鈴木のり子
IBM Institute for Business Value
自動車産業リサーチ部門グローバルリーダー
IBM Institute for Business Value の自動車業界のリサーチ・リーダー。IBM の自動車業界におけるオピニオン・リーダーシップのコンテンツ策定と、戦略的なビジネス・インサイトの提言にグローバルの責任を持つ。20 年以上にわたって、世界の自動車業界大手企業と、事業戦略やビジネスモデル・イノベーションの分野で協業している。
自動車業界は電動化、自動化、シェアリング・エコノミーの台頭など、100年に一度とも言われる変革を迎えている。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19/以下、新型コロナウイルス)拡大によって、サプライチェーンなどに大きな影響も出た。
IBMのシンクタンク部門、IBM Institute for Business Value(以下、IBV)で自動車産業リサーチ部門グローバル責任者を務める鈴木のり子が、IBVが実施した2つの大規模調査「CEO Study 2021」と自動車業界の10年を展望する「Automotive 2030」から、明らかになった経営者の課題をもとに、自動車業界が激動期を乗り切るためのヒントを読み解く。
短期的な課題は、アジャイル、デジタル、法規制対応
——新型コロナウイルスの影響により企業を取り巻く環境は大きく変化しました。現在、自動車業界が取り組むべき経営上の短期的な課題として、どのようなものが挙がっているのでしょうか。
他の業界と同様、自動車業界も新型コロナウイルスの影響が小さくありません。工場の稼働停止、半導体の供給不足などサプライチェーンに問題が生じています。また、お客様が販売店に行けなくなり、これまでの販売方法が機能しづらくなくなりました。
その混沌とした中で価値の再定義が始まっています。IBVでは、世界の企業トップに今後2〜3年の優先的な取り組み課題をヒアリングし「CEO Study 2021 」としてまとめました。調査期間は2020年9月〜10月、自動車業界からも113人のCEOに参加いただいています。
その結果から言えることは、新型コロナウイルスの影響を乗り越えるためには、どの業界にも共通していますが、「本質を見極めることが重要である」ということ。そのために取り組むべき最重要課題として次の3つが挙げられます。
1)明確に目的を持ってスピード感を持って進める
2)テクノロジーの重要性を高める
3)新たな法規制に対応する
これらにより自社の本質的価値は何かを問い直すことが求められており、それができる企業かどうかで今後の立ち位置が分かれてくるでしょう。最重要課題に沿って、自動車業界における経営層の意識変化を解説します。
1)明確に目的を持ってスピード感を持って進める
市場状況が刻々と変わる中で、それに合わせて動いていくというアジリティーの重要性が再認識されています。「CEO Study 2021」では、53%のCEOが「アジャイルで柔軟なオペレーション」を取り組み課題に挙げています。自動車業界では、各社がコロナ以前から取り組んできたテーマではありますが、引き続き課題であることが認識されました。
日本の自動車企業は、この課題に対して積極的で、経営層の90%が「デザイン思考、アジャイル・プロセス、データ主導の意思決定、他社との共創」といった新しい働き方を取り入れることが自社の成功に役立つと考えているようです。
2)テクノロジーの重要性を高める
従来、自動車会社は自動車を開発・製造することがメインの「製造業」で、テクノロジーやITはサポート役という意識が強かったのですが、近年、その重要性が高まってきています。現在、テクノロジーは経営課題の中心に入ってきており、CIOやCTOなどITに詳しい経営幹部の役割が大きくなっています。
具体的なテクノロジーの導入領域としては、業務の効率化とコスト削減だけでなく、サプライチェーン、プロセスの自動化、新しい製品やサービスへのイノベーションなど、自動車がデジタル化していく中でテクノロジー優先へのシフト・チェンジが伺えます。
3)新たな法規制への対応
パリ協定においてCO2削減目標が出されたこともあり、欧州の一部の国では2035年までにディーゼル車の販売が禁止されました。主にCO2削減、カーボン・ニュートラルに関係した法規制の動きが活発化しています。
それへの打ち手と考えられているのがEV(電気自動車)で、EVへのシフトを当初の想定よりも早期に進めなければならない状況です。さらに、自動車の機能安全への対応、サイバー・セキュリティーへの対応も取り組むべき大きな課題と捉えられています。
長期的課題は、DXを超えた「デジタル・リインベンション」
