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マスクメロン型組織を目指して:ネイティブテレワーカーズクロニクル3

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「うちのやり方って、ちょっと古いですよね。僕の友人が就職したベンチャーとはどうも違うなあ」
数年前、街の洋食屋さんにて。オムライスを食べ終わって一息つきながら、プロジェクトやメンバーの状況、お客様や自社、業界の最新ニュースなど、四方山話をしている中、ふと若手社員が言いました。

仲田清人
エンタープライズ・アプリケーションズ事業部 アカウント・プロモーション


日本IBMにて、基幹業務/システムの標準化及びグローバル統合プロジェクトの構想企画から実現までのプロジェクトマネジメントを担当。IBM内では、自組織の「学習する組織」化推進の重要性を訴え、「Learning Organization Initiative」を創設。コンサルタントの日々の研鑽機会の企画運営に加え、学習を阻害する根源的な要因に踏み込んで取り組むとともに、若手中堅のリーダーシップ開発を担当している。キャリアをスタートした時点で既に自社(当時のIBMビジネスコンサルティングサービス)がテレワーク化していた「ネイティブ・テレワーカー」の立場から今回の執筆を担当。

 

ランチタイムに語られた真実

あれ? 聞き間違いかな? と心がざわめいていると、「うん、確かに。なんでこのご時世に、電話片手にテレコンしてるんだろうって思うよね」「スマホのフリーアプリ使うだけでももっとマシなのにね」「勤怠入力とかのためにわざわざPC開くなんていうのもどうかと思うよね」「セキュリティーとか色々あるんじゃない?」と、周囲の同僚は口々に話題に乗っていきます。どうやら「遅れている」という感覚は、口火を切った若手社員だけでなく、多くの同僚が感じていることだったようです。

これは一体、どういうことだろう?我々は「未来企業の実験室」として、最先端のワークスタイルを確立してきたはずなのでは?私も何か言おうと少し考えましたが、出てきた言葉は「・・・確かに、そうかもしれない」

2000年前後で一気にワークスタイル改革を行い、それが定着した結果、プロ意識を持って主体的に仕事を創り出していくネイティブ・テレワーカーが登場し、すでに10年近くが経過していました。しかし、当時のモデルが前提としていたツールは、ノートPCと携帯電話だったのです。2007年に初代iPhoneが登場してから数年で、スマートフォンが爆発的に広まりました。2010年代に入社してきた新人たちにとっては、PCよりもスマートフォンの方がはるかに身近なツールだったのです。

「卒論をスマートフォンで書いた」という都市伝説も信じられるくらい、素早いフリック入力ができる、そんなスマホ・ネイティブな彼らの目からすると、「どうしてわざわざノートPCを起動しないといけないの?」という感覚があります。言われてみればごもっとも。移動中に資料を検索したり、メールを読んでさっと返信したり、クイックに返事が欲しい簡単な確認事項についてチャットを入れたりするのに、PCではちょっと無理していたのも事実です。スマートフォンは、コンシューマITの進化がエンタープライズITの進化を追い越すという、過去に類のない状況を作りました。彼らから見えていたのは、「未来企業の実験室」というよりも、「レトロ企業の標本室」だったのかもしれません。

 

ネイティブ・テレワーカーズ・エボリューション

この「モバイルシフト」は世界的な現象であった故、IBMの対応も世界的でした。個人所有のスマートフォンを業務で活用できる様にBYOD(Bring Your Own Device、個人所有端末の業務使用)を可能にするセキュリティーの整備を行い、また、社内業務で活用できるアプリを充実させました。今では通常業務で行うワークフローの多くはアプリでこなせるため、冒頭のぼやきはもはや過去のこと。しかし、技術や考え方の変化に合わせて、テレワークも継続的に進化し続ける必要があります。そこで今回は、ノマドワークやシェアオフィスの時代のテレワークとして、現在進行形で私たちが「実験」していることをご紹介します。

 

