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先進ITで描く2025年の展望|医療AIが変える患者体験の未来

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鈴木 健

鈴木 健
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス シニアマネージングコンサルタント

 

壁谷 佳典

壁谷 佳典
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス シニアマネージングコンサルタント

 

小林 智久

小林 智久
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス シニアマネージングコンサルタント

 

中泉 大輝

中泉 大輝
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス マネージングコンサルタント

はじめに

日本IBMでは、これまで提供してきたコンサルティング・サービスの実績に基づき「先進ITで描く2025年のヘルスケア・ライフサイエンス産業の展望」として、シリーズでお届けしています。第2回は、医療AIをテーマに現状や未来像、チャレンジについて解説します。

医療AI開発・普及の現状

これまで医療分野におけるAI活用は、政府主導の戦略会議において度々重点戦略として挙げられてきました。(人工知能技術戦略会議・未来投資戦略等)
特に厚生労働省の「保健医療分野AI開発加速コンソーシアム」では、『1.ゲノム医療』『2.画像診断支援』『3.診断・治療支援』『4.医薬品開発』『5.介護・認知症』『6.手術支援』の6つの重点領域を定め、AI開発の加速に力を入れています。

現状では、特に『2.画像診断支援』の開発が進んでおり、2018年に画像診断支援AIシステムが国内で初めて承認された後、2020年にはCOVID-19に対する肺炎画像解析を行うAIが承認されています。2022年の診療報酬改定ではAIが「画像診断管理加算3」の要件に加えられており、国内における医療AIの開発加速と受け入れ体制の構築が着実に進んでいることがわかります。
『3.診断・治療支援』における取り組みも進んでおり、医師不足地域へのオンライン診療の提供やAIによる電子カルテの下書き作成などが行われています。また、患者状態の予測に基づく診断支援AIも、今後に期待されている分野のひとつです。

医療AIの活用による未来像

医療AIが普及するとどのような良い未来が描けそうか、医療のバリューチェーンに沿って簡単に考察・紹介させていただきます。

未病・予防領域

本領域では少しずつスマートフォン等へのデータの集約化が進んできており、今後より加速してくると考えています。具体的には、声・表情・体温・心拍・視線・体重・歯・遺伝子の状態なども個人の端末に集約化されると考えられます。さらに単にデータを可視化するだけでなく、様々な疾患の早期スクリーニングが常に出来るようになるのではないでしょうか。例えば、声・表情・視線・身体活動で認知症をスクリーニングする研究は以前から世界中で行われており、IBMにおいても順天堂大学や筑波大学と共同研究を進めています。
また、自身の疾患や健康状態に応じてアドバイスするだけでなく、ソリューションそのものを届けるサービスも今後増えてくると考えます。例えば、健康状態に応じた最適な食事や、最適な運動プログラムをインプットされたパーソナルトレーナー等を自宅にそのまま届けるD2C(Direct to Consumer)サービスが出来ることで、未病・予防領域において大きな課題となっていた“行動変容の壁”を壊すことができます。

医療機関の調査・診断・治療領域

日本ではかかりつけ医制度が普及しておらず、比較的フリーにどの医療機関でもアクセスが出来ます。一方で、自ら適切な診療科・医療機関を探さないといけないため、適切な施設に行けずに診断が遅れることも少なくないと考えています。例えば、希少疾患であるHAE(遺伝性血管性浮腫)は、初診から確定診断までに平均13.8年かかるというデータ※1もあり、その間に患者は様々な施設・診療科を訪問すると言われています。
こういった背景もあり、今後はAIによるデジタル総合診療科のようなサービスが出現してくると考えます。そこでは、一般的な疾患から専門医師でも分かりづらいような難病・希少疾患まで総合的にAIがスクリーニングし、近くの適切な診療科・医療機関へ案内がされるでしょう。
また、その総合診療科がメタバース上で展開され、リラックスした空間で、目の前に医師がいるような感覚で世界中から気軽に診療を受けられるようなサービスも出てくるかもしれません。

※1 出典: Ohsawa I, et al. Ann Allergy Asthma Immunol. 2015;114:492-498.(IBM外のWebサイトへ)

