S
Smarter Business

通信業界出身のエキスパートが語る、5Gビジネスの展望と課題

post_thumb

石原 有里子

石原 有里子
日本アイ・ビー・エム株式会社
公共・通信メディア公益・サービス事業部
5Gプラクティス・リード
パートナー

移動体通信事業者の日米拠点で約20年間にわたり広範な事業を担当し、2021年10月より現職。前職の通信事業者では5G事業やDX(RPA)構想の立ち上げなどを主導し、現職ではテクノロジーとビジネスの両面から5Gなど次世代に向けた変革の提案を担当している。「5GもDXもテクノロジーが変革を起こすのではなく、人が目的を持って新たなオペレーティング・モデルを導入することで価値が創造される」との信念を持つ。

 

ローリー・ソープ(Lory Thorpe)

ローリー・ソープ(Lory Thorpe)
IBM Corporation
Industry Partner
Telco Transformation Consulting

IBMコンサルティングで5Gとネットワーク変革に関するグローバル・オファリングを率いるパートナー。通信業界(事業者、ベンダー)での20年以上の経験の中でさまざまな変革をリードし、現在は次世代ネットワークの進化を見据えたオファリングやコンサルティングを担当しているほか、GSMA Post-Quantum Telco Network Taskforceのリーダーも務める。

次世代の市場として5Gに大きな期待が寄せられています。5Gが生みだす最大の価値はBtoBtoX市場にあるとされているものの、通信業界で継続的な5G BtoBtoX事業を成功裏に立ち上げた例は世界的にもまだあまり聞かれません。その理由として、5G SAの普及待ちなどの技術的な課題がよくあげられますが、実は新しい技術の浸透を支えるのは「人」「プロセス」「テクノロジー」の3つの要素に関する「信頼」と「変革」です。

このチャレンジの難しい点は、通信事業者が現在のレガシー・ビジネスを継続しながら、新たなビジネス・モデルに移行しなければならないという点です。「人」「プロセス」「テクノロジー」に関して、具体的にどのような変革が必要でしょうか。また、これからの通信事業で重要な要素となる「クラウド」と「セキュリティー」に関しては何に留意すべきでしょうか。2人合わせて通信業界で40年以上のキャリアを持ち、現在は国内外の通信事業者の5Gビジネスをサポートしている石原 有里子とローリー・ソープが、業界の展望を対談形式で語ります。

5G時代に向けて変革が必要な領域と実現に向けた取り組み

石原 はじめに、通信業界を取り巻く現状と課題を踏まえた変革領域、実現に向けた取り組みについては、昨年IBMが公表した「先進ITで描く2025年の世界」の通信編から抜粋した内容をご覧いただきたいと思います(図1)。図の左側に、通信事業者が置かれている状況を「顧客」「自社内」「競合・協業」の観点で示しました。

図1 通信業界における変革領域と実現に向けた取り組み図1 通信業界における変革領域と実現に向けた取り組み

「顧客」に関して、収益性を上げるための課題の一つは「カスタマー・ライフタイム・バリュー」の最大化です。AIやデータを駆使し、顧客のコーホートごとに共通ニーズを見いだしてサービスを提供することにより、顧客満足度を高めてより長く利用してもらうことが重要です。それが、より収益性の高い領域を見つけていくことにもつながるでしょう。これには5Gやエッジを活用した法人向け新ビジネスの創出も含まれており、大きなチャレンジだと言えます。

「自社内」については、収入が増えない中で投資資金を捻出するためのコスト削減を世界中の通信業者が積極的に進めています。ただし、力を入れるべきことは出張を減らすなどの細かな経費削減ではなく、データを活用してプロセスを改革するなど、より抜本的な変革です。

「競合・協業」は最も難しい領域かもしれません。従来、通信事業者とベンダーの関係は「買う側と売る側」に固定化され、垂直的でした。しかし、今後はエコシステムを作るために水平分業の関係を構築していかなければなりません。これは競合との関係でも同じです。「ある領域では競合し、ある領域では協業する」といった関係性になるのです。

変革を推進するための取り組みとしては、顧客やパートナーとの間の「『信頼』向上による主導権獲得」のほか、テクノロジー面では「クラウドネイティブ化」があげられます。「競合・協業」に関しては「『競業』エコシステムの構築」も必要です。これらをまとめると、顧客からの「信頼」、自社内におけるデータやプロセスへの「信頼」、エコシステム・パートナーとの間の「信頼」、そしてエコシステム全体を取り巻く「セキュリティー」が今後の重要なキーワードになります(図2)。

