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Smarter Business

“データ爆発”時代を生き抜くためのデジタル戦略を、“カンブリア爆発”から紐解く

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岡村周実

岡村 周実氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバル・ビジネス・サービス 事業戦略コンサルティング
理事・パートナー


日本企業・政府部門の成長戦略に係るコンサルティングを担当。先端テクノロジーや官民・異業種連携により、新たなエコシステムの創生を図るプロジェクトを多数支援している。慶應義塾大学卒。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス行政大学院およびパリ政治学院公共政策大学院の修士課程修了。

 
 
5億4200万年~5億3000万年前に起きた「カンブリア爆発」。この期間に生物の種が爆発的に増え、現存するすべての生物階級が出そろったと言われる。そして、同じことがデジタル空間上でも起きようとしている。デジタルテクノロジーを活用した事業やエコシステムの多様性が爆発的に増大し、その階級が短期間に定まろうとしているのだ。現代の「カンブリア爆発」によって、企業の経営はどのように変わるのか。日本アイ・ビー・エム グローバル・ビジネス・サービス 事業戦略コンサルティング 理事・パートナーの岡村周実氏に聞いた。
 

デジタル変革時代に生き残るのは“コグニティブ・エンタープライズ”

――AIの爆発的進化は「カンブリア爆発」に似た状況だと言われます。それを企業によるデジタル変革の文脈で考えると、どのようなことが言えるのでしょうか。

カンブリア紀という時代が、約5億4000万年前から4億8000万年前にありました。それまでの時代と違うのは、カンブリア紀には地球上に太陽光が差すようになり、三葉虫など視覚を持った生物がたくさん生まれたということです。生物が視覚を持つことで、自分にとって価値あるものが、どこにあるかを認識して、それを捕食できるようになった。結果、捕食者と非捕食者という生物階級、つまりエコシステムの構造が生まれたのです。エコシステムの種類や規模が爆発的に増大した現象を、一般に「カンブリア爆発」と呼びます。

生物の視覚に当たるものをデジタル世界の文脈で考えると、それはAIです。真っ暗だったデジタル世界に光が差し、データから意味や価値を認識するためのAIという眼が誕生した。現在、新たな認識能力を持った企業、つまり「コグニティブ・エンタープライズ(Cognitive Enterprise)」が次々に生まれ、あらゆる領域でエコシステムを急速に作り上げています。

カンブリア紀が始まる前の時代に存在した生物はほぼ絶滅しました。それになぞらえると、デジタル変革以前に栄えていた事業の多くは淘汰され、コグニティブ・エンタープライズとして進化した企業の事業だけが、新たなエコシステムの中で生き延びるという状況になってもおかしくはないと考えています。

――AIという視覚を持った企業が登場したことで、価値創造はどのように変化するのでしょう。

デジタルによる価値創造は、「第2章(Chapter 2)」に入りつつあります。第1章、つまり企業が視覚を持つ前の時代においては、インターネット上に流通するデータの多くは、SNS情報や商品情報、新聞記事など、拡散しても特に問題のないデータがほとんどでした。一方、第2章の時代に流通するデータは、企業や個人がファイヤーウォールの内側に持つ情報、漏洩して悪用されると甚大な被害をもたらしてしまう類のミッションクリティカルなデータが中心になります。第1章で流通していたものとはマグニチュードの異なるデータが、これまでとは異なる方法で流通し、それを活用することで今までにない価値が生まれるわけです。

たとえば、糖尿病患者の血糖値のデータを、クラウド上のAIがリアルタイムに監視しながら、遠隔でインシュリンポンプを動かすといったサービスがあります。これまでは患者が自分で血糖値を測り、自らインシュリンを調節していましたが、それをAIが自動で行うのです。文字通り、ミッションクリティカルなデータを用いた価値の革新事例です。ただ、もし血糖値のデータが漏洩し、悪意ある第三者によってAIがハッキングされてしまったら、患者は死の危険にさらされることになります。つまり、このようなサービスを提供する企業には、絶大な信頼とセキュリティが求められますが、それこそが第2章におけるデジタル世界のベースになるのです。