リハビリ・アフターフォロー

慢性疾患や心疾患の術後など、長期的な治療やリハビリが必要な患者に対する医療AIサービスも今後増えてくるでしょう。
例えば緑内障等の長期治療が必要な眼科疾患においては、定期的な視覚検査が必要になります。そのため、これらを自宅で簡単に検査できるような1.病状測定AIアプリケーションを構築できれば、通院の回数を減らせるようになります。また、より高頻度に視覚能力検査が出来るようになるため、投薬タイミングの適切化や効果実感に繋がり、アドヒアランスの向上及びQOL(Quality of life)向上を実現できると考えます。
また、2.リハビリ領域においては、メタバースとAIをかけ合わせたソリューションが増えてくると考えます。疾患や身体データに応じて作られたリハビリ・プログラムがレコメンドされるだけでなく、自宅にいながら仲間と共にリハビリが出来るようになります。

未来を実現するためのチャレンジ

前述した未来像のように医療AIの活用による患者・医療従事者のメリットは大きいものと考えます。一方で、医療AIを実際に推進するには多くのチャレンジが存在します。本ブログでは以下の4点を紹介させていただきます。

個人情報と安全性への意識

医療という個人情報の中でも重要性の高いデータに対して、各目的に応じて適切に扱う必要があることはいうまでもありません。特に、諸外国と比べて日本人は安心・安全性を意識する傾向が強く※2、データ提供者・利用者の不信感に繋がらないよう留意する必要があると考えます。

※2 総務省「データの流通環境等に関する消費者の意識に関する調査研究」(IBM外のWebサイトへ)

電子カルテのデータ規格

医療AIが活用できるデータには様々な種類がありますが、患者データとして詳細な情報を保持している電子カルテ・データの活用余地は大きいと考えられます。ただし、電子カルテ・ベンダーごとに異なる仕様かつ医療機関ごとのカスタマイズによって規格がバラバラとなっていることから、複数の医療機関のデータ統合や構築したAIモデルの展開がしづらい現状にあると考えます。

AIの信頼性・行動変容

医師や患者の意思決定を支援し、行動変容を促すためにはAIが判断する根拠の掲示が重要と考えられます。AIが判断した結果を単に信じるのではなく、AIの判断結果と判断根拠をもとに適切な意思決定をできるようにするためのAIの説明性の強化が必要ではないでしょうか。

ビジネスモデル

日本においては、プログラム医療機器の保険償還事例が少ないことからも、上市後の収益性の予測が困難な状況と見受けられています。加えて、AIという性質上技術検証にも不透明性が生じるため、ビジネス・モデルが立てにくい現状があります。

課題解決に向けたポイント

医療AIで特に重要となる前述のチャレンジを乗り越えるため、IBMは以下の3点に特に注目した取り組みを推進しています。

医療×AI人財

ビジネス・モデルとしての収益性や技術開発・適用の予見性を高めるためには、医療及びAIの両者に精通したチームの編成が重要と考えます。個別化医療の必要性が増す中で多様化した医療ニーズを捉え、複雑化された医療データを高度なAI技術を活用して価値化できる人財が求められます。自社の中での育成だけではなく、後述するエコシステムの形成によって補う必要性もあるのではないでしょうか。

ソリューション技術

標準データモデル
精度が高い有用な医療AIを開発するためには、医療データを効率的に集めることが必要とされています。しかしながら現状各医療施設における医療データのデータ・モデルは統一されていないため、効率的にデータ集めることができません。この課題を解決するためには標準データ・モデルの普及が重要と考えられています。
医療データ分析向けの標準データ・モデルとしてOHDSI※3、 OMOP CDM※4がグローバルのコミュニティーで開発されており、医療機関への普及が期待されています。
IBMではOMOPを活用した疾患モデル構築を容易にするツール・セット(IBM DPM360)の開発を行っており、医療データ標準化の普及を支援しています。
標準データ・モデルの詳細については、下記ブログもご参考ください。