図2 通信エコシステムを構成する各要素間の信頼が鍵図2 通信エコシステムを構成する各要素間の信頼が鍵

ソープ グローバルなトレンドとしては、「接続性」の持つ意味が変わってきた点があげられます。5Gの台頭により、「接続性」をビジネスに生かそうとする企業が増えました。単に接続するのではなく、接続することを利用したさまざまな事業の創出が期待される中で、エコシステムが飛躍的に変化し、拡大しています。これに伴い、さまざまな領域で「信頼」の重要性が高まっています。そうした中、通信事業者は自らの立ち位置をどこに置くのか、どのようなサービスを提供するのか、誰と組むのかなどの取捨選択を迫られています。

一方で、いまだ本格的な5Gビジネスが立ち上がっていないことへの落胆の声も聞かれます。しかし、それには新たなビジネス・モデルの構築が必要ですし、まだ5G SAも全面的な展開に至っていません。新たな競合も増えています。5Gはまだ初期フェーズにあるのです。そのような中でも新たなバリューチェーンの台頭は確実に始まっており、これを「信頼」と「変革」で育てていく必要があります。

石原 図2で示した大きな青い枠が「接続性の輪(エコシステム)」です。中央の「社内」が通信事業者をイメージしており、この中では「人」「プロセス」「テクノロジー」がデータを中心にして連動します。エコシステムは、外部のパートナーや法人顧客など、さまざまな企業とともに構築し、最終的にはコンシューマーに何らかのサービスを提供します。5GのBtoBtoXの世界は、この青枠の中に包含される四角がどんどん増えることによって拡大し、それぞれの四角がさまざまに関連し合う複雑なエコシステムとなります。

新たなテクノジーに合わせて人とプロセスを再構築する

石原 エコシステムの実現に向け、「人」に関して通信事業者が取り組むべきは、次世代テクノロジーの活用で求められる“適切な”組織とスキルを定義し、それに移行することです。「プロセス」についても同様です。適切なスキルを持つ人たちが、次世代のテクノロジーをベースにどのようなプロセスで働くべきかを明らかにし、それに移行します。

「テクノロジー」に関しては“オープン”が鍵になります。パートナーや顧客とエコシステムを構築して協業していくうえで、オープン・テクノロジーは極めて重要な役割を果たします。

ソープ 私が最近取り組んだ事例に「搭載前試験の自動化」があります。クラウドネイティブなネットワーク環境では、継続的な試験と継続的なデプロイ(CT/CD)が可能になります。複雑化する5Gのネットワーク構造では従来型の試験プロセスを実施するのは無理があります。そのため、CT/CDに対応したスキル、組織、プロセスが重要となりますが、多くの通信事業者が従来と異なる働き方(試験プロセス)への変革で苦労されています。新たな「テクノロジー」への投資や導入は、実は「人」と「プロセス」の変革に比べれば簡単なことといえるでしょう。

また、「セキュリティー」については、図2のブルーの青枠内(エコシステム)がどんどん拡大していくことからもおわかりいただけるように、攻撃を受ける範囲が増えていくため今まで以上に重要となります。通信規格としての5Gは以前の世代よりも堅牢な技術ですが、オープンなマルチベンダー環境では、少数の大手ベンダーに頼っていた従来のネットワークと比べると攻撃領域が拡大し、ネットワーク全体のセキュリティーに対する通信事業者の責任が増すと考えられます。ネットワークを構成する一つ一つのパーツをセキュアに保つだけでなく、エンドツーエンドで全体的なセキュリティーを管理・監視することがより重要になっていきます。

ハイブリッドクラウドの活用、クラウド事業者の使い分けが鍵

石原 今後の通信ネットワークではクラウドの活用が不可欠です。従来のクラウドの利用価値はコスト削減が主でしたが、現在、欧米の通信事業者の間では「新ビジネスを創出するための基盤としてクラウドを活用する」という考え方が浸透しています。その中で鍵となるのがハイブリッドクラウドと、ハイパースケーラー(大手クラウドベンダー)とのパートナーシップです。