スペイン国営鉄道Renfe(レンフェ)の事例も紹介しましょう。Renfeはかつて遅延や運休が頻発し、多くの乗客がLCC(Low-Cost Carrier)に乗り換えてしまっていました。結果、売上が大幅に落ち込んでいたのですが、それに対処するため、まず行なったことは鉄道車両メーカーとの契約変更でした。鉄道車両メーカーから鉄道車両を買うだけでなく、成果報酬型のメンテナンスサービスも提供させるようにしたのです。車両に設置したセンサーからデータを収集して故障の予兆監視を行い、故障の前に部品を交換するなどして、99%以上の鉄道車両の可用性(停止することなく稼働すること)を保証させる契約を締結。その上で、Renfe自身が乗客に対し、運行が15分以上遅れた場合は切符代を全額払い戻すことを約束した結果、LCCに移っていた乗客の60%以上が戻ってきました。運行状況や車両故障の予兆といったミッションクリティカルなデータを活用することで、新たな価値創造を実現したのです。

ここで重要なことは、デジタル変革の第2章において、価値創造の仕組みが大きく変化するということです。従来のように、モノやサービスを単純に売り買いするような「アウトプット・ベースの取引」ではなく、顧客価値そのものを共創してシェアする「アウトカム・ベースの取引」が拡大していくのです。デジタル空間上の眼をもった企業は、データによって評価・制御することの可能な顧客価値、つまりアウトカムそのものを作り出して提供するビジネスモデル、たとえば成果報酬契約といったモデルを駆使するようになります。

 

“競争”から“共創”へ、“産業別”から“産業横断型”へ、変化するビジネスのあり方

――アウトカム型のビジネスが出てくることで、企業の戦略やエコシステム(生態系)は変わりますか。

大きく変わると思います。さきほどの例で言いますと、スペイン国鉄と鉄道車両メーカーは、ともに協力しつつ、乗客にとっての価値を共創(co-creation)しています。鉄道車両のスペックや価格といったアウトプット・レベルの取引条件を超えて、最終的な価値そのもの、つまりアウトカム・レベルの共創を、デジタルテクノロジーを活用して実現しています。これからは、アウトプットの機能や価格で同業他社としのぎを削る”競争”よりも、顧客や業種を超えた“共創”によって得られるアウトカムの方が大きくなっていくでしょう。このような変化は、すでに多くの企業で、戦略上の意思決定に影響し始めています。

次にエコシステムについてですが、これまでは小売、製造、金融、医療、建設など、アウトプットの単位で産業が分類されていました。任意の機能をもったアウトプットを大量かつ安価に、また継続的に生産・提供する能力という観点で、同じ産業内の企業同士が競争してきたのです。これは企業だけでなく、行政組織や教育機関なども同じことです。

しかしこれからは、アウトプット単位の産業の壁は崩れ、産業横断的なエコシステムが主流となるでしょう。なぜなら、任意のアウトカムを実現する術は、必ずしも一つの産業領域に限定されないからです。たとえば、「MaaS(Mobility as a Service、マース)」は電車、バス、飛行機など、マイカー以外の複数の交通手段を一つのサービスとしてとらえる概念です。ユーザーにとっては、A地点からB地点まで移動するというアウトカムを得るには、鉄道でもタクシーでもなんでもかまわないわけです。それよりも、それぞれの交通手段に個別に支払いを行うよりも、確実にA地点からB地点まで行くというアウトカムに対して支払いを行ったほうが、ユーザーエクスペリエンスは向上します。

さらに、MaaSとInsurTech(インシュアテック)を掛け合わせたテレマティクス保険(移動体に対する情報提供サービスを利用して、運転データを分析して保険料を算定する保険)が登場したり、バーチャルパワープラント(小規模な分散型エネルギーリソースを一つの発電所のようにまとめて制御すること)と連携し、EVのバッテリー制御によって調整電力を生み出したりするサービス「V2G(Vehicle to Grid、ビークルトゥグリッド)」も生まれています。他にも「MaaS✕小売」、「MaaS✕金融」など、複数のプラットフォーム同士が連携し、共創することで、新しいエコシステムが次々に生まれています。