電子データ原理主義」からの脱却

現在、紙が復権しつつあります。正確に言えば、「手書き」の復権、もっと正確に言うと、「手描き」の復権です。

第二回において、「紙と電子データの並存がペーパーレスを停滞させる」と申し上げましたが、その問題は、電子データを印刷してしまうことで生じるものでした。今回申し上げている「手描き」というのは、電子データの印刷物の話ではなく、手描きオリジナルなもののことです。チームがホワイドボードくらいのロール紙の前に集まり、討議をしながらイメージを描き出します。いわゆるグラフィック・ファシリテーションと呼ばれるものですが、手を使い、視覚を通して伝え合うことで、文字以上のことをチーム内で共有できます。「文字以上」とは、「グラフィカル」という意味もそうですが、それ以上に、「エモーショナル」という意味でもあります。左脳だけでなく右脳にも訴える議論を行うことで、議論の参加者は論理的な「理解」以上に感情的に「腹落ち」するので、ミーティング終了後、個々が主体的に行動することができます。議論の結果はスマートフォンで写真を撮り、クラウドの共有フォルダにアップロードすれば議事録を読み返すよりも素早く思い返すことができます。

 

集うこともテレワーク?

「仕事の主体である社員が効果的に活動できること」。これがテレワーク以前に大切にしたいことです。前述した「手描き」は、「集う」ことを前提としているのですが、たまに「集う」ことがテレワークの効果を高めるのなら、「集う」コストは十分見合うものになるでしょう。では、「集うこと」で得られる価値は何か。一言で言うならば、「文脈」ではないでしょうか。この「文脈」の確保の仕方を、テレワークを前提に再構築することが必要です。

最も分かりやすいのは、やはり実際に集うことです。私たちは、敢えて「合宿」を復活させました。普段の仕事環境ではないオフサイトで2日間、エンタープライズITの未来を語り尽くす場を持ったのです。食事も共にし、夜は懇親会があり、大浴場でも議論が続きます。ほぼ無制限に討議できることになるので、普段の限られた時間ではこぼれ落ちてしまうような、個々人の価値観や、その価値観を持つことになった背景などまで話が及びました。以降、普段は離れて仕事をしていても、メールやチャットのやり取りの裏側に「顔」が思い浮かび、摩擦やすれ違いが少なくなることを改めて実感することとなりました。

 

離れていても雑談する

もう一つの方向性は、「文脈」をリモートでどう担保するかです。これについては、「テレ雑談」をご紹介します。リアルな空間を共有していると、案外直接的な業務以外の情報が飛び交うものです。近所の美味しいお店、週末に観た映画、最近話題のweb動画など。こうしたやり取りを通してお互いが人となりを理解し、心地よい距離感を見つけながら「組織」ができていくわけですが、テレワーク環境ではどうしてもこの手の情報の流通が減ります。ならば、意図的にそれを行おう、というのが趣旨です。

やることはシンプル。一瞬で読める情報量(メーラーでスクロールしなくていいサイズ)の雑談メールを、高頻度(週1~2回くらい)で流通するというもの。気軽さの演出も大切なため、HTMLメールのような凝ったものにはせず、またSNSなどブログにもしない。雑談なので、流し読みでも、もっと言えば読まなくても構いません。リアルな雑談が飛び交う場でも、聞いてない人もいますが、それでもその人は雑談が飛び交う空気の中にいます。それは、早朝の図書館のような、静謐な場とは異なる体験でしょう。お祭りの輪に入らない人でも、お祭りの空気を楽しんでいるものです。あくまで雑談なので、内容だってなんでもありです。会社のイベントや方針、新しい技術トレンド、ちょっと気になったニュース、そしてそれに対する発信者の視点。その発信に対してリプライがあって盛り上がることもありますが、あくまで主業務ではないので、業務そっちのけで盛り上がってしまうことがないのも「雑談」という位置付けの良さです。

 

マスクメロン型組織へ

2000年前後のテレワーク改革と、今回ご紹介した最近の取り組みは毛色が違うことにお気づきでしょうか。かつてのテレワークは、会社と社員との関係を見直す施策が中心であり、仕組みとしてテレワークを成立させるためのインフラが重要であったのに対して、最近の取り組みは、社員同士がより良くコラボレーションをするための施策に変わってきました。インフラ自体よりは、その活用の仕方にフォーカスしています。また、大々的に取り組むものというより、主体的な社員が小グループで実験的に始めてみて、良かったら自然に広まっていく、というような、言うなればアジャイルな進め方をしています。