——「CEO Study 2021」から、自動車業界が今後2〜3年で何を優先課題としているかがわかりました。では、長期的な視点ではどのような経営課題が挙がっているのでしょうか。
IBMでは、自動車業界の経営層に10年後のスパンでの経営テーマをたずねる「Automotive 20XX」を通じて、長期的な課題を探ってきました。
初回は、2008年に実施した「Automotive 2020」です。時はTesla(Tesla Inc.)が新規上場する2年前で、Uber(Uber Technologies Inc.)やGoogleの自動車部門(後のWaymo)が立ち上がった時期でもあります。大きな変革の波は起きていませんが、変革の芽が出始めたという段階でした。業界全体が効率化に向かうと予想され、そこに向けてIT投資をし、変化の波に対して体力をつけようというねらいが見られました。
2回目は「Automotive 2025」で、2015年に発表しました。この頃になるとTeslaは影響力のある存在になり、カーシェアなどを手掛ける新しいプレイヤーも無視できない存在になりました。調査結果から見ても、業界の枠組みの破壊が起こるという危機感が現れています。そして、実際に枠組みの崩壊が本格化し始めたのです。
この流れを踏まえて、2019年に調査を実施した「Automotive 2030 」は、今後10年を見据えています。大きなテーマとして言えることは、これまでコスト削減や効率化の手段という位置付けづけだったデジタル技術が、業界の主軸となる方向に進化していること。デジタル技術が中心となって、収益やリソースの配分を含めたビジネス・モデルそのものを再定義する「デジタル・リインベンション」の重要性が強く認識され、今後10年間で各社が取り組むべき命題になったと言えるでしょう。
実際に、回答者の35%が「自社でデジタル・リインベンションを実施する緊急性を強く意識している」と述べています。日本の自動車業界においても、経営層の58%が「デジタル技術による自社組織のリインベンションが将来必要になる」と考えていることもわかりました。
ブランドの価値は、デジタル体験の優位性にシフトしていく
——今後10年において重要な「デジタル・リインベンション」に取り組むに当たって、意識すべきポイントをお聞かせください。
「デジタル・リインベンション」を具現化するためには、「技術の進歩」「消費者の期待値」を背景として、次の4つの課題が考えられます。
1)デジタル戦略
2)成長戦略
3)新しい働き方への転換
4)新たな専門性の構築
さらに、市場の変化としては、パーソナル・モビリティとシェアリング・エコノミーが市場を大きく変化させると予想でき、これにどう対応していくかも重要になってくるでしょう。以下で、それぞれの課題を見ていきます。
1)デジタル戦略
「運転席のデジタル化」とも言えます。従来、自動車のブランド価値は、スタイリングやハンドル操作、加速度など「自動車の機能」に主軸がありました。しかし、MaaSと自動運転が普及したシナリオでは、消費者の意識は、グローバルでは48%、日本では28%が、「車のブランドよりコストや利便性の方が重要」と変化しています。経営層においても、差別化要因としてのブランドの価値を、現在は79%が支持していますが、2030年の状況予測では56%に下がっています。MaaSなどのトレンドにより、従来のブランド価値が薄れていくだろうと経営者は考えているのです。
その流れをふまえ重要になるのがデジタル体験です。消費者への調査では、「データのセキュリティーと情報保護」「車と会話ができる」「自分のデジタル情報を他の車と共有できる」など、デジタルを起点とした体験への期待値が高まっています。デジタルによって具現化する「パーソナライズ」「つながる」「シームレス」といったブランド価値が求められているのです。
2)成長戦略
技術だけでなく、戦略やビジネス、プロセスと自動化などさまざまな分野でのイノベーションが自社の成長にとって重要だと考えられています。イノベーションは顧客体験の向上へとつながっていくのです。
日本では77%の経営層が、イノベーションは競争優位性を生み出すための最も重要な要素の一つと捉えているようです。車の技術に関するイノベーションだけでなく、新しいサービスづくりや組織、オペレーションのあり方も含めて企業文化を革新していきたい、という強い意識があります。
3)新しい働き方
新しい働き方は、「CEO Study 2021」でも重点領域として挙がっており、「Automotive 2030」では90%の経営層が、デザイン思考、他者との共創、アジャイル・プロセス、データに基づく意思決定といった新しい働き方を自社の企業文化に取り入れることが自社の成功に役立つと回答しています。