競争から共創へと、戦略のパラダイムが変化していくと、個々の産業内でのシェア争いの意味が、段階的に失われていくことになります。また、従来の経済学者や戦略コンサルタントが依拠していたフレームワークの多くも、その意味を失います。そもそも競争はコストと労力がかかり消耗戦になりがちですが、この時代、他社のシェアを多少奪ったところで劇的に利益が改善するわけでもありません。

一方、デジタル世界における共創は、投資やコストという観点でも効率的です。Jeremy Rifkin(文明評論家)が唱える「限界費用ゼロ社会」もそうですが、たとえば、いったん開発したソフトウェアやプラットフォームを再生産する場合、電子的にコピーするだけなのでコストはほぼかかりません。すなわち、確かなユースケースが、どんなに小さな単位であっても実現できれば、その拡大にかかる限界費用は非常に小さくできます。

したがって、理論上、ユースケースさえ確立できれば、ビジネスケースとしての成立可能性を見出すことができるというわけです。これまでのように、ビジネスケースが成立する範疇でしかユースケースを考えることができなかった時代とは、真逆の発想ですよね。産業の壁を越えた共創が、特にデジタル世界で進みやすい、というのは、そういった背景もあるわけです。

――競争から共創へと戦略を変化させて成功した企業の事例はありますか。

ある大手流通・小売グループの傘下にある銀行は、親会社が小売店舗を多数展開しているので、そこにATMを設置すれば、既存の大手銀行に迫る競争を繰り広げることが可能でした。しかし、その銀行は国内600行以上ものいわゆる競合銀行と連携し、店舗のATMでユーザーが他行のサービスも利用できるようにしました。銀行という小さな事業領域で競争するのではなく、共創することで他銀行のユーザーも取り込んだのです。

さらに、銀行以外の業界ともコラボレーションし、ATMを利用したさまざまなシェアリングモデルを作っています。たとえば、軽貨物ドライバーが空き時間に仕事を受注することができる物流のシェアリングプラットフォームと提携し、その報酬の支払いをATMでできるようにしたのです。

また、給与即日払いサービスとも連携し、銀行口座を持っていなくても、コード番号がわかればアルバイトの報酬を受け取れるようにしました。これまでは企業が現金を手渡ししたり振り込んだりしていたわけですが、その手間やコストを省くことができます。アルバイト側も、日本中どこのATMからでも報酬を受け取ることができます。これは今までになかったユースケースです。

こうして同銀行は、流通・小売といった産業の壁を越えて、銀行やシェアリング・エコノミーとの共創関係の中で、自らのATMや店舗をさまざまなエコシステムの中核に据えることに成功しつつあります。デジタル空間におけるコグニティブ・エンタープライズの好例といえるでしょう。

 

現代の「カンブリア爆発」によって変質する、文明システムのあり方

――デジタル世界の「カンブリア爆発」は、人類の経済史において大きな影響を与えるということですね。

そうですね。ただ、この変化に対して、私はあまり悲観していません。逆に、これまでは、経済・行政・社会といった文明システムを、アウトプットをベースに設計せざるを得なかったからこそ、さまざまな問題が起きていました。資源を奪い合う戦争がいい例でしょう。しかし、アウトカムの共創を目的にシステムを設計できるのであれば、争いよりも、棲み分けや共生の方が、戦略のオプションとして価値が高いということになります。

我々は今まさに、文明というオペレーティング・システムのバージョン・アップを目の当たりしているのだと思います。アウトプットのサプライ最大化を目的としたシステムから、アウトカムのデマンド最適化を目指したシステムへの移行です。これを私は、サプライサイド・ストラテジーからデマンドサイド・ストラテジーへの移行、という文脈で解釈しています。この変化は、経済・行政・社会といった文明システムの根底に及ぶほどのインパクトを、中長期的にはもたらすでしょう。

たとえば、人類史上最大のヒット・アプリである「通貨(マネー)」。神の見えざる手によって、市場の一物一価が定まる(Adam Smith)という優れたプログラムを前提に、市場取引の媒介として用いられてきました。そして、その発行メカニズムの目的変数は、常にGDPというアウトプットであったわけです。

細かい技術論を割愛すると、近代的な信用経済下の通貨発行メカニズムにおいては、マネーサプライ(経済全体に流通する通貨の合計)は、国内経済主体(家計・企業・政府・金融機関・中央銀行)の借金によって形成される、ということになります。つまり、流通しているお金の分だけ、誰かが借金をして利子を支払っているという意味で、デットマネー(Debt Money、負債性通貨)と呼ばれます。