ただし、1社の大手クラウドベンダーだけに頼ると、ベンダー・ロックインのリスクが生じます。それを避けるアプローチがハイブリッドクラウドであり、これには「オンプレミスとクラウド間の相互運用性(Interoperability)の確保」「複数クラウドの特徴に応じた使い分け(マルチクラウド)」の2つの意味があります。5Gのビジネスは始まったばかりであり、今後どのようなサービスが発展するのか、エコシステムがどのように発展していくのかは不透明です。この段階で特定のクラウドにロックインされてしまうと、将来に対する柔軟性を失ってしまいます。通信事業者が常に主導権と選択肢を確保しながら各クラウドの利点を生かした活用を進めるためには、ハイブリッドクラウドが不可欠なのです。

ソープ 確かにコスト削減はクラウド活用の主目的ではなくなり、現在のトレンドはクラウドを活用した新たな事業機会の創出に移っています。ハイブリッドクラウドについては、複数のハイパースケーラーやデータセンターを組み合わせて実現する動きも活発になってきました。特に欧州では地政学リスクの観点からベンダー・ロックインを避けたいニーズが大きいですね。もちろん、将来に向けた選択肢の確保も大変重要です。

量子コンピューティング時代も通信の安全性を確保する

ソープ 最後に「セキュリティー」です。通信事業者におけるセキュリティー・インシデントはマルウェアやAPIの脆弱性、脆弱なアクセス制御を突いた攻撃などによって起きています。それによる問題の一つが、リカバリーに時間がかかることです。システムの複雑化に伴い、人的ミスも増えています。これらを防ぐには、自動化などを取り入れて管理や運用を簡素化することが必要です。

また、今後は提供するサービスの全ライフサイクルにわたり、予測的かつ予防的にサイバー・リスクを管理することも重要です。IBMはお客さまの環境に最適なセキュリティー基盤の構築から日々の管理まで、ライフサイクル全体をカバーするソリューションを包括的に提供しています(図3)。

図3 予測的かつ予防的な全ライフサイクルにわたるサイバー・リスク管理図3 予測的かつ予防的な全ライフサイクルにわたるサイバー・リスク管理

石原 欧米の通信事業者のセキュリティー運用を長年サポートする中で蓄積した豊富な経験とノウハウもIBMの強みだと言えますね。

ソープ その通りです。また、量子コンピューターの実用化に向けた取り組みが着々と進む中、今後セキュリティー面で極めて重要となるのが、量子コンピューターによる暗号解読攻撃への耐性(耐量子)を確保することです。IBMは世界初の商用量子コンピューター「IBM Quantum System One」を提供するだけでなく、量子時代に備えた耐量子サービスの提供も開始しています。

通信業界でも、今後は耐量子暗号技術を導入し、通信の安全性を確保していく必要があります。例えば、量子攻撃の前では、RSAで実現していたセキュリティーも無効になってしまいます。そこで、移動体通信事業者や関連事業者による業界団体のGSMA(GSM Association)は昨年、量子コンピューティング時代に耐量子技術を用いて安全な通信を実現するための戦略と標準化、ポリシー策定などをリードする「GSMA耐量子通信事業者ネットワーク・タスクフォース(GSMA Post-Quantum Telco Network Taskforce)」をIBMが中心となって立ち上げました。このタスクフォースには全世界の通信事業者18社をはじめ、合計44社が参加しており、私が議長を務めさせていただいています。

通信業界は安全な通信の確保に関して社会全体に責任を負っています。耐量子を実現するには多くの考察と準備が必要であり時間を要するため、関係各社は今すぐに力を合わせて取り組むことが必要です。IBMも量子コンピューティングのリーディング・カンパニーとして、この活動に全力を注いでいます。

石原 このように、通信事業者は今日、さまざまな面で大きな変革に取り組むべき時を迎えています。IBMは、業界標準のテクノロジーやソリューションを用いて、柔軟かつセキュアでオープンな通信基盤の構築をご支援しています。全世界の通信事業者をサポートする中で蓄積した専門知識と経験を基に、スケーラブルなデータ基盤やAI、自動化技術の活用、次世代通信事業を担う人材の育成と組織およびプロセスの変革、さらには長期的なパートナーとしてのエコシステム拡大まで、通信事業者のビジネスをあらゆる面でバックアップいたします。今回紹介させていただいたテーマにご関心がおありの際は、ぜひお気軽にご相談ください。