※3 The Observational Health Data Sciences and Informatics

※4 The Observational Medical Outcomes Partnership Common Data Model

連合学習 – Federated learning
個人情報をセキュアに取り扱うための技術として連合学習「Federated learning」が注目されています。Federated learningとは、セキュリティーを考慮した機械学習モデルの訓練方法の1つです。
ここで、データ保持しているシステム(以降クライアントとする)が複数存在し、全体を管理するシステム(以降サーバーとする)が1つ存在するケースを考えてみます。このようなケースの場合、クライアントに保持されているデータを一旦サーバーに集約し、サーバーにて全データを用いた機械学習の訓練を行うのが一般的なアプローチとなります。しかしながらデータを転送して一箇所に集約することは、データ漏洩リスクを負うことになるため、セキュリティーの観点から好まれないことがあります。そこでFederated learningではデータを一箇所に集めるのではなく、訓練される機械学習モデルをクライアントに連携し、クライアントで訓練されたモデルを集約します。これによりデータを移動させることなく、モデルを訓練できるため、セキュリティーのリスクが軽減されることが期待されます。
IBMでは、Federated Learningを製品「IBM Cloud Pak for Data」として提供しています。

参考:
H.Brendan MacMahan, et al., Communication-Efficient Learning of Deep Networks from Decentralized Data,
Proceedings of the 20th International Conference on Artificial Intelligence and Statistics (AISTATS) 2017
IBM Federated learning

説明性AI
説明性AIは、精度が高いもののブラックボックスで解釈性の低い深層学習の台頭とともに特に注目されるようになりました。医療画像解析に多く使用される説明性AIの1つとして、Grad-CAM(Gradient-weighted Class Activation Mapping)があります。Grad-CAMは、深層学習の内部情報を抽出することで、どの部分の特徴がモデルの推定に効いているかを見積もる手法であり、この手法の改良版が数多く研究されています。Grad-CAMは多くの深層学習モデルに適用可能であり、深層学習モデルが医療画像解析で使われていることから適用範囲は広いと考えられます。IBMヘルスケア・ライフサイエンスでもこの手法を用いた医療画像解析プロジェクトを支援しています。

「AIに対してどのような説明を求めるか」というのは、利用シーンに依存し、すべてのAIの推定に求められるわけではありません。例えば機械学習による音声認識に説明を求められることはほとんどありませんが、医療現場における意思決定では説明性が強く求められます。説明性AIは、研究分野における基礎技術の革新以外にも利用シーンな特化した研究や有用事例が多く出てくることが、説明AIの普及にとって重要であると考えられます。

参考:Ramprasaath R. Selvaraju, et al., Grad-CAM: Visual Explanations From Deep Networks via Gradient-Based Localization,Proceedings of the IEEE International Conference on Computer Vision (ICCV), 2017, pp. 618-626

エコシステムの形成

医療×AIとして両者の専門性を備えた体制の構築に当たっては自社だけではなく、医療機関・製薬・ITベンダー・患者会等の多様なステークホルダーとの共創が効果的なアプローチの1つと考えます。また、人財面だけではなく、あらゆる業界でヘルスケア領域の重要性が増している中では、医療業界だけではなく他業界との協業も含めた価値創出を実現していくべきではないでしょうか。

終わりに

本ブログでは医療領域におけるAIの活用将来像やチャレンジに関して述べてきました。チャレンジにあたり、IBMでは医療×AIの専門チームを立ち上げ、両者のケイパビリティーの開発を積極的に行っています。本専門チームだけではなく、社内の他業界・基礎研究部門、社外においても他ITベンダーや製薬会社・コンサルティング会社・アカデミアとの協業も盛んに行なっています※5※6
本テーマに関してご興味・ご関心がございましたら、是非ご連絡をいただければと思います。

※5 パーキンソン病や認知症の予防・早期発見に向けた産学連携の共同研究をスタート(IBM外のWebサイトへ)

※6 遺伝性血管性浮腫診断コンソーシアムの医療データAI分析WGに参画(IBM外のWebサイトへ)

第3回は、未来のヘルスケア・ライフサイエンス産業のあるべき姿実現に向けたアーキテクチャーについて紹介します。