IBMのお客様も同様に、デザイン思考、他者との共創などを進めている自動車企業は増えています。それが変革をより進めると考えられているのです。
4)新たな専門性
新たな専門性とは、デジタル化やEVへのシフトという大きな流れの中で、自動車産業において必要な専門性やスキルが変わるということです。例えば、AIにまつわる職種だけでなく、「モビリティー交通管制官」のような現在は存在しない職種が求められることが予想されています。
さらに、社員の再教育を必要と考える経営層も多く、日本の自動車業界においては、社員の14%が今後10年で再教育が必要と捉えられているようです。そこでは、「イノベーション・起業・ビジネス変革」といった思考を持ち、新しいことにチャレンジできる人材の確保、育成への意欲も求められています。
とはいえ、例えば、その役割が変わると予想されている「ディーラー」については、エコシステムの変化によって、79%が「価値が低下し、その数が大幅に減る」と述べている一方で、81%が「新たなサービスを提供し、付加価値が増える」という矛盾して見える回答もあります。つまり、まだまだ過渡期だと言える状況なのです。
産業構造の大変革により経営資源の配分が変わる
——EVへのシフト、デジタル技術による顧客体験が重要になってくる中で、経営資源の配分はどのように変化するのでしょうか。
「Automotive 2030」では、60%の経営層が「デジタルへの経営資源振り分けのために自動車生産のアウトソースも考えうる」と答えています。長い間、生産部門は自動車会社の優位性の象徴であり、複雑なエコシステムを管理し改善を重ね、高品質の製品を作り出すことが競争力の源泉でした。特に、エンジンは部品数も多く非常に複雑で、安全管理も難しい。複雑な生産技術と、その技術にまつわる複雑なサプライチェーンの管理が重要だったのです。
そのような状況を考慮すると、60%という数字は大きな変化です。具体的に何かが起きている段階ではないものの、生き残りのために大胆な変革をしなければならないと考える経営陣が増えていることは間違いありません。
さらに、日本の自動車業界が従業員の再教育に投じる金額は2030年までに2760億円を上回るとも言われています。社員のスキル開発が自社の競争力を高める重要な要因だと認識されているのです。
他社と協業するためのプラットフォームへの投資額も、今後10年で67%の増加が予想されています。今後は特に、顧客体験を構築・調整する「顧客体験プラットフォーム」が重要になるでしょう。つまり、社内の業務効率化や最適化に割かれてきたIT投資が、エコシステムやプラットフォームへの投資にシフトしていくと思います。
IBM Garageで共創し、激動期を乗り越える
——デジタル技術を核としたビジネスモデル全体の見直しについて、IBM が共創した具体的なユースケースを教えてください。
アジャイルで迅速に動ける組織への変革として「Audi UK」の事例をご紹介しましょう。コロナ禍で、お客様はなかなかディーラーに行けません。そのため、これまでのディーラー頼りから離れた改革を進める必要がありました。そこで、IBM Garageとの共創により、Webサイトとモバイルアプリを刷新しました。
この時期は全体としてWebのトラフィックが減ったにも関わらず、問い合わせの数は25%程度向上しました。また、英国の新車販売が29%減少する中、試乗のリクエストは59%増えました。
また、メルセデスベンツのオーナー向けアプリ、Mercedes Meの新機能として追加となった盗難車追跡機能についても、IBMがご支援しています。車が盗難にあった時には、いかに早く対応するか、スピードの勝負です。リアルタイムのデータを第3者のサービスプロバイダー経由でタイムリーに警察と共有し、盗難車の発見と回収につなげます。このような「安心」もドライバーにとって重要なブランド体験の要素になってきており、コネクテッド、クラウド技術の基盤を使ってシームレスなデジタル体験として提供できるようになった事例と言えるでしょう。
このほか、優先課題にも挙がっている「新たな専門性」に関連し、データ・サイエンティストの研修プログラムのご提供も進めています。経営陣レベル、中間管理職レベル、現場向けと役割によって分かれており、こちらも多くのお客様に利用いただいています。
上記はほんの一例になりますが、私たちIBMは、IBM Garageをはじめした幅広い分野で短期と長期の両方の視点を持ち、世界中の自動車企業と共創しています。100年に一度と言われる自動車業界の激動期を共に乗り越えていくために、今後もさまざまなご支援をしていくつもりです。
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