用することはできないと思う」とした上で、「面白い人間、情報力を持った人間がそこには居る、というのが、日本の場合は人を動かす原動力になる」と言う。
前述したポーラの山下氏も「地域のアイデンティティは人との関わりでしか生まれてこないと今活動を通して実感しています。地域にもともと住んでいてその地域が好きだという人の発言力に期待したい。そういった方と地域におけるインフルエンサーになる方、そしてまだ愛着を持っているわけではないが仕事で来ているという方との接点を持たせることができれば」と語る。
「シビックプライドは、人の出会いをどれだけ作り出せるか。魅力的な人との出会い、そこで深い関係性が作られることで、たんなる旅行ではなく継続的に会いに何度も足を運ぶことにつながると思う。また、若い人の教育のなかに、地元に関する教育だけでなくいろいろな地域から来る人たちによる多様性のある教育、たとえば東京の大学生から見たその地方、芸術家からみたその地方など、小さなOulipoが出てくることによって地域のキャラクターが新しく形作られるのではないか」という意見もあった。
自治体だけでなく産業界、教育界を巻き込んだ地方創生
セッション終了後、東京大学大学院 情報学環特任教授の須藤修氏から研究会の総括があった。
「イタリアは地域主義があり都市国家が発達していたので、近代のネイションステイト(国民国家)としてはある意味遅れており、中央集権的な要素は欧州にあるほかの大国と比べて弱い。日本は中央集権をめざして明治維新を起こしたけれど、その弊害が今出ていると言えるでしょう。幕藩体制では、出雲(島根)はものすごく力があり、今よりも人口密度が高かったのです。ところが明治維新以降は徐々に衰退化して、東京、大阪、福岡に人口が吸収された。ヤマザキさんが強調されていた地域のメリットを考えるべき」と語った。また、会津の「スマートシティAiCT」の成功例を示し、「“よそ者”をどううまく使いこなすか、地域の包容力が必要」とも語った。
東京大学大学院情報学環 学際情報学府教授 Ph.D.の中尾彰宏氏は、NTTドコモと協同して5Gを活用した「スマートかき養殖」を行っていることについてふれた。「地域創生で大事なことは、地域の課題の理解ということだと痛切に感じています。大学の技術を持っていけば何でも解決するという考え方でいくと、『都会から来た大学の先生なんて地域の課題はわかってない』と捉えられてしまう。地域の人たちと打ち解けて課題を聞いて、我々が持っている技術で解くという進め方が必要だと肌で感じています」と語った。
最後に、須藤氏が東京海上日動火災・加藤氏が語っていた静岡についてふれ、「遠州は日本のシリコンバレーと言っていい。古くからホンダ、カワイ、ヤマハ、浜松ホトニクスがある。富士川より東側は製紙業が発展している。静岡はもっと活力のある県になる。医工連携を模索しており、浜松医科大学と静岡大学情報学部が合併するが、反対の声も出ている」と現状と今後の動きを紹介。そして、「県や市に任せるのではなく、産業界、教育界を巻き込んで地域振興という観点で議論すべき。動き始めた大学とクロスオーバーさせながら柔軟に地域の未来展望を構想すべきだと思います」とメッセージを送った。