つまり、経済は成長し続けなければ、いつか必ずデフォルトしてしまうという宿命が課せられている。これが、サプライサイドから組み立てられた現行の経済システムが抱える欠点の一つであり、中央銀行による金融政策の限界でもあります。

では、これをデマンドサイドからひっくり返すためには、どうすればよいでしょうか。借金以外の方法で経済にマネーを供給するメカニズムを、アウトプットの最大化ではなく、アウトカムの最適化を目的変数に組み替えることで実現する、ということを考える必要があります。

分かりやすい例で言えば、歩いた距離に応じて発行される健康ポイントや、不在配達削減に協力した時に発行される受取りポイントに見られる仕組みが、それに当たります。いずれも、需要者側との共創行為によって、事業者側の埋没費用が削減されたり、需要者側の価値が向上したりしています。これらのポイントに共通するのは、一般的な法定通貨やポイント・サービス、マイレージ・プログラムとは異なり、引当などの負債を予め相殺する形で発行されたポイントである、ということです。

このような、価値創造を裏付けに発行される通貨やポイントを、私はバリューマネー(Value Money、価値性通貨)と呼んでいます。実は、このような理論に関しては、数十年前からアメリカの経済学会でずっと議論されてきましたが、これまでは大規模に実現することができませんでした。これからはデジタルによってアウトカムを評価できるようになるので、それに基づいてクーポンやデジタル通貨を発行すればいいのです。

これから、通貨発行メカニズムだけでなく、あらゆるレベルで、経済・行政・社会といったシステムがバージョン・アップされていくでしょう。本日は、財・サービス市場や、資本市場における変化の兆しについて紹介しましたが、もちろん労働市場においても、価値の転換現象を見ることができます。

なお、本日お話したデジタル世界におけるさまざまな「価値の転換現象」については、IBMが昨年実施したグローバル経営層スタディの結果を踏まえて、全世界50,000名以上の経営者の方々へのインタビューに基づき詳細にまとめていますので、ぜひご一読いただければと思います。

 

予算・計画主義から、価値・実行主義へと舵を切る経営戦略

――具体的に企業は何をしていけばいいでしょうか。

さきほどご説明したとおり、これからはビジネスケースを綿密に計画するよりも、具体的なアウトカムを目指したユースケースを、顧客やパートナーとともに実際に共創していく活動そのものが重要になります。つまり、ユースケースのイメージをどれだけ多く持ちながら、その中で最も価値あるものを、どれだけ素早く実行していけるか。結局、全ての本質は、そこにあるのだと思います。

デジタル世界における価値創造の方程式を理解し、その世界観の中で実行可能な価値あるユースケースを、一つの事業あたり、少なくとも数千~数万のレベルでリストアップすべきでしょう。ユースケースの中には、顧客サービス関連のものもあるでしょうし、パートナー企業との契約モデルに関するもの、あるいは棚卸資産を圧縮するための新たな在庫管理方式に関するものもあるかもしれません。事業に関連する全ての方面の価値について、どれだけ多くのユースケースをアイデアとしてリストアップしておけるか。アイデアの母集団が大きければ大きいほど、そこから生まれる外れ値としての革新の度合も大きくなります。つまり、ひとつの事業あたり、数十~数百のレベルでは足りないわけです。

デジタル世界で生き残る企業とは、当然のことながら、価値あるユースケースのイメージを豊富にもって、それを即座に実行できる人財を多く擁する組織です。そのために、いろんなDXの事例を学習し、経営から現場まで全ての組織がユースケースの仮説をリストアップし、それらをピボットしつつ、あらゆる意思決定をアジャイルに進めていく。まさに価値・実行主義的な経営へと変化しなくてはなりません。

もちろん、経営者は、投資を含むマネジメント・プロセスや、組織構造、オペレーション・システム、社員のスキルセット、ワークスタイルなど、多くのことを変えないといけません。当然ながら、予算や計画を至上命題に経営するような時代では、もはやないのですから、経営者自身も変化していく必要があります。本日お話したように、価値の転換はあらゆるレベルで起きているのです。