技術は手軽に手に入るようになりました。コストも時間もあまりかかりません。組織側に必要なのは、そのような取り組みを「認める」こと、そして心置き無く創意工夫できるようにその障害を取り除くことです。この発想でテレワークを進めていくと、組織の個々がより自律的で、主体的な「プロフェッショナル集団」になることも可能ということは、第二回でも述べさせていただきました。このような、テレワークを含めた柔軟な働き方をしながら組織としての強さを持つような組織構造を、「マスクメロン」に例えてみたいと思います。

マスクメロンは、表皮に網の目があります。あの網の目は、栄養分を行き渡らせるための管で、この網の目がきめ細かく行き渡っていると、それだけ中の果実は養分を溜め込んで美味しいものになるそうです。このイメージで、組織の表面に立つ社員一人ひとりが主体的に、有機的に、全方位的に周囲と接続し、情報の流通を大いに行い、太い網の目を張り巡らせることができれば、組織としての成果につながっていくのではないか、という発想です。

そんなマスクメロン型の組織を目指す取り組みの中で私達は、BYODもWeb Video Meetingも社内SNSも、使える道具は使って実験してきました。現在も、コグニティブ技術を活用したリアルタイム自動議事録/翻訳などでWeb会議体験を改善できないか実験したりしています。しかし、結局、これらは全て手段です。この手段を活かせるかどうかは、網の目のきめ細かさと太さにかかっており、それを可能にするのは、会社と社員、そして社員同士の信頼関係だろうと今も思います。制度や技術が揃っていたところで、監督しなければ部下は仕事をしない、という考え方なら制度があってもテレワークは難しいでしょうし、会って話さないと議論がすれ違ってばかりで仕事が進まないという考え方なら結局は集合ミーティングばかりになるでしょう。

おそらく、かなり多くの企業で既に何らかのテレワーク制度があるのではないかと思いますが、活用に至らないという難しさを感じているとしたら、小さな第一歩として、メールでも電話でも社内SNSでも、これまでより少しだけコミュニケーションの頻度と温度を上げるところから取り組むというのはいかがでしょうか。それだけでも、気が付けばテレワークを当たり前のように使う人が増え始めるかもしれません。

 

緊急ではないが、重要なこと

以上、三回で、IBMのこれまでのテレワークの歴史と、そして現在の実験をご紹介して参りました。大まかには以下の様な趣旨をお話ししてきたことになります。

 

第一回

BMにおいてテレワークが定着したのは、技術やプロセス整備もさることながら、実際に多くの社員にとって使いやすい仕組みとなるように、制約を取り払っていったことによる側面が大きかった。(第一回はこちら

 

第二回

ペーパーレスやフリーアドレスなどの様々なテレワーク施策を成功させて成果へ繋げていくためには、マネジメントが本気度を示すことと、社員をプロフェッショナルとして扱っていくことが有効だった。(第二回はこちら

 

第三回

PHS、携帯、スマートフォン、ARなど、時代によって使える技術は変わってきており、それに伴いテレワークも進化し続ける必要がある。しかし、技術が変わったとしても、テレワークが実際に機能するかどうかは信頼関係によるところが大きく、そのためには手描きや合宿、雑談など、意識的に関係づくりに取り組むことの価値に改めて注目している。

制度や最新技術よりも、テレワークを実際に有効に機能させるには?という観点からのご紹介が中心となりましたが、その意図は、テレワークを形式的なものではなく、真に実践的なものとして広く活用いただけるように、形式と実質のギャップを埋めるヒントをご提供できればと考えたためです。

テレワークは、福利厚生や、オルタナティブな働き方のような位置付けに止まらず、自律的なプロフェッショナル集団への変貌を可能にしますし、満員電車や保育園不足など、社会的な課題にも貢献する、とても大きな可能性を秘めた取り組みだと思います。名著『7つの習慣』においても「緊急ではないが重要な取り組みこそが最も取り組むべき仕事である」と言われていますが、テレワークはまさにその領域に位置するものではないでしょうか。現在進行形のテレワーク実践者の一人として、皆様の具体的な一歩へ向けてお役に立てたなら幸甚です。

photo:Getty Images